5
第72話
――信じられない。
豊嶋千尋!
行方をくらましてはや2か月。
お父さんの初七日にも四十九日にも、姿を見せずに……一体、どこで何をしていたの?
ふつう、まずは肉親へ連絡するものじゃないの?
家族が、心配してるって考えられないの?
千尋の奴!
サペレの本社ビルの前の石畳の通路、においてある石のベンチ。
途方に暮れた表情の総務の片瀬さんが、瑛士を見てあきらかにほっとした。そして後ろからついてきた私を見て、あら? という不思議な表情をする。
そう。不思議な組み合わせに見えるよね、あれからの事情を知らない彼女にとっては。
私は片瀬さんにぺこりと会釈した。片瀬さんも会釈を返してくる。
彼女の傍らのベンチには、しょんぼりと肩を落とす男がひとり。
その男と同じ遺伝子を持っていると思うだけでいらっとしてくる、私の兄の千尋。
「あっ、藤倉さ……ひっ!」
瑛士を見て一瞬ほっと安堵の笑顔を浮かべた千尋は、その背後で険悪な空気を纏う私を見て小さく悲鳴を上げた。
私は瑛士を追い抜いてつかつかと千尋に近づくと、千尋の着ているパーカーを鷲づかみにしてぐらぐらと前後に揺すった。
「千尋! 今までどこにいたの?! お金はどうしたの?!」
それでは私はこれで、と引きつった笑みを浮かべて、片瀬さんは速足で去って行った。金曜の夜の10時近くまで残業、ご苦労様です。しかもこのあほ兄のために。
「お、お、お前こそ何でここに?」
「そんなことはどうでもいいの! 答えてよ! ねぇ、契約金は? 私の貯金はっ?!」
来る途中に瑛士が電話で呼び出した財前さんが、私たちが来た反対側から必死に走ってくるのが見える。
「あっ、ちょっとっ、おっ、落ち着いてっ! しゃ、しゃべれな……」
「そうだ。まずは何があったのか聴かないと」
瑛士が私を、けんかしてるネコを持ち上げるみたいに千尋から引き離す。財前さんが息を切らして私たちのちょっと後ろで止まる。
青ざめた千尋は私を警戒して財前さんの背後に隠れた。私は瑛士に後ろから抑えられて動けない。
「金は……その、投資した会社が、最近音信不通になって……書いてあった住所もでたらめで……」
私は両手で顔を覆って、絶望の悲鳴を小さく漏らした。
いけない。落ち着かないと。
ゆっくりと息を吐いて、吸ってからもう一度ゆっくりと寛容さを装って訊く。
「だから、一体、いくら投資したの? ぶたないから、言ってごらん?」
千尋は財前さんの肩越しにぶるぶると震えながらこちらを見て、そして小さな声で言った。
「……ぶ」
「はい? 聞こえなかったんだけど?」
「全部、だよ。お前の貯金も、店を売った分も、全部……」
「……はぁっ?!」
ぷつん。
「あっ! 副社長! 先生がっ!」
財前さんが叫ぶ。
「えっ? あっ、 ちょっ……! 紗栄?!」
瑛士が背後から私を支える。
ひ――――っ! と、千尋が叫んだ、ような……気がした。
意識が、真っ赤な闇の中に飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます