第72話

――信じられない。


豊嶋千尋!


行方をくらましてはや2か月。


お父さんの初七日にも四十九日にも、姿を見せずに……一体、どこで何をしていたの?



ふつう、まずは肉親へ連絡するものじゃないの?


家族が、心配してるって考えられないの?


千尋の奴!



サペレの本社ビルの前の石畳の通路、においてある石のベンチ。


途方に暮れた表情の総務の片瀬さんが、瑛士を見てあきらかにほっとした。そして後ろからついてきた私を見て、あら? という不思議な表情をする。


そう。不思議な組み合わせに見えるよね、あれからの事情を知らない彼女にとっては。


私は片瀬さんにぺこりと会釈した。片瀬さんも会釈を返してくる。


彼女の傍らのベンチには、しょんぼりと肩を落とす男がひとり。


その男と同じ遺伝子を持っていると思うだけでいらっとしてくる、私の兄の千尋。



「あっ、藤倉さ……ひっ!」


瑛士を見て一瞬ほっと安堵の笑顔を浮かべた千尋は、その背後で険悪な空気を纏う私を見て小さく悲鳴を上げた。


私は瑛士を追い抜いてつかつかと千尋に近づくと、千尋の着ているパーカーを鷲づかみにしてぐらぐらと前後に揺すった。



「千尋! 今までどこにいたの?! お金はどうしたの?!」


それでは私はこれで、と引きつった笑みを浮かべて、片瀬さんは速足で去って行った。金曜の夜の10時近くまで残業、ご苦労様です。しかもこのあほ兄のために。


「お、お、お前こそ何でここに?」


「そんなことはどうでもいいの! 答えてよ! ねぇ、契約金は? 私の貯金はっ?!」


来る途中に瑛士が電話で呼び出した財前さんが、私たちが来た反対側から必死に走ってくるのが見える。


「あっ、ちょっとっ、おっ、落ち着いてっ! しゃ、しゃべれな……」


「そうだ。まずは何があったのか聴かないと」


瑛士が私を、けんかしてるネコを持ち上げるみたいに千尋から引き離す。財前さんが息を切らして私たちのちょっと後ろで止まる。


青ざめた千尋は私を警戒して財前さんの背後に隠れた。私は瑛士に後ろから抑えられて動けない。



「金は……その、投資した会社が、最近音信不通になって……書いてあった住所もでたらめで……」


私は両手で顔を覆って、絶望の悲鳴を小さく漏らした。


いけない。落ち着かないと。


ゆっくりと息を吐いて、吸ってからもう一度ゆっくりと寛容さを装って訊く。


「だから、一体、いくら投資したの? ぶたないから、言ってごらん?」


千尋は財前さんの肩越しにぶるぶると震えながらこちらを見て、そして小さな声で言った。


「……ぶ」


「はい? 聞こえなかったんだけど?」


「全部、だよ。お前の貯金も、店を売った分も、全部……」


「……はぁっ?!」




ぷつん。




「あっ! 副社長! 先生がっ!」


財前さんが叫ぶ。


「えっ? あっ、 ちょっ……! 紗栄?!」


瑛士が背後から私を支える。


ひ――――っ! と、千尋が叫んだ、ような……気がした。




意識が、真っ赤な闇の中に飛んだ。

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