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第71話

「たぶん、藤倉さんは無意識でしょうけど、いつも僕と財前さんはその苦悩を耳にするたびに苦笑しています。あれ? そういえば、今日は一度も呟いてなかったな。なるほど……そういうわけだったのか」


ふふふ、と橋本さんは笑う。




白いメルセデスSクラスクーペで、二人は帰って行った。


あんなゴージャスな車を運転している橋本さんは、普段のおどおどしたところがなくてふつうにかっこいい旦那さんって感で、奥さんを助手席に乗せて幸せそう(奥さんの車らしいけど)。



でも……


ちら。


私は瑛士を冷やかに見る。彼はうろたえ始める。


「どういうことですか? 毎回、なんか無自覚に被害者妄想を呟いてるみたいですけど?」


「……いや、その」


私に嫌われていると思い込んでたのが、ちょっとかわいそうだって思ってたのに。私はすたすたと歩き始める。


「あ、ちょっと、もう呟いてないってば」


「そうですか。よかったですね。でも、また呟くかもしれないですね」


「ほんとに待てって! 逆行はなしで!」


手を掴まれたところで、こらえきれずにぷっと吹き出した。


「逆行って……私いつ、あなたのことを好きだって言ったっけ? 嫌いじゃないとは言ったけど?」


「なっ……!」


「よく考えておくって、言っただけだったと思うんでけど……」


「……」


あ、悔しくて悲しい顔。


からかうのは、もうこの辺にしておこうか。



立ち止まり、向かい合ってウエストのあたりに腕を巻き付け、ぴたりと張り付いて見上げる。


「冗談だよ」


「ひどいな」


「傷ついた?」


「うん。精神的に大きなダメージを負った」


土曜の夜の大通り。人でごった返す舗道で、私たちは立派なバカップルに見えると思う。


注目を浴びるのは嫌だから……


私は瑛士の手を引っ張って歩き出す。すると瑛士は私につかまれた手に力を入れて引き返して止まる。


ふう、とため息をついて振り返る。


「ここでエンドレスな言い合いを続けていたい? 早く帰りたないの? ……あっ、ちょっと!」


瑛士は私を追い抜いて大股で歩き始める。


手をつないだままなので、私は無理矢理引っ張られている。


人混みをぬってぐんぐん歩いていくと、ものの10分ほどで家の近くまで来た。


「ん? 電話、なってない?」


家の前まで来た時に、瑛士のスマホが着信を知らせる。



「……」


「出たら? 急用かもよ?」


とたんに不機嫌な表情で私を恨めしげに見てから、彼はため息をついて着信を受けた。


「……片瀬か。はい、なんだ? ……はぁ?」


信じられない、というような調子の声に、思わず私は瑛士を見上げて首をかしげる。彼は通話したまま私を見下ろす。その表情は、明らかに私に何か関係のある内容のようだ。



「——わかった。今すぐ会社に向かう」


はあ、と深いため息をついて彼は私を見た。


「今から、会社に行かないといけなくなった」


「なにか私に関係あること?」


「どうしてそう思う?」


「だってさっき、通話しながらずっと私を見ていたじゃない?」


「……どうせ隠しておいて、後から知られて恨まれるなら、今言ったほうがいいか」


「だから、何を?」


「——千尋さんが俺と連絡を取りたいと、片瀬に連絡してきたらしい」



「は?」



千尋が?!

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