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第70話

彼女は、大学時代に彼女が橋本さんに片思いをしていた話も、あけすけに話してくれた。


「私、祖母がアメリカ人で、四分の一はヨーロッパの色んな血が混じってるんですよ。若い頃は自分がすごく不細工に思えて、化粧もおしゃれもしなかったんです。でもこの人だけは、他の女の子と分け隔てなく普通に接してくれて。そこに惚れちゃったんですね」



なるほど。ほんとにみにくいアヒルの子だったんですね。


奥さんの話は何もかもが楽しくて、私と愛莉ちゃんは大いに感心したり感動したりした。


やがて愛莉ちゃんはじいやが迎えに来て、先に帰って行った。


ちょっとお手洗いに、と橋本さんが席を立つ。


私と二人だけテーブルに残されると、奥さんはくすくすと笑って言った。



「私、メシがマズいから習って来いって、あの人に行って料理教室に送り出したんですけど。本当はあの人の作るごはんは、まずくはないんですよ」


「あ、やっぱりそうでしたか。そう、橋本さんは、むしろセンスは悪くないほうだと思っていたんです」


奥さんは私のほうに身を乗り出して声を潜めた。


「これ、内緒ですよ。料理教室だって手芸教室だって、何だってよかったんです。あの人が自信を取り戻すための、リハビリになればって」


「そうだったんですね。私もたくさん褒めて、協力させてもらいますね」


「ありがとうございます。いい先生に会えて本当によかった」



私のスマホがぶぶぶと震える。


『今どこ?』と瑛士からメッセージ。


ふふ、とシエナさんが笑む。


「よかったらうちの車でお送りしようと思ったけど、お迎えが来るのかしら?」


「はは。すぐ近所なんです。お迎えは、いまここに来るそうです」


……なんて話していると、橋本さんが戻ってくる。



「何の話を楽しそうにしてたの?」


「先生のお迎えがここにもうすぐ来るんだって」


「へぇー」


「橋本さん」


私は苦笑する。


「はい?」


「誰がお迎えに来ても、普通にスルーしてくださいね」


「はい?」


首をかしげる橋本さんの腕を、奥さんが軽く叩く。


「ばかね。きっとあんたもよく知っている人が来るってことじゃない?」


「へぇ?」


きょとんとする橋本さん。



コンコンコン。


外からガラスがノックされる。


瑛士が立っている。


カフェの入り口を指さすと、彼はうなずいてそちらへ向かった。



橋本さんは一瞬だけ驚いたけど、くすくすと笑いだした。


「なるほど。そういうことですか。はは。藤倉さん、よかったな」


はい?


瑛士は席まで来ると、橋本さんに挨拶をする。橋本さんが奥さんを紹介すると、奥さんはすかさず愛莉ちゃん座っていた私の隣の席を瑛士に勧めて言った。


「プライベートなので、気楽にいきましょう。ね、藤倉さん。そのうちこの二人の顔を立てて、うちの雑誌のインタビューを受けてくれるとありがたいわ」


「ちゃっかり仕事の話しないでよ、シエナ。彼はインタビューとか嫌いだからね。僕の友達を困らせないで」


なんか、ほっこりするな、橋本さん。


「顔出さなくていいなら」


瑛士が苦笑する。


「何言ってるんですか。その顔を出してほしいに決まってるでしょう? うちは女性誌なんですよ?」


シエナさんが反論する。


「橋本さん、さっき言ってた……藤倉さん、よかったなって、あれどういう意味ですか?」


私が話題を変えると、橋本さんはにやりと笑んで瑛士を見た。


「あぁ……それですか。いや、藤倉さんがよく呟いてるので。先生に嫌われてる、確実に嫌われてるって」


橋本さんの声にかぶるように、瑛士がごほごほとうそっぽくせき込む。


「はい? そんなこと、いつ呟いてるんですか?」


私はぎょっとする。


「ええと、毎回、教室で……」


「ちょっ、橋本さん!」


瑛士が私の両耳をふさぐ。奥さんがおなかを抱えて笑っている。



毎回?


教室で???

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