ふたりの気持ち

1

第64話

し――――ん。






「……」


「……」



私とカズマはちょっぴり驚いてぽかんとする。



瑛士が、私の前に出てドアを握りこぶしの側面で殴ったのだ。



「——吉川君」


いつもよりかなり低い声。


「な、なんでしょう?」


さすがに、びびるカズマ。


「キミは同じ職場の宿泊部と料飲部、エステ部門に各一人ずつ親密な関係の女性がいる。それから最近合コンで知り合った保険会社の受付嬢、スーパーでナンパした歯科医の妻もいる。その上、時々お小遣いをくれるネイルサロン経営者のかなり年上の女性もいるよな」


「うわ、なんで知ってるんですか?」


カズマは悪びれる様子もなく、ほえーっと呟きながら感心する。


こいつ……六マタ?


「みんな友達とか知合いですよ」


「いや、みんなそれぞれキミの本命だと思ってるらしいよ」


「思うのは自由だけど……僕の本命は、さ……」


「ストップ。私は高柿先生の後継者なんかじゃないから。料理コンテストが終わったら講師をやめてまた、求職するプーに戻るから!」


私は瑛士の背後から右手を突き出してカズマの言葉を止めてから言った。こう言えばあきらめるか?


「やめたら次は何の仕事するんだよ?」


「それは……」


くうう。そこまではまだよく考えていない。


言葉に詰まると瑛士が鼻先で笑った。



そして私の手を取ると、指先に口づけて私を振り返って言った。


「仕事をしたいならしたらいい。したくないならしなくてもいい。俺は紗栄の意思を尊重する。しなくても、養ってやるから何の心配もしなくていい」



うわ! そ、それ、さっき教えてあげた、橋本さんの奥さんのプロポーズのパクリ……


くぅ。


私は唇をかみしめて目をぎゅっとつぶって笑いを堪える。


そして感動したみたいに後ろから瑛士をぎゅっと抱きしめて、背中に額をつける。


ほんとは笑い顔をカズマに見えないようにするためだけど。



「だから吉川君の心配は無用だ。それから俺は嫉妬深いんだ。いくら弟分でも、家に訪ねてくるのはやめてくれよ」


「案外、心が狭いんですね、藤倉さんて。ご飯くらい、いいじゃん」


「よくない」


「嫉妬深い男は嫌われるよ?」


「うるさい。もしキミがふざけ続けるなら、キミの同僚の自称カノジョたちに六マタをばらす」


「うわぁ。それは反則でしょう。ふーん。まあ、いいや。紗栄ちゃんが出世しないならいいや。じゃあ、帰りまーす」


カズマは手を上げるとあっけなく階段を下りて行った。



なに、あれ?



「……」


「……」


私はそっと瑛士の背から離れた。そして彼を見上げた。ふ、と笑いが込み上げる。


「ありがとう」


瑛士はため息をついてがっくりとうなだれた。


「なんだあの話の通じなさ。全然、悪びれてないし」


「でも私はもう出世しないってあきらめたみたいだから結果OKでしょ。それにしても、なんでカズマの女性関係把握してるの?」


「焼き鳥屋で妙なこと言ってたから、財前に調べさせた」


私は驚いて息をのんだ。


あの時、瑛士はじっと黙って座っていた。財前さんも硬い表情だったけど……二人とも、カズマの発言に驚いてるとは思ったけど。


「あの子が本気であんなこと言ってたと思ったの? あんなの、半分以上は冗談よ。ところで」


私は彼の目を見つめた。彼は首をかしげる。


「午後はまさか、体調が戻ったばかりだからゆっくり過ごすよね?」


「ああ、家で書類とメールチェックでもしようと思う」


「よろしい。それでね、鍋なんだけど」


「うん?」


「6時くらいに、返しに来てくれる?」


「なんで、6時?」


「その頃に来れば、夕飯をご馳走してあげられるから」


瑛士が目を見開く。


そして彼は片手で顔を覆ってうつむいた。


「あ、もしも何か予定があるなら、鍋だけ返してくれればいいけど……」


最後まで言い終わらないうちに声が遮る。


「いや。行く。鍋、持っていく。それじゃ……あとで」



彼はろくにこちらを見ずにそのままくるりと背を向けて、大股3歩で自分のドアの前に行き、鍵を開けて入って行った。




いままでずっと一緒にいたのに、私って……


まだ一緒にいたいみたい。

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