第58話

「俺は会長の婚外子なんだ」


「……そう」


「実の母は菓子職人だった。会長には妻子がいたけど。12歳の時に母親が亡くなって、会長の家に引き取られたんだ」



ああ、だからか。


母親の大好物だったポテトグラタン。


その話をしたとき、何か違和感があった。


会長夫人は健在なのに、まるで故人を思い出すみたいな感じ。


やっぱり、お母さんは亡くなっていたんだ……



「ハンガーグやポテトグラタンは、亡くなったお母さんとの思い出だった?」


「そうだよ。二人で暮らしていたころの思い出。毎年、俺の誕生日と母親の誕生日の2回、とよしま亭に行って夕食を食べていたんだ」


「えっ? うちへの、個人的な思い入れって……」


「うん。いつからかな。7歳くらいから、12歳まで。母親が、とよしま亭の味のファンだったから」


「……」


「あのころ、紗栄のお母さんがフロアをしきっていて、毎年2回やって来る俺たち母子のことを覚えていて。9歳の誕生日からかな。デザートプレートに、ちょうど二人分の小さなケーキをつけてくれるようになったんだ」


「うわぁ。うちのお母さん、ヤルね」


「だろ? 見ていて、察したらしいよ。母子がお互いの誕生日を祝ってるって。デザートはぼっちゃんへのサービスです、私にも同じ年の息子がいるんですよ、って。その分の代金は取ってくれなかった。だからそれからうちの母親が焼き菓子を持っていくようになって、そのうちとよしま亭のデザートの相談を紗栄のお母さんから受けるようになって、チョコレートパンナコッタが生まれたんだよ」


「ええっ? そういえばその頃、メニューに載るようになってた! そういうことだったの……」


とよしま亭の人気デザートのひとつ、チョコレートパンナコッタ。


チョコレートソースを混ぜ込んだチョコレート色のパンナコッタに、生クリームのとろりとした白いソースをかける。


あれは、瑛士のお母さんが協力してくれて生れたメニューだったんだ……



「母親が突然病死して、父親に引き取られるしかなかった。母は若い頃自分の母親とソリが合わなくて家出して、それきりだったから。父の夫人は政略結婚で、俺には異母兄がひとりいた。継母は俺に淡々と義務的に接したけど、それは自分が産んだ兄にも似たような感じだった。政略結婚だったから、会長にも愛情はなかったみたいだ。兄も俺には興味を持っていなかった」


藤倉家は、表面上はうまくいっているらしかった。


「今は俺のことは会長夫人の二番目の息子だと、世間では認識されてる。知ってる人は知ってるけど、口にしない。会長ににらまれるのが怖いんだろうな」



なんか……イメージとは違った。


苦労知らずのおぼっちゃまかと思っていた。


「そんな大事なこと、私に言っちゃっても、大丈夫なの?」


瑛士は肩をすくめる。


「桃のせいだ。まだ少し熱があるんだろうな。自分でもよくわからない。変なこと口走ってないよな?」



これは……


「……ヤバいかも」


私は無意識につぶやく。


「え? なにが?」


瑛士が首をかしげる。


「いや、何でもない。また寝たら? この分なら、明日の朝は平熱に戻ってるでしょう。医者も薬も必要なさそう」


私は席を立ち、瑛士のそばに行き、手を差し出す。


「ほら。連れて行ってあげる」


「……」


瑛士は差し出された私の手をぽかんと見つめる。


数秒経って、ふと口角を上げ、私の手を取る。


すごく、熱い手。まだ微熱があるからだけど……何だろう、その熱は指先からてのひら、腕を伝って、私の心臓に到達する。


すこし寝やつれた、普段の自信に満ちた堂々とした姿とは全く違う弱った姿に、なんだかぎゅうぎゅうと胸が締め付けられる。




やだ、私って、もしかして……




私が手を引き、彼は後ろをおとなしくついてくる。


ゆっくりと階段を上がって主寝室へ向かう。


私の動揺が、手から伝わっていないことを切に願う。


入り口まで来て立ち止まると、手を引かれるがままにぼーっとしながらついて来ていた瑛士が私の方に胸をぶつけた。




「あ、ごめ……」


謝ろうとしてとっさに振り返ると、ごちん、と頭が当たった。



私はかろうじて驚きを飲み込んだ。

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