3

第57話

私はベッドに歩み寄り、座って瑛士を見下ろした。


「目が覚めた? すごい熱だったんだけど。37度6分まで下がっていたところ。なにか飲む?」


「……今、何時?」


「うーん。夕方の6時くらい。ちなみに、土曜日ね」


「まずいな。仕事が、残ってるんだ」


「大丈夫。財前さんがやっておくって。水、持ってくるね」


「ん……風邪ならうつるから……もういいよ、ありがとう」


「あー、もし風邪でも、もう10年以上引いてないから私は大丈夫」



キッチンに行き、冷蔵庫から500mlミネラルウォーターを出す。塩をひとつまみ、その10倍くらいの砂糖、レモン汁少々を入れて混ぜる。コップにちょっと注いで飲んでみる。まずい。経口補水液の出来上がり。


「まずはこれ、飲んでみて」


よく冷えたペットボトルを差し出すと、彼は上半身を起こして一気に半分飲み干した。


「おいしい?」


「うん」


――健康な状態ではめちゃまずいのに、脱水状態だとおいしく感じる、それが経口補水液。



「蓼科、マイナス15度でこの時期では異例のドカ雪で」


「まさか、昨日教室に来た時の、普通に会社帰りのあの格好のまま連れていかれちゃったの?」


「どうせ車から降りればすぐにリゾート施設屋内だからと甘く考えてた」


「しかも一日のうちで一番寒い時間帯に無理して帰って来るから……」


私はナイトテーブルのライトの脇に置かれた濡れタオルを手に取った。瑛士はそれを見てぎょっとする。


「あ、ちょっと、それ……」


すでにぬるくなっている。私はふと笑った。


「なに? もう何時間もぬるくなったタオルを交換してたんだけど? もう起き上がれるならシャワーでもして着替えて降りてきて。食べるもの、用意しておいたから」


何か言いたそうま表情の瑛士を残し、私はさっと彼の寝室を出て行った。




まだ少し調子は悪そうだけれど、シャワーを浴びて着替えてさっぱりした様子の瑛士は、ダイニングテーブルでぼうっと私の動く様子を見ている。自分で持ってきたタッパーを冷蔵庫から出す。ガラス製の小鉢に中身をとりわけ、スプーンを添えてテーブルに出す。


「いつから、世話してくれてた?」


まだ声はかすれている。


「ほんの数時間。財前さんは私たちが本当に付き合ってると思ってるでしょ。だから私にあなたの世話しておいてくれって。これ、食べられる?」


「桃?」


「今は季節外れだから、冷凍ものだけど。コンポート作ってみた」


瑛士はスプーンを手にしてダイスカットにした桃をひとすくい口に入れる。


「!」


がくり。


一瞬目を見開いて、彼はうつむいた。5秒ほど無言で、それから頭を上げてまたひとすくい、そしてまたまたひとすくい食べて考え込む。


「この香りは……コアントロー?」


私は目を見開く。


「そうだよ! よくわかったね!」


桃のコンポート、仕上げにコアントローを少々。


「は。これは……ヤバいな」


「なに? 苦手だった?」


「そうじゃなくて」


桃はものの一分でなくなった。


「おなか減ってるの? まだ桃残ってるけど、おかゆのほうがいい?」


「うん……じゃあ、桃」


「まだ微熱があるから、冷たいほうがいいのかもね。ちょっと待って」


お替りを出すと、これもすぐになくなった。



「小さい頃、風邪で寝込むと缶詰の桃が出てきたの。熱があるとき、食べやすいよね」


「うん、うちは桃ゼリーだったな」


「へぇ。藤倉家でも結構普通だったんだ?」


私がからかい気味に言うと、瑛士はかすかな笑みを浮かべて言った。


「いや、あの家の習慣はよく知らないけど、俺の母親はそうだった」


「えっ?」


……どういう意味?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る