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第57話
私はベッドに歩み寄り、座って瑛士を見下ろした。
「目が覚めた? すごい熱だったんだけど。37度6分まで下がっていたところ。なにか飲む?」
「……今、何時?」
「うーん。夕方の6時くらい。ちなみに、土曜日ね」
「まずいな。仕事が、残ってるんだ」
「大丈夫。財前さんがやっておくって。水、持ってくるね」
「ん……風邪ならうつるから……もういいよ、ありがとう」
「あー、もし風邪でも、もう10年以上引いてないから私は大丈夫」
キッチンに行き、冷蔵庫から500mlミネラルウォーターを出す。塩をひとつまみ、その10倍くらいの砂糖、レモン汁少々を入れて混ぜる。コップにちょっと注いで飲んでみる。まずい。経口補水液の出来上がり。
「まずはこれ、飲んでみて」
よく冷えたペットボトルを差し出すと、彼は上半身を起こして一気に半分飲み干した。
「おいしい?」
「うん」
――健康な状態ではめちゃまずいのに、脱水状態だとおいしく感じる、それが経口補水液。
「蓼科、マイナス15度でこの時期では異例のドカ雪で」
「まさか、昨日教室に来た時の、普通に会社帰りのあの格好のまま連れていかれちゃったの?」
「どうせ車から降りればすぐにリゾート施設屋内だからと甘く考えてた」
「しかも一日のうちで一番寒い時間帯に無理して帰って来るから……」
私はナイトテーブルのライトの脇に置かれた濡れタオルを手に取った。瑛士はそれを見てぎょっとする。
「あ、ちょっと、それ……」
すでにぬるくなっている。私はふと笑った。
「なに? もう何時間もぬるくなったタオルを交換してたんだけど? もう起き上がれるならシャワーでもして着替えて降りてきて。食べるもの、用意しておいたから」
何か言いたそうま表情の瑛士を残し、私はさっと彼の寝室を出て行った。
まだ少し調子は悪そうだけれど、シャワーを浴びて着替えてさっぱりした様子の瑛士は、ダイニングテーブルでぼうっと私の動く様子を見ている。自分で持ってきたタッパーを冷蔵庫から出す。ガラス製の小鉢に中身をとりわけ、スプーンを添えてテーブルに出す。
「いつから、世話してくれてた?」
まだ声はかすれている。
「ほんの数時間。財前さんは私たちが本当に付き合ってると思ってるでしょ。だから私にあなたの世話しておいてくれって。これ、食べられる?」
「桃?」
「今は季節外れだから、冷凍ものだけど。コンポート作ってみた」
瑛士はスプーンを手にしてダイスカットにした桃をひとすくい口に入れる。
「!」
がくり。
一瞬目を見開いて、彼はうつむいた。5秒ほど無言で、それから頭を上げてまたひとすくい、そしてまたまたひとすくい食べて考え込む。
「この香りは……コアントロー?」
私は目を見開く。
「そうだよ! よくわかったね!」
桃のコンポート、仕上げにコアントローを少々。
「は。これは……ヤバいな」
「なに? 苦手だった?」
「そうじゃなくて」
桃はものの一分でなくなった。
「おなか減ってるの? まだ桃残ってるけど、おかゆのほうがいい?」
「うん……じゃあ、桃」
「まだ微熱があるから、冷たいほうがいいのかもね。ちょっと待って」
お替りを出すと、これもすぐになくなった。
「小さい頃、風邪で寝込むと缶詰の桃が出てきたの。熱があるとき、食べやすいよね」
「うん、うちは桃ゼリーだったな」
「へぇ。藤倉家でも結構普通だったんだ?」
私がからかい気味に言うと、瑛士はかすかな笑みを浮かべて言った。
「いや、あの家の習慣はよく知らないけど、俺の母親はそうだった」
「えっ?」
……どういう意味?
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