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第56話

私は不敵な笑みを口元に浮かべ、ひらひらと手を振った。


「私があんな子にころっと丸め込まれるように見えます?」


「はは。そう言われれば、簡単にはいかなそうですね。なにせ、うちの副社長を振り回せるくらいですから」


「振り回してなんて、いませんよ。私は何もしてません」


私は唇を尖らせた。


「自覚がないんですね。あの藤倉瑛士をおろおろさせたり、落ち込ませたりしておいて」


「そんなの、知りませんてば。とにかく、だてに30年も生きてきていないので、心配無用です」



財前さんは、ドアの前まで送ってくれた。


そして彼は瑛士の部屋の鍵を開けて入って行った。


ダウンジャケットを持ってくるように頼まれたらしい。明日の朝早くに、蓼科へ向かうと言っていた。



お風呂に入って体を温めて、ロックでコアントローをちびちびと寝酒としてなめていると、SNSのメッセージが来る。



『こけももを使った料理で思い浮かぶのは?』



はは。蓼科に向かった誰かさんですか。


うーん、こけももか。よし。


『こけももジャムとクリームチーズのタルティーヌ、コンポートと(高原牛乳とかの)アイスクリーム、こけもも入りソーセージ、シカやイノシシのソテーのこけももソース、こけももチーズケーキ、スウェーデンのミートボール?』


送信。



1分後、「いいね!」サムアップの絵文字が来る。



あはは。



どれかお気に召しましたか?



今日の授業のレポートをラップトップでまとめる。






土曜日。


なんと、お昼前まで眠ってしまった。


まあいいか。どうせ急いでやることもない。出かける予定もないし、パーカーとジーンズの楽な格好でのんびり昼ご飯を作る。



作り置きのベシャメルソースとミートソースでラザーニャ風のペンネグラタンを作ってゆっくりと食す。


ワイン、飲んじゃおうか?


いや、買い出しに行くからやめておこう。


食後はコーヒーを飲みながら、タブレットで雑誌を読む。お母さんと電話で千尋はどこにいるのやらと話し、買い出しに行く。車で帰ってきて階段を上がると、ドアにメモが挟まれていた。



『財前です。実は明け方に副社長は戻ってきました。疲れが出たようで寝ています。僕は代わりの業務があるので、面倒をよろしくお願いします』



ええ?


明け方に帰ったと?




日帰りどころか用事が終わったらとんぼ返り? そりゃあ疲れるでしょう。


お隣のドアをノックする。返事は、ない。


ためしにノブを引くと……開いたよ。


「おじゃましますねー……」


そろそろとドアを開ける。ブラインドの降りた室内は暗い。


「寝てるのかな?」


これって、不法侵入かな? でも、面倒よろしくって、財前さんが。


「藤倉瑛士さーん……」


作りが同じならば、主寝室も同じだろう。ドアを開けると、ナイトテーブルの上の弱い明かりのもと、ベッドに寝ている頭が見える。



「ちょっと失礼」


そっと手を伸ばして額に触れると……ああ、熱い。頬に手の甲を当てるとこれも熱い。自分の部屋から持ってきた赤外線のデジタル体温計で測ると38度5分。


「すごい熱じゃないの」


「うん……?」


かすれた声がして、すごく熱い大きな手が私の手をそっと掴んだ。


「冷たくて……いい感じ」


私の手の甲を頬に当て、半分意識がぼんやりしている瑛士はうっとりと呟く。私はそっと自分の手を抜き取り、キッチンへ向かう。



製氷機の氷をボウルに入れて、水を足す。バスルームからフェイスタオルを2本取ってくる(この家には洗面器が見たらない)。冷水に浸して絞り、寝室へ戻る。


冷水で冷たくなった手をそっと額に触れさせる。じわん、と熱が伝わってくる。手の代わりにタオルをそっと置くと、微かに口角が上がる。もう1本のタオルで、そっと首筋の汗をぬぐう。


額のタオルはすぐに蒸しタオルのように温まる。氷水に浸しては置いてを何度か繰り返していると、熱が37度台まで下がってきた。



いったん自分の部屋のキッチンへ戻り、主食系とデザート系を作って15分くらいでお隣へ戻る。



寝室へ向かうと、瑛士が寝たままぼんやりとこちらを見ていた。

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