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第51話

「あなたに恩を売っておくのもいいかもね。やりましょう」


安堵のため息をついて、藤倉さんは椅子の背もたれに寄りかかる。





そういうことで、基本的には公表していない自宅住所に送り込まれてきたお見合い相手・お見合い候補者が来たら、恋人のふりをして話を合わせる。


ちょろいバイトだわ。


品質調査の抜き打ちモニターに一緒に行くことで、世間にそこはかとなく恋人の存在を認知させる。


私には失うものは何もないし、「別れる」ということになっても経済界の将来の大物相手なら、「藤倉瑛士の元カノ」って言われて箔が付くだけだから、何も困らないしね。



そとはまだ雨。


それから、いくつか確認事項を一緒にリストアップした。




「ですますナシ。名前で呼び合うこと。俺の名前、憶えてる?」


「あたりまえでしょう? 初めて会社に乗り込む前に、敵を知ろうとネット検索しまくったし、Sクラスの名簿にもあるじゃない」


「じゃ、呼んでみて?」


「な、なに、なんで?」


「人前でちゃんと呼べるか? ほら」


「……じ」


「はい?」


口角が上がってる。


なによ。


面白がってるでしょ。



私はずいっとテーブルに身を乗り出した。じっと目を見つめて、凝視でうるうるしてきたところで静かに名前を呼んだ。


「……エイジ」


「なっ……なんだっていうんだ」


「呼べって言ったくせに。照れないでよ」


私は唇を尖らせた。


「……いや、想定外の破壊力で」


ふい、と顔をそらされた。耳、赤い。



「それと」


藤倉さん、あ、いや、瑛士は気を取り直し、目をすがめて言った。


「昨夜みたいに、男と二人きりで飲みに行かないこと。どこで誰が見てるかわからないから」


「は? あれが男に見えるの? あれは、ティラノサウルスになりそこなった弟分よ?」


「……本気で言ってるのか? とにかく、誤解を招けばこの作戦は無駄になる」


「はいはい。了解。でも、ひとつだけちょっと引っかかるんだけど」


私は首をかしげる。


「なにが?」


「バイトっていったけど。べつに、お金はいいかな。抜き打ちモニターで食べ歩きできるだけでいいや」


「えっ?」


「だって……お金もらったら、なんか、愛人みたいじゃない」


「……」


「それこそ、どこかから外部に漏れたら大スキャンダルになって、大企業の役員という社会的立場とか企業のイメージとかに傷がつくんじゃない? だから給料は、食事でいいわ。それに……」


私はくすっと笑った。


「意趣返しにもなるから、モトはとれるしね」


「意趣返し?」


「そう。高柿先生へのね。私たちが付き合ってるって知ったら? 面白がるでしょう? 騙し返すのも、楽しそうじゃない?」


「ああ、なるほど。でもそれで本当にいいのか?」


「お金は高柿先生がたくさん給料くれるから。私はモニターでいい」


「わかった」





*****************************





気が付くと外はうっすらと暗くなり始めていた。


とりあえず大まかな決まり事を決めて、紗栄は着替えるために部屋へ戻って行った。



瑛士はダイニングテーブルで両手で顔を覆っていた。




一体、俺は彼女に何という提案をしたのか。




今朝は明け方まで3階の書斎で仕事をしていた。朝方に眠って、昼前に目が覚めた。目が覚めてすぐ、窓を覗くと紗栄が出かけるところだった。


(あれは、高柿先生の車か)


去ってゆく車を見送り、シャワーを浴びた後、彼は遅めの朝食兼早めの昼食を冷凍の総菜で済ませた。今度新しく手掛ける、サペレの健康志向の冷凍総菜のサンプルだ。


それからまたほかの事業の資料に目を通していると、チャイムが鳴った。


出ると、半月前に実家でだまされてお見合いさせられた政治家の娘だった。



断ったのに……



継母の仕業に違いない。


彼は心の中で舌打ちした。

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