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第50話

雨音がかすかに聞こえる。


今日は朝から頭が痛かったことを思い出した。



うちと同じ、白いダイニングテーブル。


湿気を含んだ早春の午後の空気に立ち昇る、ベルガモットの香気。


この人って、お茶を淹れるのはうまいみたい。



「去年から見合いを断っていたら、半月ほど前に実家に寄った時に、はめられた。断ったけどちゃんと伝わってなかったのか、母の差し金で尋ねてきたんだ」


「そうですか。あんな断り方しても、いずれバレるでしょう?」


「うっ、たしかに」


「いいじゃないですか? 家政婦さん、必要なくなりますよ? あ、誤解しないでくださいね、全世界の奥さんという存在を家政婦とイコールだとは思ってないですから」


「それは今はどうでもいい。フェミニズム論より大事なのは、エンドレスに送り込まれるお見合い相手なんだ」


「それは藤倉さんの問題であって、私のではないです」


「冷たいな。ガチガチの第三者的意見か」


「冷たいって、どの口が言うんですか? 売買契約を無しにしてってお願いしてもきいてくれなかった人が」


「そ、それとこれとは次元が違うだろう? あれは一度動き出せば多くの人がかかわってくるんだ」


「ふーん。そうですね。はいはい」



私は美しいフランスのハイブランドのティーカップに注がれたアールグレイを啜った。


藤倉さんは、大きなため息をわざとらしくついた。


「とにかく、料理教室もあるし、あの先生に頼んでいる一大プロジェクトもあるし、とよしま亭のこともあるし、お見合いなんかしてる場合じゃないんだ」


「どうしてですか? 別に副社長なんだから、他の社員に任せればいいじゃないですか?」


「任せられたら初めから自分で進めない。いずれ利益のために結婚させられるだろうけど、今はまだそんなことに時間を作りたくないんだ」


「ふーん。大変ですね!」


「思ってないことをよく口にできるよな?」


「思うほどのことじゃないけど、素直な意見です」


「……」


「でもよく、私が高柿先生とランチだったって、わかりましたね?」


「昼前に黒のレクサスが下に停まった。今戻ってきたとしたら十中八九そうだと思った」


「タイミング、まずいところに帰ってきちゃったなぁ」


私は唇を尖らせた。藤倉さんは首を横に振る。


「いやむしろ、絶妙なタイミングだった」


ふん。


あなたにとってはね。




「それで、どうして私はここでお茶してるんです? 先生と何食べてきたか訊きたいんですか?」


いぶかし気に質問すると、言いかけては止め、言いかけては止めを3回繰り返し、それから藤倉さんは言った。


「バイトしないか?」


「は?」


「バイト」


「なんの?」


「さっきみたいなのが送り込まれてきたら、あんな感じで追い払う……?」


「……はっきり言ったらどうです? カノジョのふりをしろってことでしょ? 都合のいい時だけ」


「端的に言えば、そう」


「……私今、お金に困ってはないんですよね」


「各店舗の抜き打ちモニターもできる」


「……それは魅力的……」


「その時に役立つ意見をくれたら、特別謝礼も出そう」


「ふーん……」



何この楽しい状況。


経済誌に『世界を変える100人』に選ばれた人が、必死の形相で私の反応をうかがっている。



私は肩をすくめて言った。

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