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第48話

土曜日は朝から雨が静かに降っていた。



気圧が低いせいか、頭痛がする。



朝食はチョコレート入りのクロワッサンとカプチーノ。


部屋の掃除をして洗濯物を乾燥機で乾かして、午前10時にはソファでぼんやりする。



今日は高柿先生とランチの予定だ。


ひと月半の、教室の報告を兼ねて。


11時半、家の前に黒いレクサスが迎えに来る。


牧田秘書が明けてくれた後部座席に乗り込むと、グレーがかった薄萌黄の着物を素敵に着こなしている高柿先生が私ににっこり微笑んだ。



郊外の、旅館のような外観の一件の古い作りの家? 竹林に囲まれている。


看板が、出ていない。


しとしとと早春の小雨が降る中、和服姿の60代くらいの女将さんが出迎えてくれた。


「先生、ようこそお越しくださいました」


従業員の差し出す番傘(!)の下で、女将さんは丁寧なあいさつをした。


私は大きな傘を自分と高柿先生にさしている。高柿先生は朗らかに笑んだ。


「お久しぶりです、静乃さん」



そこは明治時代から続く料亭で、『竹里館たけさとのやかた』という。女将さんは高柿先生のお弟子さんだった方らしい。


個室に通されると、女将さんが手ずからお茶を入れてくれた。


「今日はまた、かわいらしいお嬢さんをお連れですね」


はは。お嬢さん、ていう年でもないんだけど。


「ええ。下積み時代の先輩のお孫さんでね。たった三つの頃から料理人よ。15歳の誕生日に、私が包丁をプレゼントしたの、あなた、覚えてらっしゃる?」


高柿先生の言葉に女将さんはぽんと両手を打つ。


「あら……まあ! では、とよしま亭の? あらあら、もちろん、おぼえております! まあ! ようこそ、お嬢さん!」




うん?


女将さんは、私のことを間接的にご存じみたい。


「当時は、先生が15歳の少女にご自身で選ばれた包丁を贈られたということで、弟子の私たちはとても驚いたのですよ」


そうだったのか。うちの家族は誰も、包丁の送り主が誰か教えてくれなかったから、あれはおじいちゃんがくれたとばかり思っていた。


「今でも大切に使わせていただいています」


それは本当。イタリアにも持って行ってたし。研ぎも自分でしてる。



女将さんが退出すると、高柿先生は私に微笑みかけた。


「調子はどう?」


私は肩をすくめた。


「みなさん落ちこぼれと聞いていましたけど、よく理解してくれます。上山さんは第3回目以降毎日ナポリタンを作って練習しているみたいです。田所さんは心なしか自信が身についたように思えます」


「ふふふ。思った通り、あなたはコミュニケーション力が高いわね。特に料理を通せば、相手が何を求めているのかが自然にわかるみたい」


「はは。そんな大したことじゃないですけど。楽しそうに料理してくれているのを見るのは私も楽しいです」


「愛莉さんも、ちょっと雰囲気が柔らかくなったわ。あなたに感化されてるのね。そのまま引き続きどんどん感化してちょうだい」


「はあ。特別何もしていませんが」


「いいのいいの。そのまんまでいいの。あの冷血漢もちょっと変わってきたし」


「誰のことです?」


「藤倉のおぼっちゃんよ」


「ああ……先生、一体どうして彼をSクラスに入れたんですか? 料理教室に入れたいなら、普通のクラスでも十分いけてますけど」


先生は首を横にふる。


「だめよ。愛莉さんとはまた別の意味で、彼にも足りないものがあるの。それに、ほかの教室に彼を入れてごらんなさい? あの外見に見とれちゃって、誰もまともに指導できないでしょう? ほかの生徒さんたちだって、彼がいたら料理どころじゃないわよ?」


はは……そんな理由?


「本当に大きなプロジェクトを受ける条件として、通わせているんですか?」


「まあね。面白いから。それに……」


高柿先生は楽し気に笑んだ。

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