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第43話
「それで? 浅井さんのために、どんな驚きのレシピを用意するの? もう頭の中では、完成したみたいだけど」
和服美女がおいていったお茶セット。急須を持ち上げてお茶を注ぎながら藤倉んさんが口の端を引き上げる。
差し出されたお茶を恐縮して受け取る。
「あっ、ありがとうございます。ええと、まぁ、今回は特別な食材とかではなくて。奥さんが息子さんのためによく作っていたポークソテーでしょう? だから、主婦が作るような、シンプルな感じで。でも、ぷりっぷりのふわっふわに仕上げるコツをみなさんに教えるつもりですよ」
「豚ロース肉を?」
「そう。スーパーの特売で買った肉でも、お高い精肉店で買ったお高い肉かと間違うくらいに」
「へぇ。それはまた楽しみ」
あ、笑った。端正な顔立ちのせいで冷たい人に見えていたけれど、笑うと優し気になるんだな。
「失礼いたします」
襖が開き、和服美女とほか2名の従業員がワゴンにのせてきた料理をテーブルに並べる。出汁の入った鍋をテーブル中央のコンロにセットして添加して、ものの1,2分ですべてがそろった。
飲み物はノンアルコールと言っていたから、ビールもハイボールもワインもすべてそうなのだろう。好きなものをどうぞというので、私はノンアルビールにした。藤倉さんはハイボールもどき。
軽く乾杯をして、藤倉さんがシャツを腕まくりして菜箸を取った。
ぽいぽいと、シイタケや長ネギ、水菜、白菜が鍋に投入される。
「教室でも思ったんですけど。料理しないという割には手際がいいですよね?」
私の疑問に藤倉さんは口の片端を上げる。
「これは料理じゃないから」
はは。まあね。
「でもサペレに配属された最初の頃は、あらゆるジャンルの店舗で厨房もフロアも秘書の名前をかたって、いち従業員として職業体験した。調理補助もしたし、給仕もしたんだ」
「ええ?」
本当に? そんなことまで?
創業者一族のひとりだから、現場にはかかわらないと思ってたけど……意外。
「おかげでいろいろな問題点や改善点が分かったし、従業員たちの働きやすさや福利厚生にも気を配れた」
さすが、『世界を変える100人(経済界)』に選ばれるだけはあるのね。
サペレは新しい企業なのに、毎回、新卒者が就職したい優良企業の上位に選ばれているらしい。
有機野菜もブランド黒毛和牛もおいしくいただき、幸せ過ぎて脳の働きが鈍くなった。
帰り際に料理の感想を聞かれ、鈍くなった頭で考えてあれこれ答えた。それから藤倉さんが和服美女に料理やサービング、器などについてもろもろの指示を出した。「お会計は?」とこそっと訊くと、「モニターとして貢献したからナシ」とこそっと返された。
これも仕事のうちだって。
「お礼のお礼って」
ぷっ。思わず吹き出してしまった。
「……でもとりあえず、ゴージャスなランチをごちそうさまでした」
「モニターだけどね!」
吹き出すだけでなく、あははと笑ってしまった。
おいしいものは、警戒心を緩ませる。
そう。
おいしいものをおなか一杯に食べたから、周囲への警戒心が散漫になっていた。
だから地下駐車場へ各フロアをのんびりとめぐり、サペレのほかの系列店を見せてもらいながら歩いているときに、周囲への注意が散漫になっていたことは否定できない。
だから知っている人物がこちらを見ていても、全く気付かなかったのだ。
まさかその人物が、その時に藤倉さんと歩く私を見て、何を考えているのかも。
まったく。
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