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第42話

そう言えば私も、お父さんの大好物ってよくわからないな。


好きだったものはなんとなくわかるけど。今度お母さんに訊いてみよう。



息子さんの大好物を作ってみたい、そんな浅井さんの気持ちがよくわかる気がする。



「浅井さん!」


私はこたつに身を乗り出して言った。



「八助は来週は、大丈夫ですよね?」


浅井さんはやや面食らいながらこくりとうなずいた。


「ああ、はい、来週は行きます。もう2週も休んじゃいましたからね」


「では、来週は作り方の説明、再来週はいよいよ作りますよ、ポークソテーおろし玉ねぎソース!」


「お、おう、よろしくお願いします」


ぺこり。ごっつい浅井さんは神妙に頭を下げた。




「紗栄さん、駅前で降ろしてもらえますか? 西口で結構です」


帰り道、愛莉ちゃんが助手席でスマホを見ながら言った。


「なぁに? 一緒にランチしないの?」


「ちょっと、今、用事が出来ました。電車に乗らないと。ランチなら藤倉さんとどうぞ」


ロボット・愛莉は西口のロータリーで下車すると、「では」と言ってクールに去って行った。


藤倉さんがお隣だったと今朝話したら、「つい最近、先生から聴きました」で終わりだった。



「とりあえず、ランチ、行きますか?」


後部座席の藤倉さんに訊く。


「ああ、それじゃあ、あのビルの最上階に行こうか」


運転席と助手席の間からひょっこりと顔を出し、藤倉さんは駅の東側の大通りのそびえたつ商業ビルを指さした。




わぁ。


土曜のお昼時真っただ中。30階建ての上階5フロアすべてがフードコート。そしてすごい人混み。


最上階の一番大きな面積の一角。店の外、エレベーターに続く曲がり角を超える長蛇の列をしり目に、藤倉さんは涼しい顔で店内に入る。


高級黒毛和牛のしゃぶしゃぶの店・「しぐれ庵」。


店内に一歩入れば、完全個室の快適な静けさ。


お昼でも確か、ひとり一万円超えるよね? ここって。



着物姿の美しい女性が入り口近くで待機していて、藤倉さんを見るや丁寧にお辞儀をした。


「いらっしゃいませ、副社長」


「急な割り込みで悪い」


「いいえ。ご用意はできております。紅梅の間へご案内いたします」



はは……


ここは、サペレの系列店舗のひとつなのね。




二枚ふすまに描かれた墨絵の紅梅の枝々。障子を張った和モダンな丸窓。床の間に掛けられた優美な花鳥の掛け軸。


ここが30階建てビルの最上階ということを忘れてしまう風情。


「あっち。どうぞ」


とん、と肩をつつかれて、奥に誘導される。えええ。上座?


「適当に3人分、お願いする」


「かしこまりました。お飲み物はどうなさいますか?」


「そうだな、それもよく出てるノンアルコールを数種類」


和服の美女は店長か、責任者なのだろう。個室入り口の外で緊張気味に待っている若い男性店員に指示を出し、藤倉さんにお辞儀をして襖を閉めた。



「抜き打ち品質チェック?」


「そう、たまにはしないと」


「すごい人気ですね。外の通路奥まで行列ですよ」


「ここは予約優先なんだ。周辺の企業の役員会議や海外要人の接待、高くてもいい肉をというシニア世代や富裕層によく利用してもらってる。だから店員も全員が料亭やかっぽう、四つ星以上のレストランで働いた経験者ばかりなんだ」



—―私が泣きわめいたり怒ったりしたのがいけないんだろうけど。普段はどこか私の顔色をおそるおそる窺っていることが多い藤倉さんだけど、事業の話をしている時には、手の届かないはるかかなたの一等星のように思える。



ああ……欧米の経済誌で注目されているように人に、私はかなり失礼なことをしたり、言ったりしている。


それなのにこの人は、失礼だとも無礼だとも怒らないし、驕った態度で圧をかけてくることもない。




ちょっと、罪悪感。

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