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第34話

「——だからさっきの女性には、普通に接してたのか」


藤倉さんがごほん、と咳をするふりをして笑いをごまかしながらぼそっと言った。


田所さんはこくりとうなずいた。


「僕にとってああいう女性は腸内にたまる悪玉菌のようなものです。いや、悪玉菌ならば対処法はわかりますが、悪玉菌のような女性の駆除は100%とは言えません」


ぶはっ。


私たち3人は熱燗を吹き出してしまった。


「あ、悪玉菌……腸内のお花畑を荒らす、悪い奴ですね?」


笑いを堪えた震える声で、私は至極まじめに言った。


「そうです。さすが、先生は栄養士の資格をお持ちでしたね」


「ええ。いい菌のことならひととおりわかりますよ。もちろん、田所さんのような専門家レベルではないですけどね」


愛莉ちゃんが珍しくふっと柔らかく笑む。


「でも、安心しました。ああいうのが悪い奴だって、ちゃんとわかってはいるんですね」


田所さんは苦笑する。


「もちろんです。菌ばかり研究していても、だてに長く生きていませんからね。でも先ほどは襲われているところを助けていただきまして、ありがとうございました」


ぺこ。田所さんが愛莉ちゃんに頭を下げる。


私と藤倉さんはうつむいて笑いを堪える。


愛莉ちゃんは少しだけ照れてそっぽを向いた。




おでんが、夕飯代わりになった。


屋台村に愛莉ちゃんの「じいや」がお迎えに現れた。時刻はすでに23時を回っていた。


「今夜は僕からのお礼をかねたおごりです!」


下戸なのに有無を言わさずに会計を済ませ、田所さんはさわやかに駅に向かって去って行った。


そんな毅然とした態度が取れるなんて、いつものもじもじ、おどおどな田所さんからは想像もつかなかった。




うむむ。




今、気が付いた。


気まずい……残ったのは、藤倉さんと私だけ。




「で、では!」


ひきつる笑顔で去りかける私の腕を、藤倉さんがはっしと捕まえた。


「さすがにもう遅いから。どうせ同じところに帰るんだし」


「誤解を招く言い方じゃないですか? それ」


「事実じゃないですか? 住所が部屋番号の前までは同じなんだから」


屋台村を出た石畳の縁。


あきらかにべろべろに酔っぱらった学生の飲みの集団が、カラスの群れのようにぎゃあぎゃあと騒ぎながらやってきた。そのうちの数人が、よろめいて私のほうにふらついてきた。


ぐいっと後ろから肘を引かれ、おなかに腕が回り脚が宙に浮いた。


やだ! 決してか弱く身が軽いわけじゃないのに! 



おおおおお!


おにーさん、すてき! 


ひゅーひゅー。



学生たちが私たちに奇声を上げながら、ふらふらと歩き去る。


酔っぱらった子供たちにからかわれるのはどうでもいいけど、ちょっと、なんか今日はさっきから距離感おかしくないですか?



すとん、と地面に下ろされる。


「お、重いのに!」


「いくら重いって言っても、あなた一人くらい持ち上げられないわけないでしょう?」


「う……なにも、持ち上げなくても、反対側にぽーんと引っ張ればよかったでしょう?」


「そんなことして暗がりで転んだら、本末転倒でしょう?」


「……こんなことしても、レシピは、渡さないんだから!」



藤倉さんは盛大な溜息をついた。


「レシピのことなんて、まったく考えてなかったけど」


「……」


「あの、この際だから、はっきり言っておきたいんだけど」


「なんで、いきなりため口」


「今は真夜中近くであなたは先生じゃないし、俺も店を買収した悪徳会社の副社長じゃないから」


「悪徳って、認めた!」


私は彼を指さす。


「そっちがそう思ってると思っただけ。うちはクリーンな会社だ!」


「でもうちの無知な兄を騙して、店を買い取っちゃったじゃない!」


「ああ、もう、だからちょっと聴けって!」


藤倉さんは私の両腕をつかんだ。私たちは真正面で向かい合う。

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