第33話

でも次の瞬間、田所さんが愛莉ちゃんの前に出た。



おお!



ばこん!



ぷはっ! 笑ってはいけない。でも、なんか、コントみたい。




女性の振り上げたハンドバッグが、田所さんの顔面を直撃し、彼の銀縁眼鏡が舗道にかしゃんと軽い音を立てて落ちた。


「うわっ、田所さん!」


愛莉ちゃんは眼鏡を拾って田所さんの腕を揺すった。


「だ、大丈夫、ですっ!」


「なによぅっ!」


女性はわーん!! と嘘みたいな泣き声をあげながらその場を走り去っていった。




い……一種の、修羅場?!



「!」


私はびくりと肩を縮める。背後から腕をそっと掴まれたからだ。


目の前の一風変わったドラマに気を取られ過ぎていた。


そのまま私は藤倉さんに押し出されて、田所さんと愛莉ちゃんに近づいた。





駅前からすぐの特設広場の、夜間限定の屋台村。


冷気よけのビニールハウスみたいな囲いの中のテーブルで、なぜか? 私と愛莉ちゃん、田所さんと藤倉さんはおでんと熱燗を前に座っている。



「さっきのひとは、同僚なんですが、僕のお金が目当てでプロポーズしてきたんです」


「えっ? なんで、お金が目当てって?」


私が驚くと、彼は相変わらず視線を合わせないで応える。


「彼女とほかの女性社員が給湯室で話しているのを聞いてしまったんです。田所は研究一筋で彼女もなくあのトシで独身で大した趣味もないんだから、相当貯めこんでるはずだ、あいつと我慢して結婚すれば、ラクに贅沢ができるだろう、って……」


「はぁぁぁ?」


私はムカついて目をむいて首をかしげた。


田所さんは弱弱しく苦笑する。


「いいんです。確かに僕の長所は彼女たちが言うようなことくらいですから。自分でもよくわかっています」


ばん!


おでんの汁やコップの熱燗が派手に飛び散る。いや、私の仕業ではない。


愛莉ちゃんが冷ややかな表情でテーブルに拳を叩きつけたのだ。私たち3人は、びくっと身を縮めた。


「——田所さん」


感情の起伏のない声。


「はっ、はいぃぃぃ」


ビビる田所さん。


「だからって、あんなてきとうなオバハンに狙われるとは」


「で、ですが、僕もオジサンですし……しかたないです」


「仕方なくは、ない」


「えっ……」


「あの人は、何の努力もしていないでしょう。もうトシだからって自分に気を使わなくてもいいんですか? それなのに、そんな自分でもあなたのことは余裕で手に入ると思ってるんですよ。あんなのにナメられては、だめです」




ああ。外見で周りの反応が違うことを知る愛莉ちゃんには、ちょっと癪に障る話なのかもしれない。


私はため息をついた。


「私たちはあらかじめ高柿先生から田所さんは女性恐怖症だから目を合わせられないと聞いていたので、合わせてくれなくても不審に思いませんけど。何が原因でそうなったのか、訊いてみてもいいですか?」


私の問いに、彼はこくりとうなずいた。


「学生の頃に、ある女性と出会いました。菌類とばかりいっしょにいる僕には、もったいないくらいの素敵な人でした。美人で、優しくて、明るくて知的で。大学の構内で出会ったけど、彼女は学生ではなかったんです。お付き合いをして三か月くらいたったころ、彼女が誕生日にプレゼントを欲しいと言って、カフェに行くと派手な女性がいて。その人からダイヤの指輪を買わされたんです」


あちゃぁ。それって……


藤倉さんががっくりと頭を下げる。愛莉ちゃんは口を一文字に固く引きむすぶ。


「75万円のローンをその場で組まされて……彼女がとても喜んでいたし、いいかなと思ったんです。でもそれから2週間くらい経つと、ぷっつりと連絡が途絶えて、だまされたことに気づいたんです」


田所さんはぐい、と熱燗を呷ってふーっと長い息をついた。


「それ以来、僕は、美人が苦手なんです」

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