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第30話

「本音を、おっしゃってください。あなたの作ったものからみれば、雲泥の差だ」



そりゃあ、そうでしょうよ。私は洋食屋で育ったんだもの。


私は浅くため息をついた。



「合格は、おいしいって意味ですよ? 素人にしては十分です」


「でも、何か決定的に足らないんでしょう?」




う。




「うーん。プロになるわけじゃないから、そこまで追求しなくてもいいと思いますよ」


「そうだよ。藤倉さん。大企業の役員さんにしては上出来だよ」


浅井さんが同意する。みんなもうんうんとうなずく。藤倉さんは何か言いたげだったけれど、それ以上はなにも言わなかった。



「それで、次は田所さん。うーん、塩気が足りないみたいですね。ベーコンとソースが焦げ過ぎました」


「ははは。自分でも、わかったんですけど……練習します」


ぽそぽそともじもじしながらつぶやく。また目は合わせてくれないけれど……ま、いいか。


「はじめてにしては、上出来でしたよ」



私はホワイトボードの前に戻る。


「実はナポリタンは、横浜生まれの日本の洋食です。横浜、すごいですね。ドリアとかカレーライスとか、冷やし中華とか、アイスクリームとか。イタリアにはナポリ風スパゲッティがありますけど、日本のナポリタンとは別物です。これは私の持論なんですが、ナポリタンはイタリアンじゃないので、日常に慣れ親しんだ料理として気楽に作ればいいと思います。自分の好きにアレンジして、おいしいと思う作り方を見つければいいです」


「先生……亡くなった妻が、いつもおいしいおいしいって食べてくれたのは……俺に気を使ってたってことでしょうか」


上山さんがおずおずと質問した。私は静かに長く息を吐いた。




この人に、言っても大丈夫だろうか。




「あくまで、私の予想ですが」


「はい、お願いします」


「奥様は、7年前に何で亡くなられましたか?」


「胃がんでした。ずっと健康だったのに、いきなり悪化して」


「では、がん治療をなさっていましたか?」


「はい。病院は嫌だと言って、自宅療養でしたが」


「おそらくは……がん治療の副作用で、味覚障害が起きていたのかもしれません」


「味覚障害ですか?」



「はい。味覚障害はストレスや精神的な障害、病気の副作用などで起きることがあります。亜鉛が不足すると味を感知する舌の機能が低下します。奥様が味覚障害を起こしていたとして……」


私は上山さんをじっと見つめた。


「奥様は上山さんに、心配をかけたくなかったのでしょう。何を食べても何の味もしない、それを隠して、一生懸命にご飯を作ってくれる夫にそのことを言えず、おいしい、おいしいって食べていたのではないでしょうか」


「そんな……」


「味覚を失っていた彼女にとって、おいしい料理もおいしくない料理もすべて同じだった。でも、愛情がこもった料理は同じじゃなかった、と言うことです」




みんなの眉が下がった。


橋本さんは涙ぐんでいる。


愛莉ちゃんと藤倉さんはじっと一点を見つめて何かを考えている。


ぽん、と浅井さんが上山さんの肩に手を置く。上山さんはうつむいて、声を出さずに目元を袖で拭った。


「火加減と、全体の量のバランスです。練習しておいしく作って、奥様の仏前に備えましょうね?」


「はい」


上山さんは顔をあげずにこくりとうなずいた。




私の予想が合っているかどうかは謎だけど……


私が奥さんで夫を置いて先立たないといけないとしたら……きっとそうすると思う。

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