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第22話
ざわっ、と小さな教室がさざ波立つ。
私はドアを開けた人物を見て何が起こったのか混乱したまま固まる。
私の脇でバインダーを見下ろして、愛莉ちゃんが淡々と言う。
「——最後の生徒さん、藤倉、瑛士さん。あらら。同姓同名かと思ったら、サペレの副社長、ご本人だったんですね」
生徒たちがどよめく。
「ちょっと、いつまで大きな図体で戸口をふさぐつもりかしら? 早くお入りなさいな」
戸口で固まっているのは、藤倉瑛士も同様のようだ。ここが私の担当クラスだとは知らずに来たことは明白だった。
戸にかかった彼の腕を後ろからつかんで外し下ろし、背中を押して入ってきた小柄な老女を見て、生徒たちはまたどよめいた。
今日も素敵な大正初期風の、チャコールグレーの太い縦じまに梅の花があしらわれたシックなお着物姿。
「高柿先生っ‼」
生徒たちは3人くらい、驚いて立ち上がってしまった。高柿先生は私の隣まですたすたと歩いてくると、彼らに向かって手をひらひらと振った。
「みなさん、こんばんは。突然失礼します。この料理教室主催の高柿でございます。どうぞお座りください」
こここ、こんばんは!
生徒たちは緊張気味に挨拶を返す。高柿先生は満足の笑顔でうんうんとうなずいた。
「ほら、あなたも遅刻なんですから、早くお座りなさいな?」
彼女は連れを振り返り、呆れた口調で言った。
それではっと我に返ったらしい藤倉瑛士は微かに頭を下げ、私の傍らを通り過ぎて向かって左の空いている席に腰を下ろした。
一体……どういうこと?
「みなさん。本日は新しい講師をご紹介します。豊嶋紗栄先生です。こんなに若いかたですけど、料理の腕前はわたくしが保証いたします。みなさんがご希望のお料理をマスターできるように、これからは紗栄先生がみなさんの担当です。さあ、紗栄先生、ご挨拶をどうぞ?」
いきなり振られて私も我に返る。
「あ、はい。ご紹介にあずかりました、豊嶋紗栄と申します。先月までミラノのリストランテで働いていました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
高柿先生は満面の笑みで拍手する。生徒たちからも拍手がぱちぱちと聞こえてくる。
「素敵な先生でしょう? こんな美人さんにお料理を教わるなんて、みなさんはなんてラッキーな殿方なんでしょう。そしてあちらは先生のアシスタント、これまたかわいらしい松原愛莉嬢です」
「松原です。どうぞよろしくお願いいたします」
愛莉ちゃんはロボットに徹する。
「さあー、では次は皆さんの番ですね。えぇと、そうねぇ……10月から通っていらっしゃる方たちから……
私はちょっと動揺しているけど、愛莉ちゃんは平然としている。目が合うと、彼女はちょっと肩をすくめた。
高柿先生の突飛な行動には慣れっこのようだ。
御指名を受けた神山さんは、ころっとした中年のおなかを調理台と椅子の間につっかえさせながら、おずおずと立ち上がった。
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