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第19話

ああああ。


自己嫌悪。



私って、あんな根性悪い人間だったっけ?


丁寧にお願いされても、譲れないものは譲れない。



とよしま亭のレシピは、門外不出なのだ。



幼い頃から厨房をうろついて、包丁さばきも味加減も火加減も、すべては見よう見まねで覚えたのだ。


見て、実際に作ってみて、何が足りなくて何が多すぎるのかを研究する。文字でなんて、残さない。すべては勘。経験の積み重ねだ。


だからとよしま亭98年のレシピは、ほぼ20年間厨房に立っていた私の頭の中にある。



あのあと、私は庭を走り去った。


絶望的な表情で呆然と立ち尽くす大企業の副社長を、その場に置き去りにして。


サペレの事情なんて、私には関係ない。


家も庭もそのまま残すと言われても、感謝しようとは思わない。もう、奪われたから。形が残されても、もうあの家は私の家じゃないから。




翌日、私は愛莉ちゃんと料理教室で作戦会議を開いた。


「紗栄さん、先週新規で1名、入会の申し込みがありました。面談して入会決定です」


「ああ、知り合いの子なの。カズマでしょう?」


「はい、吉川和真さんですよね。それで昨日、先生から申し付かったんですが、あと2名新規が増えるそうです」


「えっ? それじゃあ、5,6……7名になるってこと?」


「そういうことになりますね。新たな2名については後日資料を下さるそうです」


「まあ、5人も7人もそう変わらないからいいか。7人もいたら、だれか1人や2人は料理が上達して、コンテストに入賞してくれるかもしれないわね……」


「だといいですけど」


「ところで、なんでSクラスっていうのかな? 『スペシャルクラス』かな? 知ってる?」


「ああ、『すくえないほどセンスのないクラス』だって、先生が命名されました」



ぶはっ。



どんだけ?



「——まあ、最初の4名を見る限り、しょうがないっぽいけど」


「ここから入賞者を出したら、快挙ですよ。うちは全国に17校の調理専門学校があります。コンテストは17校全校の素人クラスが約150組くらい参加するんです」


「ははは。だから入賞したら特別ボーナスくれるって? たしかに、致命的など素人を入賞させるまで上達したら、学校のいい宣伝になるものね」


「そのとおりです。今まで、凄腕のベテラン講師たちでも、彼らを上達させることはできませんでした。いわばうちの教室のお荷物ですが、本人たちがやめると言い出さない限り、なにか問題行動を起こしたわけでもないのでうちからはやめろとは言えませんので」


「はははははは。あー、楽しくなってきたよ! おなかも減ってきちゃったな!」


私は自分のおなかをぐるぐると円を描くようにさすった。時刻はもう昼前だった。昨日のことで力が抜けて、朝は食欲がなくて抜いてきてしまった。


「あ、じゃぁ、私が何か作ります。リクエスト、ありますか? なんでもいいですよ」


「そうか。愛莉ちゃんは先生の秘蔵っ子だったね。じゃ、お言葉に甘えて。ええとね……」

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