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第2話

賛同してくれなかったけど、反対もされなかった。


料理を続けることに関しては何も言われなかった。時々、厨房に入ることも許されていた。だから高校生の時に調理師免許を取ることにも協力してくれた。


それでも跡を継げとは言ってくれなかった。




調理とは違うけれど管理栄養士の資格もちゃんと取った。


それからまた料理の腕を磨きたくて、お金をためて27歳でイタリアにワーキングホリデイで行った。ホテルのリストランテや小さなトラットリアを渡り歩き、いろいろな料理や調理法を覚えていた。それから数年、ミラノの古いリストランテで働いた。私も相当、諦めが悪いな。



そんなある日、母からメッセージが届いた。



『お父さんが倒れたの。意識不明、危篤。できるだけ早く帰ってきて』



うそだ。


そんなはず、ない。


去年の10月……つい三か月前に、還暦の祝いメッセージを送ったばかりだった。



あまりにも急であっけなく、私はすべてに別れを告げて飛行機に飛び乗った。



お父さん。


数か月前のビデオ通話の、元気な姿が脳裏に浮かぶ。


早く、早く。


気持ちだけが前のめりにはやる。


どうか、無事でいて。





家に着くと、おじいちゃんたちの仏壇に、お父さんの新しい写真が飾られていた。


それを「遺影」と呼ぶには、私にはまだ覚悟も認識も足りなかった。



「昨日、葬儀が済んだよ」


すこし面やつれしたお母さんが、疲れた様子で言った。


「千尋はどこ?」


私は兄を探した。


「今朝、大切な用事があると言って出かけたわ。じきに戻ると思うけど」


私は仏壇に向かった。



袖や胸にソースがうっすら染みついた白いコックコートばかりだったのに、写真のお父さんは礼服姿だ。よく見ると首から上だけをスーツの誰かと合成した写真だ。


急いで作った、そんな感じ。


間に合わなくてごめんね。


私は仏壇に手を合わせた。





夜の10時を回ったころ、兄の千尋が帰宅した。


「あれ、お前、帰ってきたんだ? ちょうどいいや。母さん呼んで、一緒に居間に来て」


どうしたんだ千尋、なんか似合わないスーツ姿。右手にはA4サイズの白い封筒を持っている。


もう32にもなるくせに、長めの茶髪に能天気な苦労知らずのおぼっちゃんみたいな雰囲気は変わらない。


私とお母さんを居間に呼び、テーブルに白い封筒を置いてネクタイを緩めながら千尋は嬉しそうに言った。


「とよしま亭は、大きな会社が買ってくれたよ」


「えっ?」


私とお母さんはほぼ同時に驚愕の声を上げた。




「い、今、なんて言ったの?」


私はぶるぶるとおののきながら目の前の兄にもう一度訊き返した。


「店を、買ってもらったんだ」


「誰、に?」


「サペレだよ。知ってる?」


「……知らないわけないでしょ。飲食業界ではトップ3に入る会社だよ」


「うん、そこ。そこに買ってもらったんだ」


「はい?」




「だから、とよしま亭はサペレが新事業のために買ってくれたんだ」


「……はぁ?」

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