第24話

カイはもとはある智天使ケルビムに仕える、下級天使のひとりだった。


 何人もの兄弟たちと同時に創造され、常に主に付き従っていた。しかしある時「契約の箱」をいたずらで壊してしまったために、罰として天界を追放されてしまった。


 天界から堕とされるとき、彼の純白の翼は赤黒く変色した。



 「お前は4444万4444人の魂を救い続けねばならない」



 そういう罰を、下された。



 以来、カイは世界中のどこかで人間たちの醜い欲望をその身に受け続けている。大抵は見守り、結果を報告書として作成するだけだが、今回のように人間の心の声が聴こえたり、感情が同調したりすることは珍しかった。


 何故なのかは、カイにはわからない。



 でもソナの声が聞こえたとき、彼はとても驚いた。声をたどって東京にやって来て、そして彼は彼女を観察し始めた。



 裕福な家に生まれ、容姿にも頭脳にも恵まれたソナ。大企業に勤め、社会的信用も地位もある。強いて言えば、異性との恋愛関係が長続きしないようだ。




 彼女に近づく男は、たいてい二種類に分けられた。


 ひとつは、金銭目当ての男。彼女の実家や社会的地位を知って、自分の欲望のために利用しようとする輩。こういう男はたいていは彼女よりも収入が低く努力することを嫌う連中だ。年下でヒモ生活を満喫したいと思う男も多い。


 もうひとつは裕福な生まれで自分の才能を過信している男。彼女のことは自分にふさわしいクオリティのアクセサリーだと思っている。自分の思い通りにならない言動を彼女がとると、機嫌が悪くなる。



 ソナはか弱い女ではない。その手の男たちが近づいてくると、彼女は彼らをうまく利用する。だから騙されたと被害者ぶることはなく、むしろひょうひょうとしている。それが彼女に遊び人というレッテルを貼ることになる。でも彼女は何のダメージも受けない。




「無傷の女」ミス・フローレス




 それがソナの二つ名。


 硬度が高くて傷のない完璧フローレスな……ダイアモンドのような女。


「私なんて、まだまだ完璧には程遠いわ。ウチのボスのほうが完璧って言えるわね」



 ソナはよく、二人の女のことを話す。自分の親友と上司について。彼女のような女は同性からは嫉妬されて敵視されることが多い。だから数少ない彼女にとっては大切な存在のようだ。



「うちのボスは私が尊敬する人のひとりよ。たった一人で今の会社を立ち上げたの。大学の先輩なんだけど。天才よ。しかも、努力の天才。私は彼女に惚れこんで、あの会社に入ったの。まだ三十半ばなのに、ホントすごいわ」



 ソナの話に興味がわいたカイは、姿を消したまま彼女の会社にミカを覗きに行ったことがある。


 どんな女傑なのかと思っていたら、小柄な美女だったことに少し意外性を感じた。でも彼女は光り輝くオーラに包まれていて、大天使ミカエルの配下の守護天使を従えていた。


 それで、カイは納得した。ミカエルの加護を受けているなら、成功者なのもうなずける。


 その守護天使に気づかれる前に、カイは速やかにその場を去った。




 二人目は彼女の親友。今、彼女はパリにいる。偶然出会った男と恋に落ちてちょっとしたすれ違いで別れて、そして再び偶然会えることを願って毎日彼との思い出の場所に出向いて行く。


「あの子は重度のロマンティストなんだ。こっちがイラっとしちゃうくらいにね。好きならどこへなりとも捕まえに行っちゃえばいいのに」


 彼女に関しては、カイもパリで見かけたことがある。毎日世界中から何十万という観光客がやって来ては去ってゆく世界一の観光都市にあっても、天使や堕天使たちと波長が合う人間の数には限りがある。カイが見つける前に、彼の兄弟である天使のグザイも彼女に興味を持って見守っていた。


 もしかしてカイにソナの声が届いたのは、その彼女を通してなのかもしれない。




 志希が現れてからのソナは、明らかに動揺したり心の中で悪態をついたりすることが多くなった。


 普段は自信に満ち溢れ、沈着冷静で怜悧なソナが、彼の前では卑屈な根暗女になる。普段はしないようなミスをしでかしそうになる。


 好きなら捕まえに行けばいいなんて言っている人と同一人物とは思えないくらい消極的だ。


 

 したたかなソナを動揺させる向坂志希という男に少し興味がわいたカイは、酔っぱらいのたわごとを静かに聞いていた。




 ソナの働く会社は、丸の内の高層ビルの上階の数フロアにまたがっている。


 大学時代にソナの先輩のミカが二人の同級生と共に立ち上げたコンサル会社。本社はNYにあり、東京、シアトルとブルージュに支社がある。ソナは東京支社ファームのマネジャー。彼女もミカにヘッドハンティングされて入社してきた。


 志希はNYでも大手のコンサル会社のシニアマネジャーとして経験を積んでいた。ミカにヘッドハンティングされ、パートナーとして東京支社にやってきた。


「彼は大学を出てすぐに、有名な大手のコンサル会社にスカウトされたの。ゴードン&ブラウンっていう会社。そこのオーナーのバカ娘の計略なんだけどね……」




 ソナが酔っぱらってしていた話によると、こうだ。



 学生時代、ソナは学部の先輩で同じ講義を受けていた志希に一目ぼれした。それからはいろいろな手を使って近づいて親密になろうとした。そのために勉強も頑張ってトップの5%に入るまでになった。そうしてやっと認識してもらえて、何度か食事に行くまでに親しくなった。でも。



「ある日の夜中。一緒に勉強していた時に、彼がいきなり不機嫌になったの。お前の気持ちには答えられないって。好きな人がいるからとかじゃなくて、恋愛にかまけている時間は無いんだって」


 容姿端麗、頭脳明晰に生まれついて、家柄も良くすべてを備えているソナ。


 そこにいるだけで場を華やかにして、いつだって憧憬や羨望や嫉妬を一身に浴びる。男たちは彼女に少しでも気に入られようと、彼女をお姫様のように扱う。


 そんなソナが、生れてはじめて屈辱的な扱いを受けた。


「どうでもいいモノ」のように扱われることは、格別気にするようなことでもない。しかし、志希のような相手にされると、ソナだって鼻で笑い飛ばすことはできずに深く傷つく。



 教授たちも一目置くほどの天才。


 その場にいる誰もが魅了される強大なカリスマ性。人を説得する巧みな話術、全身からあふれる知性と気品。他者の適当さやミスは軽く受け流すが、自らのそれらにはとても厳しい。嫌なもの、迎合できないものには容赦なく別離や拒絶を言い渡す。どこまでもストイックで、一切の妥協がない男。


 ソナが一線を越えてきたため、彼は彼女を自分の道を邪魔するものとして認識した。



 まるで、天にまします誰かさんたちのような人間だな。



 ソナの記憶の中の志希を見て、カイはため息をついた。高潔すぎる人間。こいつは、一筋縄ではいかなそうだ。




「ジェシカって言うバカ娘が、父親に吹き込んだのよ。大学に優秀な人材がいて、ぜひともパパの会社にスカウトしてって。将来は、私の婿にしてって」


 酔っぱらったソナはバーに顔を載せ、唇を尖らせて言った。


「悔しいことに、彼女の父親の会社は、学生たちの憧れの的だったの。彼も自分の実力を試してみたかったみたいで、そのスカウトを受けたのよ」


「そのジェシカとやらは?」


「彼をしばらく追い回したみたいだけど、きっぱりと拒絶されたって聞いたわ。まだ結婚するつもりはない、待たれても困るってね、はは、容赦ないよね。誰に対しても」


「その男は、女に興味がないのか?」


「正確には……たった一人の女にしか興味がないってところだね」


「それは誰だ? あんたも知ってる女?」



 カイの質問にソナは寂しげな笑みを口元に浮かべた。

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