第21話

大人になって、だいぶ面変わりしたけれど……それは、まぎれもなく。


「圭太じゃないの? すごい偶然。何十年ぶり?」


「二十年くらい……かな?」


「うわ……まじか」




 みーちゃんが言ってたな。大阪から東京に転勤になったって。


 軽く混乱してあわあわとする圭太の腕をぐいぐいと引っ張って、私はダイニングバーへ入った。



「成人式にも会わなかったよね?」


 とりあえずハイボールで乾杯してから私は切り出した。


「留学してたから」


「ああ、そうだったっけ。五か月前くらいにこっちに転勤になったって? みーちゃんから聞いたよ」


「相変わらずあいつと仲いいのか?」


「まあね。会ったのは久しぶりだったけど。あんた、老けたね。昔はもっとぷくぷくした子だったのに」


「三十五にもなれば老けもするだろ。珠澄はあんまり変わんないな。すぐにわかった」


「はぁ? ドロドロのぐしゃぐしゃの日焼けで真っ黒だった頃と、現在のこの美貌が変わらないって? あんた目も相変わらず悪いのね?」


 私がおどけてみせると、圭太ははっと息をのんで目をそらした。


 なに? その反応は。 



 ふう、と私はため息をつく。


「圭太は……モテなさそうだね」



 さえない大人になった幼馴染を観察してみる。恰好はいたって地味で普通。ひとことでたとえるならもやし。ひょろひょろと、背だけは高い。色白で、運動なんて興味なさそう。オタクだと言われても驚かない。前髪が顔にかかってボサボサで、オシャレな感じは微塵もない。


 彼は唇を尖らせた。


「モテる必要はない」


「まさか、まだ女を知らないとか?」


「お前、相変わらず失礼な奴だね。俺だってそれなりに何人かカノジョはいたんだよ」


「そっか。元カノ、写真ある? 見せて見せて!」


 私は圭太の肩に頭を寄せて彼のスマホを覗き込んだ。圭太は私に呆れつつも、しぶしぶ昔の画像を探し始める。


「これは留学してた時の」


 見せられたのは、妖精みたいにキレイな白人の女の子と抱き合った、パーティかなんかの写真。


「うわっ! うそでしょう?!」


「そのコメントひどくないか? こっちは……つい最近、別れたやつ」


 東京タワーをバックに、手を伸ばして寄り添って撮った写真。これまたすごくキレイな……あきらかにまだ二十代半ばくらいの子。


「うっそ……なんでよ……」




「だから失礼すぎだって」


「なんで別れたのよ?」


「将来に対する考え方の違い」


「あんたが、結婚しようって言って断られたの?」


「逆」


「うそだって!」


「ホントだって」



 ああ、と私は少し納得した。圭太も誠二みたいに、サラリーマンモードでは結構かっこよく見えるのかもしれない。納得しきれないけど。


「珠澄は? 結婚しそうなカレシがいるって、前にミナが言ってたけど」


 私は半分残っているハイボールを一気飲みした。


「別れた。浮気されたの。私、そういうのダメで」


「ふうん。そうか」


「そうだよ。っていうかさ、なんで普通の製薬会社の研究員が、平日の夕方にさえない私服でこんなとこふらついてるの?」


 そこで初めて、圭太は後ろめたそうに視線を床に落とした。




「実は……んだ」


「えっ?」


 私は圭太のほうに体を傾かせた。最期のほうはもごもごと小声になったのでよく聞き取れなかったのだ。


「仕事……」


「うん?」



「やめ……たんだよ」


「ええっ?」



 私は圭太を目を丸くして見た。彼は気まずそうに右の人差し指の爪で左の親指の爪の付け根をつついている。それは彼の子供の頃からの気まずい時の癖だ。


「いつ?」


「……昨日」


「ええっ? き、昨日?」


「うん」


「それ……おじさんおばさんと……みーちゃんは知ってるの?」


「いや。両親もミナもまだ何も知らないよ」


「あんた……」


 つい説教しようと思ったけれど、一度深呼吸して落ち着いてから私は静かに訊いた。


「すごく有名な会社じゃなかった?」


「うん、まあ」


「なんで辞めたの?」


「別に……大した理由はないよ」


「……辞めて、どうするの? 新しい仕事、決まってるの?」


「いや……しばらくは国内外を旅してまわろうかと思って。半年くらいゆっくりしてから考えようかなと」


「そっか」




 私は大きく息を吐いた。なんだ。私だけじゃないんだ。そう思うと、少しほっとした。


「ねぇ」


 二杯目にジントニックを注文して、私は口元を引き上げた。


「うん?」


 圭太も二杯目。黒糖焼酎をロックでちびりちびりとなめている。



「人生ってさ、道みたいじゃない?」


「は?」


「どんな道を選んでどう行くかはそれぞれの自由なんだけど。時々、高速道路に紛れ込んじゃったみたいに感じる。自分のペースじゃないスピードで、周りにつられて何とか走ってるみたいな感じ」


「あー。そういうこと」


「うん。初めの頃はいいんだけど。そのうち、なんで走ってるのかわからなくなってくる。別に走れるから、そのまま走っていてもいいんだけどね。でも走り続ける意味が分からなくなって、そのうちもう走り続けなくてもいいんじゃないか、ゆっくりと景色を楽しみたいと思ってくる」


「ふん、なんか哲学的だな」


「あの人には負けたくないとか、同じスピードで走らなくちゃとか、あいつには追い抜かれたくないな、とか思ってる一方で、もうすべてを投げ出してスローダウンして、わき道にそれてもいいんじゃないかとも思う」


「おお。いいたとえだな」


「最近、そんなこと考えてた。あんたも、もしかしてそんな感じだったの?」


 からん。


 圭太のグラスの中の氷が音を立てる。彼は口元に笑みを浮かべた。




「うん、そうかも。わき道にそれて景色を楽しみたくなったんだな、きっと」


「今の世の中、終身雇用じゃなきゃいけないこともないしね。親たちの世代とは違うし。いいんじゃないかな、高速道路降りてみても」


「うわぁ。珠澄がそんなこと言うなんて、驚きだな。二十年の年月ってすごいよ」


「はは。そもそも、私たちがお酒を飲みながら人生について話してること自体、シュールな感じ」


 私たちは小さく笑った。



「小さい頃は珠澄とミナは珠澄んちの花畑でよく泥団子作ったりくさっぱらに寝転がって草まみれになったりしてたっけな」


「あんたは本を読みながら、木陰や家の中から冷ややかに私たちを見てたよね」


「いや、別に冷ややかにじゃなかったよ。一種、羨ましいと思ってた。俺はぜんそく持ちだったから」


「えっ? そうだったっけ?」


「そうだよ。外で遊びたくても遊べなかったんだ」


「あー。だから私たちのこと、忌々し気に睨んでたのかぁ」


「忌々し気って。ただ羨ましかっただけだよ」



 子供の頃の記憶では、圭太はいつも家の中や木陰で本を読んでいた。そして時々、走り回る私とみーちゃんを見てはため息をついていた。あれは軽蔑じゃなくて、私たちをうらやんでいたのか。



 圭太がぜんそく持ちの子供だったなんて……すっかり忘れていた。



 不思議な夜だった。



 二十年ぶりに再会した幼なじみと、お酒を飲みながら空白の時間を埋め合っていく。子供の頃に各悦仲が良かったわけでもないのに、淀むことなく会話が弾む。私よりも小柄な子供だった圭太はいまや私よりも頭一つ分背が高い。私も決して小さいほうではないのに、きっと百八十半ばくらいはある。


 仕事を辞めた翌日に一人でぶらぶらとしていて、急にプラネタリウムに行こうと思い立って押上駅を出たところで私につかまったらしい。


 私たちはスカイツリーを真下から見上げながら、子供の頃の話なんかしながら笑い続けた。

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