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第14話
「ちょっと、なに? なんでいきなり止ま……」
非難がましく見上げると、肩越しに振り返った壮亮がし、と人差し指を立てた。
「二時の方向。ヤバいやつ発見」
壮亮は声を潜めて言った。
言われたほうを壮亮の背中越しにそっと覗き、私は「うわ」と小さく呟いた。
二時の方向。
日曜の午後、多くの人がケージの中の犬や猫に目じりを下げている。その人ごみの中。
同じ課で一番のおしゃべりの寺口、通称・ペラグチ。私の一年後輩で、壮亮の一年先輩。彼女は会社のあらゆる部署のあらゆる社員のあらゆる話題に通じている。休日に一緒にいるところを見つかったら、何を言いふらされるかわからない。
「ペラグチ……」
私が青ざめて呟くと、壮亮はくすっと笑った。
「ペラグチ嬢、今はケースの中のエキゾチックショートヘアの子、食い入るように見てるから。自分に似てるから興味あるのかな。ここは後回しにして、そっとさりげなく去ろう」
私は思わず壮亮の言葉にぷっと吹き出してしまう。彼女が入れ食い状態で見入っているケースの中には、エキゾチックショートヘアのクリーム色の子猫がペラグチの顔をアクリル板越しにじっと見つめ返している。
「ペラグチと猫……見つめ合ってるね」
笑いに震える小声で言うと、壮亮もぷっと吹き出してうなずいた。
「仲間だと思ってるんじゃないの? お互いに」
私たちは店の外に出た途端にぶはははと笑いだした。
「あー、おかしい。まぁ、私服だからすぐに特定はされないだろうけど、見つからないに越したことはないわね」
「あのひとはオフィスだろうがペットショップだろうがインパクト強すぎですぐわかったけどね。確かに、今日の美欧さんは仕事場での雰囲気とはかなり違うかな」
今日の私は白いTシャツ、黒のスキニージーンズに赤いスニーカー。髪は無造作におろしてメイクも薄め。仕事では社外の人に会うことも多いから、きちんと見えるクール系のオフィスカジュアルで幼く見えないようにアイメイクをしっかりめにしているし、髪もまとめている。
ペットショップから結構離れたところで立ち止まり、壮亮は私をしげしげと眺める。
「何か?」
私はじろりと壮亮を睨み上げた。
「うん、べつに。前も思ったんだけどさ。美欧さんて、そういう格好してるとかっっっっっなり若く見えるよね?」
「うわ。何気に失礼な発言」
「いや、そういう意味じゃなくてさ。童顔なんだねって意味」
そういう、答えに困ることは言わないでほしい。
私は口を尖らせた。
「何だっていうの? 私が童顔だと何なのよ」
「深い意味はないってば。同じか、へたすれば僕のほうが年上に見えるかもって。あ、だから、深い意味はないってば」
私は壮亮の腕をひっぱたいた。壮亮はへらへらと笑う。何が楽しいのよ。
なぜか、私たちはかっぱ橋本通りをたい焼きをかじりながらスカイツリー方面に歩いている。彼女さんへのプレゼントって、かっぱ橋には無い気がするけど。
「なんでかっぱ橋なのよ? 包丁でもプレゼントするの?」
彼女さんは料理人かなにか?
「いやぁ、ここはさ、ちょっと僕のキッチン用品を見つけようと思って」
「え? あんた、料理男子なの?」
「うん。学生の頃から一人暮らししててハマってるんだ」
「へぇ。得意料理は何?」
「んー。カレーとか? 時間があるときは、スパイすの配合からするよ」
「うわぁ、本格的だね。あ、時々持ってきてるあの美しいお弁当ってもしや……」
彼女さんの手作り弁当じゃなかったの?
「自作自作。あ、ねぇ、美欧さん、ちょっとそれちょうだい」
壮亮は私のたい焼きを覗き込んだ。私のは金時芋餡で、壮亮のは小倉餡。
「ちょっと待って……えっ、ちょっと!」
長い指が私のたい焼きの鼻のあたりをちぎり取る。ひとくち、口のあたりをかじってあってので、かじり口も一緒に持って行かれた。ちょっと待てばかじっていないしっぽのほうからあげたのに。
止める間もなく、壮亮はそれをほおばった。いやちょっと、私の食べかけのところだったのに!
「芋とあんこ一緒に食べてもおいしいよね。はい、お返し」
今度は壮亮は自分のたい焼きの頭のあたりをちぎって、驚きで開いたままの私の口の中に放り込んだ。
「んー! んんんん! お、おいしい……」
もごもご。金時芋餡の後味に、小倉餡が混じって……確かにおいしい。
「でしょでしょ?」
壮亮は満足げににこにこと笑んでうなずいた。
「ちゃんと食べていないほうあげたのに!」
「そしたらあんこがはみ出てきちゃうでしょ。そういえば美欧さんはたい焼きは口から食べるんだね」
「だったら何よ?」
「あんまり物事を深く考えない性格」
「そんなこと……あるかも」
「あはは」
「あんたはお腹から食べてた?」
たい焼き片手にスマホで検索すると、お腹から食べる人は『好奇心旺盛な人気者』ですって? はぁ。当たってるのかな?
「ほらほら、ぼんやりしてると落としちゃうよ?」
壮亮がスマホを覗き込んでいる私の手から、たい焼きをまた一口分ちぎって食べる。
「あっ、どろぼう!」
「また買ってあげるから怒らない怒らない」
ひっぱたこうとした私の手を巧みによけながら、壮亮は笑う。
「ほら美欧さん、正面見て。スカイツリーがきれいに見えるよ」
「ごまかそうとして。でもほんとにキレイ」
私たちの目の前には、スカイツリーのスレンダーな姿が見える。天気がいいので、より青っぽく見える。
「スカイツリーってさ、青く見えたりグレーに見えたりすごく白っぽく見えたり、なんか不思議だよね」
ぼんやりと見とれながらつぶやくと、壮亮がくすっと笑う。
「藍白っていう色らしいよ」
「あいじろ?」
「うん。インディゴっぽい白って感じかな。藍染の一番薄い色を参考にした色なんだってさ」
「へぇ。白なんだね。青っぽい白」
「夏の夕暮れ時に、すごく白く見えることもあるよね」
「曇った日はグレーね」
「でも白なんだよ。正確には藍白だけど。ホワイト・レディだ」
「何それ? そいうカクテルあるよね?」
「スカイツリーだよ。勝手に僕が付けたニックネーム」
「タワーにニックネーム?」
「エッフェル塔は、アイアン・レディっていうんだよ」
「
「うん。エッフェル塔のニックネーム。さしずめ東京のアイアン・レディは東京タワーだろうから、スカイツリーはホワイト・レディが似合いそうじゃない?」
「なるほど。優美なイメージだね」
「なぜかさ、あれを見るといつも美欧さんを思い出すんだよね」
「えっ? 私? どうして?」
私は目を丸くした。
「うーん……美欧さんがまだ僕のメンターだった頃にさ、僕が初めて大きなミスをやらかしたでしょ?」
壮亮は首をかしげて青空を仰ぎ見た。
覚えてる。
取引先にプレゼンする場で、資料の一部が他者へのプレゼンの資料と知り替わっていたことに気づかずに提示してしまったことがあった。新入社員の壮亮と二年目のほかの子が蒼白のまま固まってしまって真っ白になってしまった時、念のために持っていたバックアップ分を説明しながら私がすり替えて、事なきを得たとき。
怒鳴り散らす野木に叱られたのは私だった。でも私は、後輩たちを責めなかった。そういうこともあるから、今後気をつけようねと言っただけだった。怒るのは簡単だ。でも、仕事を始めたばかりの後輩を委縮させたくなかった。苦い経験として認識して、同じ失敗を繰り返さないよう努力や工夫をしてくれたらそれでいい。誰だって、慣れないうちは失敗する。
「怒るんじゃなくて、先輩としての責任の負い方を示してくれた。だから僕も、後輩にはそういうふうに接しようって思ったんだよ。あの時、美欧さんのことかっこいいなって感心した」
「はは。それはどうも」
「なんかうまく言えないけど、あんなイメージ」
壮亮はスカイツリーを指さした。私は苦笑する。
「電波塔にたとえられたのは初めてだわ」
「千晴さんは……さしずめ通天閣かな」
私はぷはっと吹き出した。
明るくて親しみやすいってイメージなのだろう。
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