エンジン、ドジョウ、アモルファス!

「梨子の中に私への疑心があるんじゃないかと思うの。」


 大広間の扉を念入りに調べている泡はいきなりそう切り出した。


「おそらくその疑心の理由は、私が鏡の破片を使って密室を作ったことから始まっていると思うわ。


 あの密室は結局、内側からの侵入に弱いことは分かっていたし、結局、犯行現場となっていたのだから、完璧じゃなかった。


 もし、雅を守りたいのならば、私が雅の部屋の中にいれば良かったのよ。


 でも、私はそれをしなかった。


 きっとこの私の不自然な判断は、梨子に私への疑念を抱かせたと思う。


 でも、信じて欲しい。私はこの事件の犯人じゃないし、加害者的な関与もしていない。


 私が密室を作ったのは、単に私が弱かったから。


 正直、雅から冴島雫の予言を聞いた時、私は怖かった。


 冴島雫の存在を知るまでは、何も怖いものはなかった。だって、私は死なないから。


 でもね、冴島雫は死より怖い。


 人の最大の恐怖は死だと勘違いしていたの。でも、人に与えられる全てが能動的ではなく、受動的であることが一番怖いものなのよ。


 冴島雫の存在を知るたびに、自分が傀儡かいらいであるかのように感じるの。冴島雫が神であり、私達は駒のように、思った通りに動くだけ。そんな自分の矮小さを知ることは、とても恥ずかしいことのようで、嫌だった。


 まあ、どれだけ言い訳しようと、私は雅と一緒の部屋にいられなかった。雅の巻き添えになって死ぬことが怖かった。冴島雫の予言は私の死への確固たる自信すらも超えてくるような気がした。


 だから、私はあの時、雅のことを全力で守ろうとしなかった。


 結局、自分が死にたくなかったのよ。だから、うわべだけ雅に寄り添っているようなふりをしたのよ。」

「……。」

「だから、あの時の私の行動はある意味では自然だったのよ。」

「……その冴島雫って人はよく知らないし、泡の感じる恐怖を全て感じることは出来ないけど、泡との距離が少し近づいた気がする。」

「……今までは遠かったわけ?」

「そう言う訳じゃないけど、私もこの殺人犯がいる鏡幻島で過ごすことが怖かったから。泡とは同じ恐怖ではないけど、泡も怖かったんだと思うとね。」

「……そう、私は怖かった。だから、都さんをみすみす殺させてしまった。それは反省しなきゃいけない。


 だから、これで犯行を止めるために、この事件を解決するわ。」

「完全に解けたの?」

「ええ、トリックに関してはね。


 おそらく一番合理的なトリックだと思う。二重の密室ができてしまった意味も分かるし、雅の部屋の密室から出た方法も分かる。


 でも、犯人だけが絞り切れない。」

「まず、トリックはどうやるの?」

「ジラードエンジン。」

「ジラードエンジン?」

「犯人を掲揚するなら、マスクウェルの悪魔というよりも、ジラードの悪魔ね。」

「?」

「ジラードの悪魔は、マスクウェルの悪魔を討伐するために提唱された思考モデルよ。


 ジラードの悪魔はマスクウェルの悪魔と違って、たくさんの分子が飛び回る2つの部屋を用意しない。仕切りで2つに分けられた部屋にたった1つの分子を入れる。その1つの分子は仕切りの右側にいるのか左側にいるか分からない。


 でも、右か左かに分子がいるかどうかが分かれば、仕切りのどちらかに分子がぶつかるか分かる。そうすれば、仕切りが動く方向に物を動かすことができる。こういったマスクウェルの悪魔を単純化した理論を実行することのできる奴がジラードの悪魔で、その仕組みがジラードエンジン。


 私はさっきの地震で、その理論がぱっと頭の中に浮かんだ。


 激しい横揺れの地震。そのゆらぎがジラードエンジンを思い起こしたわ。」

「ジラードの悪魔は分かったけど、その他はよく分かんないなぁ。」

「後はアモルファス。」

「アモルファス?」

「一度、雅の部屋に戻りましょう。」


 泡はそう言って、大広間を出る。そして、雅の部屋に戻った。


 泡は完全に自分の世界に入り込んでいる。分かりやすい説明はしていない。難解だが、事件の輪郭をなぞっている。私の中では分からないが、泡の中では納得のいく説明をしているのだろう。


 泡は雅の部屋に着くなり、雅の部屋の窓を触った。


「おそらく、大広間はジラードの悪魔を使ったとして、鏡幻荘に入った手段は非常にアモルファスな方法。


 つまり、流動的な方法。」

「流動的?」

「アモルファスは化学結晶がきちんと規則正しく並んでいない状態。


 よく言われるのが、ガラス。


 ガラスは個体のようだけど、分類上は液体。それは、ガラスを構成する分子が規則正しく並んでいないから。少しずつ震えるように、動いている。秩序が無く、流動的な状態。


 これがアモルファス。


 ……犯人はこの窓から出入りした。もちろん、窓の鍵は閉めた状態を保ってね。」

「窓を閉めたまま、出入りをするってこと?」

「ええ、これは大広間の密室でも言えることよ。


 大広間の鍵を閉めたまま、大広間へと出入りする。」

「……それができないから、困っているんじゃない。」

「ええ、そう。でも、物事をアモルファスに考えれば、実現可能。


 もし、この窓ガラスが液体なら、人間の出入りは簡単なはず。アモルファスなガラスならそんなこともできるかもしれない。


 それは一種のトンネル効果のように、物体をすり抜けることができるのかもしれない。


 事実、犯人はこの窓をすり抜け、この鏡幻荘に、雅の部屋に出入りをした。」

 

 泡は窓の下の地面を指でなぞった。


「やはり、ここも掃除されている。


 だから、プラスドライバーが無かったのね。」


 泡は窓を開けた。そして、泡は窓枠に手をかけて、部屋の外に出た。そして、こちらを向いて、外の窓枠をなぞる。そして、上部の窓枠を触った所で、指の動きを止めた。


「なるほど。」


 そう言って、窓枠の下部分も触った。


「オーケー!


 いわゆる馬鹿げたトリックと分類される訳ね。」

「馬鹿げたトリック?」

「よく密室の分類では、カーの密室講義が引用されることが多いわ。


 でも、その講義内ではある密室については、馬鹿げたトリックだとして、取り上げられていないのよ。


 この窓の侵入に関してはその分類に入るわね。」

「それって確か……。」

「密室が完璧じゃない場合よ。その時は、密室とは言わない。だから、カーはそのような密室の分類はしていない。そのような不完全な密室を分類することは馬鹿げた禁じ手としている。


 大広間のトリックに関しても、その馬鹿げた分類に入る。


 だけれど、私達が入ったあの大広間は完璧な密室だった。人も凶器も入ることのできないほど完璧だった。


 では完璧な密室だった。


 だが、この世界はだ。


 だからこそ、な密室ではなかった。


 そして、宣利さんはな世界から入り、な世界に迷い込んだ。


 だから、開かずの間はと言われていたんだわ。」


 この泡の言葉は、事件の真相を知れば、完璧に理解できるのだろうか?


 泡は窓から手を離すと、振り返って、外を見渡した。


「この島には、コナラの木は似合わない。


 だって、海にドジョウはいないから。」

「どういうこと?」

「この島にある木は、自然の力でこの島にたどり着いたの。


 だから、コナラは似合わない。」

「……。」

「その通り!」


 泡以外の声が後ろから聞こえていたので、私は後ろを振り返る。すると、後ろの廊下に立っていたのは、天神教授だった。


「この島にドングリは似合わない。


 それこそがこの事件の動機となる。」

「……まさか!


 犯人は……。」

「おそらくその想像通りでしょう。


 ……ただ、私は誰が犯人であるか合理的であるかを推量することは得意ですが、この事件をどうやって起こしたのかは分からないのです。」

「奇遇ですね。


 逆に私は、この事件のトリックは分かるが、犯人は分からなかった。


 本当に、その人が犯人なんですね?」

「ええ、ほぼ確実にね。


 ……実は今この現場を見た時にも、新しい証拠を見つけてしまった。」


 教授は雅の部屋に入ってきて、ベットのシーツを指差した。教授が指差した先には、何か血文字のようなものが書かれている。


「山?」


 死体の横に山と書かれたような字が残っていた。泡は窓をくぐって、再び部屋に戻ると、ベットの血文字を見た。


「山じゃないわね。


 だって、山は全部で3画。でも、この血文字は4画になっているわ。


 ……なるほど、そう言うことね!」

「そう言うことです。


 これで犯人はほぼ確定的でしょう?」

「ええ、でも、もう少し決定的な証拠が欲しいわね……。」


 泡は泥だらけの靴で雅の部屋を歩き回る。そして、2周ほど回った所で、立ち止まった。


「そうか!



 開かずの扉の鍵を犯人から奪えばいいんだ!」



___________________________________________________________________________



『ここでようやくこの事件の真相を推理する材料が出揃いました。


 まあ、一応付け足すとすれば、犯人はこの島にいる生者である7人の中にいます。この島に知らない誰かが潜んでいるという可能性は無しですね。


 えっ! 犯人の存在を知っている君は何者なんだって?


 それは秘密です。


 ですが、1つ。この事件の推理に役立つ秘密を明かしましょう。


 この事件の数年前に、アガサ山荘という屋敷で男女7人が死んでしまうという事件が起こりました。


 そして、今回は対称性がテーマになる孤島での殺人事件が展開されました。


 おそらく、この事件は越前泡さんと天神冴利さんによって、解決されるものかと思います。


 ですが、この事件が解決した後も甘利梨子さんにはまた殺人事件に遭遇してもらうことになります。


 その殺人事件のテーマとして、AIが鍵になってくるのですが、その事件の詳細を話すことはまた今度にしましょう。


 今回話しておきたいのが、AIの抱える問題についてです。


 その問題はフレーム問題。


 AIはプログラムされた思考を持ちうるため、人間にとっては単純な問題も、AIは無数の可能性を考えてしまうという問題です。


 例えば、今回のような密室事件が起こった時、犯人が透明人間である場合、犯人が鍵開けの魔法を使える場合、被害者が死んだ後に鍵を閉めた場合と人間が普通に考えない可能性も考えてしまう問題です。


 なので、そのような無駄な思考をしないために、AIにはある程度の思考の範囲、いわゆるフレームをはめることが重要です。この世界には透明人間はいないし、魔法使いもいないし、人は死んだ後に動けないという思考の枠をはめないといけないのです。


 このフレーム問題がどう役立つのかというと、このフレーム問題を逆に人間に当てはめてみるのです。


 すると、人間は逆に、いつの間にか考えにフレームを持っているということです。


 事件のトリックを考える前に、あれは出来ないこれは出来ないと、フレームを作っているわけです。


 しかし、今回の事件を考える上では、そのフレームは外しておいた方が良いのかもしれません。


 もちろん、この世界は普通の物理法則の成り立つ世界であるというフレームは持ったままでお願いしますね。


 きっとその思考のフレームが外れれば、この事件のフレームについても分かるはずです。


 この先はこの事件のトリック、犯人、動機と続いて行きます。


 おそらく、推理可能な範囲で作ってあげましたから、精々頑張って解いてみることですね。




 さて、この事件の真相が分かりましたか?』

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