ミラーユニバースの予言

 雅の胸から溢れ出した血液は、ベットの白いシーツを真っ赤に染めていた。雅の目はしっかりと見開かれている。


 立ったまま動けない私に反して、泡は部屋の中に入って、雅の死体へと近づく。そして、念のためだろうか、首で脈をとるが、もちろん泡は首を横に振った。


「殺しね。


 それも、拳銃で胸を撃ち抜かれてる。心臓は避けられているから、即死ではなかったみたいね。血溜まりが擦れている所があるから、きっと少しの間体をもがかせたのね。」


 泡は冷静に検死を始めた。私の中の泡への疑心が少し深まる。なぜ、雅が死んだのに、そこまで冷静なのか? なぜ、驚いたり、悲しんだりはしないのか?


「……問題は、なぜ扉が閉められていたのか?


 扉を閉めるためには、扉から侵入するか、窓から侵入するかの2択しかない。でも、私は鏡の破片を床に撒くことで、その2択を潰している。扉を閉めるためには、必ず鏡の破片が撒かれた床を踏まなくてはならない。


 夜の間は地面が暗かったから、床の破片に気が付くなんてことは無いはず。だから、この部屋は非閉鎖的な密室であったはずなのよ。」

「……でも、ちょっと待って。


 窓の下の鏡の破片が部屋の端に寄せられてはない?」


 私が窓の下の床を指差す。その床は窓の下には鏡の破片が転がっておらず、部屋の端に鏡の破片が寄せられていた。泡はそれを見るなり、少し考えこむ。


「……これじゃあ、窓からの侵入は可能だったことになるわ。」


 泡はそう言って、窓を開こうとする。すると、その窓には鍵がかかっていた。窓のクレセント錠がしっかりと掛かっていたのだ。


「……密室。」


 泡はそう言った後、窓の鍵を外して、窓を開ける。そして、窓の外を見渡す。


「どうやら、この窓から誰かが侵入したことは明らかみたいね。」


 泡はそう言って、私を手招きした。私はその手招きにつられて、窓の近くまで近寄る。すると、泡は窓の外の地面を指差した。


 すると、その地面には誰かの足跡が残されていた。足跡は家を伝うように行きと帰りのものが残されている。足跡は雅の窓の前で折り返されている。だが、窓の真下には誰かが暴れたかのように荒らされていた。


「つまり、犯人は窓を開ける手段を持っていたって言うこと?」

「いいや、正しく言えば、侵入後も窓の鍵を閉めたままにしておく方法ね。」

「それは何が違うの?」

「この部屋に入ること自体は容易だったのよ。


 だって、雅が部屋の扉を閉めさえすれば、鏡の破片で作った防犯装置は意味を成さなくなる。それに、窓の下の鏡の破片が片付けられていたのも、雅が自分で片付けた可能性が高い。


 だから、雅の協力が得ることができれば、この部屋に入ることは簡単だったわけね。


 でも、この部屋から出て、窓の鍵を閉めることは容易ではないわ。」

「だから、窓を閉めたままこの窓から脱出する方法を犯人は使ったってこと?」

「そう、まだ秘密の抜け穴がこの部屋のどこかにある可能性があるけれどね。


 だけど、その秘密の抜け穴があったとして、以前として大事になってくるのが、


 なぜ、犯人は密室を作る必要があったのかって言うことね。」


 確かにそうだ。今回も密室にする必要はない。


 窓から脱出したなら、窓を開けておけばいいだけだ。鍵を閉める必要はない。なぜ、犯人は鍵を閉めていったのか?


 そもそも、なぜ犯人は雅が部屋に招き入れるほどの人物であったのに、窓から侵入したのか?


「もし、この部屋に鏡があったなら、犯人が映し出されていたのかしら?」

「黒死館?」

「惑星軌道に乗っているのかはさておき、鏡の中の世界に犯人は逃げられるのかもしれない。」

「法水麟太郎にでもなったの?」

「その黒死館の探偵にでもなったつもりなら、私は鏡の中の犯人を肯定しよう。


 今から話すことは、対称性の発表で説明しようとしていた鏡の対称性に関する話よ。


 鏡は左右反転しているとよく言われる。でも、それは正確ではない。


 なぜなら、鏡の中の物体と現実の物体を左右反転させたものは重ならないからね。


 鏡の前に立って、右手を上げてみるとよく分かる。鏡の中の自分を記憶した後、現実の自分が右手を上げたまま180°回転する。その左右反転した自分と記憶した自分が重なるか頭の中で考えてみると、上げている手が重ならないことが分かるはず。


 この事実から分かることは、鏡は左右を反転させる道具ではないということ。


 では、何を反転させるのか?


 正解は前後を反転させているの。


 しかし、この前後の反転は人間の脳では認識することが難しい。なぜなら、現実的に前後が入れ替わるという現象が起こり得ないからと言われている。


 現実では、体を左右に反転させることは出来るし、上下の反転もできないことは無い。でも、前後が反転するということは起こり得ない。


 だから、現実では鏡は前後を反転させているのにもかかわらず、人間の脳では左右を反転させて考えているという認識の非対称性が発生しているという訳ね。


 ここで、想像しておきたいのがミラーユニバース。


 昨日言ったオズマ問題での全てが反転した世界。それは、位置も時間も反転する世界。


 そんな世界がが仮にあるとしたら、どこに存在するんでしょう?


 例えば、鏡の中。


 私達は前後の反転を認識できないように、鏡の中に広がるミラーユニバースも認識出来ないのかもしれない。


 もし、鏡の中にそのような世界が存在するというのなら、時間も空間も超越して、自由に世界を行き来できる。


 そのような超次元的な世界で行き来できる人間がいたのだとしたら、部屋の鍵など関係ない。ただワープ的にその部屋の中に入り、人を殺しただけのこと。だから、そこに密室にするトリックなどは存在しない。」

「……でも、それはとんでも推理であることは自明でしょ。」

「そう、でも、これでも私の中でのこの事件の真相への解像度は上がっているような気がするの。


 その根拠を示すなら、昨日の雅の昔話。冴島雫に鏡の間に閉じ込められた話。


 鏡の間を出た雅が感じた違和感とは何だったのか?


 それは、ミラーユニバースのようなパラレルワールドに移り変わったことによる違和感のかもしれない。


 鏡の間はどのような鏡幻荘の対称性を守っていたんだろうか?


 それは、この現実世界と対称的なミラーユニバースを人間が認識できるような儀式のようなものだったのかもしれない。」

「もう、泡が法水でいいよ。」

「少し妄想が過ぎたわね。怪しいエセ科学の勧誘の様になってしまったわ。」


 ミラーユニバースなんてものを殺人に使われようものなら、溜まったものではない。もし、この事件の真相がそのようなSFチックな結末なら、古代中国にも負けない程の焚書が行われるだろう。


 だから、私は私なりに現実の範囲では考えてみよう。


 まず、普通に雅の部屋に入りたいなら、廊下を通って、扉からノックをするはずだ。だが、廊下には鏡の破片があったから、泡が気が付くはず……


「そう言えば、誰か夜中に通ろうとした人がいたって言ってなかった?」


 私は先ほどの泡の発言を思い出して、泡に問おてみた。


 おそらく、雅の部屋に入りたい人間は一度廊下を通って、雅の部屋に向かおうとしたはず。その途中で、廊下の破片トラップに引っ掛かったはず。そして、泡に追い返される。


 だから、外の窓から侵入した。と言うことは、廊下のトラップに気が付いていた存在が犯人になる。


「ええ、いたわよ。」

「誰?」


「都さんよ。」

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