泡の批評
「失望しましたよ。教授。」
指を差された教授は少し驚いていたが、すぐにフルーツポンチの缶詰にフォークを伸ばしていた。
「一旦、回収しまーす。」
その声が後ろから聞こえると、私の首に腕が回された。そして、その腕に後ろへと引っ張られる。私の体はそのまま部屋の中から離れる。後ろを振り返ると、泡だった。
「お邪魔しました~。」
泡はそう言って、部屋の扉を閉める。扉が閉まる前の部屋の中の2人は、困惑の表情を浮かべていた。私はそのまま泡に引っ張られて、廊下を移動した。
そして、ある程度食事場の部屋から離れた所で、泡の腕が私の首から取れた。そして、泡は私の肩を持って、泡と向かい合うように私の体を向けた。
「……まず、かかったエンジン止めようか。」
「あっ、はい。」
「今、冷静?」
「あっ、うん。」
「オーケー。じゃあ、梨子の間違いを言います。
まず、人が殺されているから、はしゃいじゃ駄目よ。」
「……でも、私の推理は合ってそうでしょ?」
「残念ながら、梨子の推理はおそらく間違っているわ。」
「ええ~!!」
「いろいろとツッコミどころはあるから、さっきのビリヤード振り子トリックが今回は成立しない理由を3点に絞って、説明するわ。
まず、1つ目は、トリックの跡が全く残っていないところよ。
梨子がさっき言っていた留め金のトリックだけど、大体がトリックを仕掛けた跡が残ってしまうことが難点ね。
氷を使ったトリックは、床に解けた水溜まりができるし、ロウソクやマッチを使うトリックは、マッチや蝋が床に残ったり、焼けた跡が扉に残ったりする。これと同じで、糸を使ったトリックも同様に跡が残るわ。
それは、留め金にテープの糊が付着すること。
だから、留め金がベタベタしていると、そのようなトリックが使われていた痕跡となる。
もちろん、今回のビリヤード振り子トリックも同じ。
サムターンの鍵のつまみの片方にテープを貼り付けているのだから、つまみがベタベタするはずよね。
でも、私が触った時、つまみはベタベタしていなかった。
私も留め金のトリックの応用で、密室を作り上げたのだと思った。でも、つまみの粘着力の他、床に水や蝋の跡はなかったし、扉に焼けた跡もなかった。そして、もちろん、扉を強く閉めただけでは、サムターン式の鍵は掛からない。
だから、梨子が言ったような古典的な密室トリックはどれも使われていない。
では、2つ目は、振り子は床についてしまうこと。
確かに、大広間にも部屋にも壁にぴったりついた机があった。だから、球を外から転がすことは出来るように思える。
でもね、球を机の端に置けるくらいに糸を伸ばすと、振り子は床にぶつかる。私が見た感じだと、明らかに床に球がぶつかると思う。そうなると、今回の振り子トリックは駄目ね。
なぜなら、鍵を閉める力は振り子の運動エネルギーを利用しているからよ。床にぶつかって、鍵に伝わる運動エネルギーが減れば、鍵は閉まらない。だから、鍵が閉まるためには振り子が重要。
だから、今回のような大広間や部屋では振り子トリックは使えない。後で、自分の部屋で試してみれば、無理なことが分かるはずよ。
そして、実際に試してボロが出る所が、3つ目の壁の厚さ問題。
キューで壁を突いた所で、内側の球に衝撃が伝わるかは疑問よ。なぜなら、私は大広間の壁のどこかに秘密の抜け穴でもあるんじゃないかと思って、くまなくチェックしたけど、そのような物はなかったし、壁を叩いて音をチェックしたけど、どの壁も詰まっている音がしていた。
おそらく壁はかなり厚い。だって、大広間の扉のドアノブが大広間の壁よりも内側に来ているもの。そして、扉を開いて、大広間の壁の厚さを見ると、手のひらの指の先から手首まであったわ。
相当分厚く作られてる。玄関の扉は大広間ほど厚くはなかったけど、薄くはなかった。
だから、大広間の壁も部屋の壁なら、キューで一点を突いたとしても、壁の中で力が分散して、上手く球に衝撃が伝わらないと思うわ。
と言うことで、これらの3点からビリヤード振り子トリックは否定される。」
泡は、小説を批評する時の教授の顔をしていた。確かに、的確に不可能である点を列挙されている。どうやら、ビリヤード振り子トリックは間違っているらしい。
「でも、まだ吊り天井……。」
「それも違う。」
泡はきっぱりと否定した。
「まず、私も吊り天井による大広間への閉じ込めを真っ先に考えたわ。だから、私は天井をチェックしたけど、まず吊り天井のような構造ではなかった。
でも、私の見当違いの可能性があるから、仮に吊り天井だと考えても見たけど、それもおかしかった。
なぜなら、扉よりも高い位置に宣利さんの吐瀉物らしき跡が残されているからよ。吊り天井を扉よりも低くしておいたとすると、吊り天井があった位置に不自然な一直線の跡ができると思うの。
だって、1か月放置していたんだから、汚れが吊り天井の高さの壁に付いてもおかしくない。でも、宣利さんの出した汚れは、不自然な一直線で遮られることなく、飛び散っていたし、何より扉よりも高い所まで、宣利さんが出したものと言い切れる汚れがあった。
つまり、宣利さんが大広間に閉じ込められていた時、天井は扉よりも高い所にあったということになる。だから、吊り天井のトリックは使われていなかったと言っていい。」
「……吊り天井の方も。」
「ええ、残念ながらね。
他にも、今思いついたもので言うと、ドアノブの下に物を置いておく場合も駄目ね。
ドアノブの下に物を置いておけば、ドアノブが下がらずにドアを開けることができないけど、長期間放置されているから、この鏡幻荘の廊下には埃が溜まっている。
この埃は大広間の前の扉にもしっかりと埃が溜まっていた。だから、ドアノブの下に何かを置くと、埃が不自然に途切れるはずだけど、特段途切れたような様子はなかった。だから、ドアノブの下に物を置くものでもない。」
「じゃあ、もう本格的に無理じゃない?」
「そうね。この密室を作る方法と同時に、もう一つ満たしておかなければならない条件がある。」
「条件?」
「それは、1番の重要な梨子の推理の欠陥が密室を作る理由を明示していないことよ。」
「密室を作る理由? それは面白いからじゃないの?」
「それは、ミステリー小説の理屈でしょ。
ここは、現実社会。
確かに、思い付きで密室トリックを試したいと思う犯人もいるだろうけど、基本的に、犯人は殺人と言う一番重い罪を犯す真剣勝負をしているのだから、密室を作った理由は何かあるはずよね。」
「そうだね。」
「鏡幻荘が密室だったこともよく考えれば、犯人が仕組んだものよね。都さんが鍵を取りに行ったから、鏡幻島での自由時間ができた。
ここに、犯人の意図が隠されているような気がするの。
それに、なぜ鏡幻荘の密室だけでなく、大広間も密室にしたのか?
単純に鏡幻荘に入らせたくないだけなら、鏡幻荘の密室だけでいいはず。なのに、なぜ、大広間を密室にする必要があったのか?
つまり、二重の密室をどうやって作ったのかという方法論の話と二重の密室をなぜ作る必要があったのかという動機の2つの面を解決させる推理をしなくてはならないわけね。」
「そこに、大広間の閉じ込めの謎も加わってくるわけね。」
「その通り。
……この事件、一枚岩じゃないわよ。」
「犯人はそこまで入り組んだことをなぜ仕組んだんだろう?」
「私達にとっては、なぜそのような回りくどく、複雑な謎をたくさん残していくのかは分からない。
でも、犯人にとってはそれが最善で、最適な選択で、非常にシンプルな犯行原理になるはずなの。
出題者である犯人と回答者である私達は、同じ問題にかかわっている同士ではあるけど、そこには明らかな非対称性がある。
科学の世界でもよくあることよ。私達がある現象をあれやこれやと難しいことを考えて、何百枚の論文を使って証明した所で、数年後にはたった1つのひらめきで、数行の証明をされることもある。
この世の単純な真理と私達の複雑な思考の非対称性。
私達はこの非対称性を打ち破らなくてはならない。次の誰かが殺される前にね。」
私は、「それってまた誰かが殺される死亡フラグだよ。」とは言えなかった。
ただ、その死亡フラグの回収はすぐそこまで来ていて……
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