餓死、密室、侵入

「嘘……。」


 私は海の上で炎上する船の残骸を見つめながら、自然とそう呟いていた。


「……梨子は大丈夫ですの?」


 後ろから雅の声が聞こえた。


「……私は大丈夫。


 ……でも、今後のことを考えると……。」


 大丈夫じゃない。


 なぜなら、私達の連絡手段も脱出手段も無くなってしまったからだ。そして、何より致命的なのが、船で寝泊まりする手段が無くなったことだ。


 鏡幻荘は死体の臭気で建物全体が満ちている。その建物で暮らすなど、皆は想像していなかったはずだ。きっと死体の状況整理が終われば、船で一夜を明かすつもりだっただろう。


 船は屋根があるし、十分に8人全員が寝泊まりすることのできるスペースもあった。だから、ここでの船の消失は、死体の放置されている鏡幻荘に過ごさねばならないということだ。


「おいおい! こりゃ、どういう……。」


 爆破の音を聞いたらしい上村や都も集まってきた。5人が集まった所で、何もできるはずもなく、私達はただ呆然と大破した船を見つめているしかなかった。


 私の立っている地面をよく見ると、何かの破片がこちらまで飛んできている。だから、私がもしあの船の中にいたなら、私の体は木っ端微塵となっていただろう。そう考えると少し背筋が凍った。


「……何があったんだ?」


 静まり返った間に、上村が発言した。


「さあ、私にもさっぱり。


 船のエンジンも付けていないのに……。」

「無線?」


 私は思いついたようにそう呟いた。


「無線が爆発するということは無いのですか?」

「……無線が爆発物を起爆させることは聞いたことがあるが、無線機自体が爆発することは無いと思う。仮に爆発したとしても、あんな感じに船を大破させるほどの威力はないはず……」

「じゃあ、爆発の理由は……。」


 私は理由を言おうとして止めた。もうみんな分かっているのかもしれないが、口にはしなかった。


 誰かが意図的に爆弾を起爆させた。


 この事実は、この中に宣利殺しの犯人がいる可能性が高いことを示している。


 宣利らしき死体が発見されたすぐ後、皆が状況の把握に時間がかかる中、都合よく脱出、連絡、宿泊の拠点としての船が爆発された。それも、私達が船を出た後のタイミングでだ。


 このタイミングの良さを島外の人間が起こした奇跡だと思えない。また、事故でもないなら、この島の中に爆弾を遠隔で起動させた人間がいるはずだ。


「船に近づいてみるべきでしょうか?」

「いや、もしかしたらまだ爆発する可能性があります。むやみに近づくと危ないのではないでしょうか?


 それに、幸いなことで風は北から吹いています。森に燃え広がることは無いでしょう。」

「それでも、爆破で飛び散った部品が森を燃やしていることもあるのではないですか?」

「おそらくこの雨ですから、火種はすぐに消えて、森を燃やすことは無いでしょう。ですから、私達は一旦状況を鏡幻荘の中にいる越前さん達に伝えましょう。」


 海老沼は冷静にそう言った。確かに、その通りだ。


「とりあえず、雨も酷くなってきたので、鏡幻荘の中に入りましょうか。」

「……あの匂いの中で過ごすのか……。」


 上村はそう言って、溜息をついた。


___________________________________________________________________________


「そんなことがね。」


 口をハンカチで押さえている泡はソファーを足掛かりにして、天井を調べていた。


「この仮説も違うか……。」

「なんで、そんなに余裕なの?」

「焦った所で、この島から出ることは出来ないし、外部との連絡もつかないことは変わらない訳でしょ?」

「だけど、今の話を聞いたら、泡には分かったでしょ。


 この中に……。」

「犯人がいる。」

「……。」

「そして、わざわざ脱出できない状況を作る理由は、まだ殺したい相手がいるから。」

「そう考えるのが妥当でしょ。だから、怖くないの?」

「怖くない。少なくとも私は。」

「じゃあ、私は怖い。」

「まあ、普通に考えれば怖いわよね。


 でも、私はここで死ぬ運命に無い。そして、私は死以外怖くない。


 だから、私は怖くない。」

「科学者として、論法が通じるの? 三段論法以前の問題だと思うけど?」

「前提に間違いはないよ。


 私はここで死ぬ運命に無いし、死以外は怖くない。」

「船でもそんなことを言っていたけど、死ぬ運命に無いってどういうことよ?」

「そのままの意味よ。


 私は私が死なないことを観測しているから、私が今ここで、頭を鉄砲で撃ち抜いても死なない。」

「余計に分からないんだけど?」

「私が今死ねるなら、私は既に死んでいる。死体が2度死ぬことは出来ないでしょ。


 ちなみに、こればっかりは分かりやすい解説をできない。」

「……じゃあ、後で自分で考えることにするわ。」

「いいや、今は目の前に転がっている謎を解き明かすことに頭を使いましょう。」


 泡はそう言って、酷い状態の死体を指差した。やはり、何度見ても生々しい死体に慣れない。これが刺殺体や絞殺体などの人間の形を保っている死体ならまだましだったろう。


 餓死体は、なんとなく人間ではないような見た目だ。そして、肌の色も溜まった血が少し黒ずんでいるから、異形の妖怪のようで、一種のグロテスクさがある。


「さて、まず謎を解く前に、事件の整理をしましょう。」

「分かったわ。」

「この死体はほぼ宣利さんのものと考えていいわね。乾さんに確認してもらった結果、宣利さんだと断言した。」

「断言したんですか? 


 この死体は顔は変色して、痩せこけているから顔の形も変わっているわよね。それなのに、断言したんですか?」

「ええ、宣利さんは幼少期に父親のライターで遊んでいた時、頬にS字の火傷を負ったらしくてね。その頬の傷がこの死体にあることを確認した。」


 泡はそう言って、撮った写真の中から死体の頬の写真を私に渡した。私はその写真を確認する。すると、確かに死体の頬にはS字の火傷のような跡が残っていた。


「この火傷の跡は、直前に付けたようなものではないことと骨格の形からほぼ宣利さんと考えて問題はないそうだね。


 それでは、この前提から謎の提示をしましょう。


 主に謎は3つ。不可解な死因と二重の密室、犯人の痕跡ね。


 まず、1つ目、宣利さんはなぜこの部屋から出ることができずに餓死したのか?


 この部屋は内側からはつまみを回すタイプの鍵だから、誰でも鍵を開けることのできる構造になっているわ。それに、大広間の扉は内開きになっている。だから、かんぬきや重しを外に置いておく方法も駄目。


 だから、人を大広間の内側に閉じ込めることは出来ないはずなの。」

「……でも、宣利さんを大広間に閉じ込めた後、部屋の外のドアノブに糸か何かを括りつけておいて、その糸がたゆまないように引っ張って、大広間の手前の部屋のドアノブなどに固定しておく。


 すると、部屋の中から扉を開けようとしても、ドアノブにくくりつけておいた糸のせいで、扉は開けることができないって言う状況を作り出すことは出来るんじゃない?」

「確かに、その可能性は考えたけど、多分違うわね。」

「どうして?」

「主に理由は2つ。


 ドアノブの形状とドアノブの素材が糸や紐で閉じ込めることに適していない。


 まず、ドアノブの形状については、見ての通り表面がツルツルで、先端が細くなっている棒状のノブよ。もちろん、ドアを開けるときは、ノブの棒を下に下げることになる。


 では、このことを覚えておいて、糸や紐をドアノブに括りつけて、真正面の部屋のノブとつないでおくことにしましょう。そして、宣利さんが部屋の内側から脱出したいがために、ドアノブを下ろしたとする。


 その時、どれだけきつく紐を結び付けていたとしても、ドアノブが下ろされると、糸や紐がそのツルツルのノブで滑って、先端へと落ちていく可能性がある。それは、きつく糸や紐を縛るほどに、そのリスクは高くなる。


 よって、糸や紐で真正面のドアノブを固定する方法は、大広間から宣利さんを出す可能性を孕んでしまう。


 この大広間に閉じ込めて餓死させるという強い意志を持った犯人なら、そのような可能性は嫌うはずね。だから、ドアノブの形状から梨子の言う方法は適切じゃないわね。」

「でも……。」

「ドアノブを隣の大広間のドアノブに引っかければ、そのようなリスクを無くすことができるんじゃないか?


 ドアノブの軸の部分はドアノブが下がっても影響はない。そして、この大広間のドアノブと隣の大広間のドアノブの取っ手は向かい合うように違う方向を向いている。つまり、どちらも玄関側には取っ手の先端が向いていない状態ね。


 この時、2つの大広間のドアノブの軸に糸や紐を掛ければ、宣利さんを閉じ込めることができる!


 って言おうとしている?」


 私は言おうとしたことを先読みされてしまい、口を開けたまま止まってしまった。


「一旦、その大きく開けた口を閉じて。


 まだ、最初に言ったドアノブの素材についての説明をしていないでしょ。」


 私はとりあえず口を閉じた。


「じゃあ、ドアノブの素材について説明するわ。


 ドアノブの素材自体は強いのだけど、ドアノブの塗装は剥がれやすいものだった。実際、爪で強くひっかっくと塗装が少し剥がれるほどだった。


 では、そう考えると、ドアノブの軸に固定する方法も否定される。なぜなら、扉が開かない程に紐や糸をドアノブに掛けた時、確実に紐や糸が擦れてドアノブの塗装を剥がすはず。


 しかし、大広間のドアノブの塗装はどこも剥がれていなかった。


 つまり、紐や糸をドアノブに括りつける方法はほぼ有り得ないと思っていいわね。


 それに、その紐や糸の方法は設置に時間がかかるから、誰かを閉じ込める方法としては適切じゃないわ。」

「……なるほど。」

「だから、人をこの大広間に閉じ込めることは出来ない。ちなみに、宣利さんの死体には紐で縛られた跡などは見られなかったから、宣利さんが拘束された可能性も低い。」

「……さっぱり分からないね。」

「私もまだ納得のいく推理はすることは出来ていない。


 このような謎がまだ2つある。」

「最初に言っていた。二重の密室でしょ。


 そう、この大広間の密室とその大広間を含む鏡幻荘の密室。


 まず、鏡幻荘の鍵と大広間の鍵は、宣利さんの腰ポケットに入っていた。そして、大広間と鏡幻荘の合鍵は都さんがついさっき島外から持ってきた。だから、それまでは、2重の密室が形成されていたってことよ。」

「でも、その2重の密室が作られたのは、今日じゃないでしょ?


 だって、宣利さんが死んだのは、20日くらい前なんでしょ。なら、その時からずっと密室が作られていたと考えるべきよね。


 だから、合鍵を使って二重の密室を作った後、合鍵を藤原家に戻せばいいだけじゃないの?」

「確かに、私も最初はそうだと思っていたわ。


 でも、そこに3つ目の謎。犯人の痕跡が立ちはだかったの。」

「犯人の痕跡?」

「梨子がちょうど立っている所の床を見て。」


 泡は私の立っている床の右を指差したので、私はその部分の床を見つめた。最初は何もないと思ったが、よく目を凝らしてみると、点状の傷がいくつか付いている。


「この傷は?」

「規則正しい点の傷がこの現場にはいくつもついている。


 私は何だろうと考えた結果、あるものが思いついたの。」

「……あるもの?」

「スパイク。」

「スパイク?


 ……そうか! これは犯人が履いていたスパイクの棘が床を傷つけたことで、出来た傷だったわけね。


 ……でも、なんでスパイクなんか?」


 私は少し考えてから、すぐに結論にたどり着いた。私が泡の方に顔を向けると、泡は待ち構えていたように、ソファーの下に隠してあったスパイクを取り出した。


 それは、上村さんがビリヤードをした時に履いていたスパイクだった。


「この上村さんが無くしたスパイクは、この密室の中にあった。



 つまり、この密室は今日作られたことになるの。」

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