密閉

 骨に皮膚が貼り付いているだけのようなミイラのような死体。


 血管と骨が彫り出されたかのように浮き出ている。


 その死体から飛び出しそうなほどに開かれた眼球。


 その眼球と目があった時、私は思わず腰を抜かしてしまった。


 そんな私とは対照的に、泡は部屋の中に入っていき、横たわる死体の首元に指を当てた。しかし、泡は残念そうに首を振った。見た通り、死んでいるらしい。


「天神さんは部屋の扉を全て閉めて、玄関の扉は全て開放するようにお願いします。また、カメラや消臭剤などがあればお願いします。


 そして、身元確認のために誰か1人を連れて来てもらえますか?」


 教授は静かに頷くと、そのまま部屋の扉を閉めながら、廊下の向こうへ消えていった。


「梨子も離れた方がいいわよ。額に打ち付けたような傷の跡があるけど、これは致命傷じゃない。おそらく死因は餓死、死後20日は経過してる。それに、糞尿も垂れ流しだから、死臭と排泄物の放置した酷い匂いが混じってる。


 単純に匂いもそうだけど、放置された死体は有害な菌やカビが繁殖してる可能性もあるから、あまり吸わない方がいいわよ。」


 私は泡の言葉を聞いて、ゆっくりと腰を上げて、玄関の方へと戻った。私は玄関から外に出て、新鮮な空気を吸った。外では雨脚が強まっていて、地面に雨粒が落ちる音が聞こえていた。鏡幻荘から離れた森の近くで、5人は固まっていた。


「……まさか、宣利は……。」

「おそらく……酷い状態ですが……。」

「そんな……。」


 5人は各々驚きの表情を浮かべていた。


 泡の言うことを信じるなら、あの死体は餓死だ。なら、単純にあの大広間に何かの事故で閉じ込められてしまったから、餓死するしかなかった。


 だから、事故死だ。


 とは思えないのはなぜだろうか?


「ってことは、さっきの匂いは死臭……。」


 私は海老沼の言葉に答えるように、静かにうなづいた。海老沼は匂いが死臭だと知って、余計な想像をしてしまったようだ。海老沼は口に手を押さえて、吐き気を再び催しているようだった。


「病気か何かですか?」

「……泡が言うには、餓死だと……。」

「餓死?


 ……本棚の下敷きになったとかですか?」

「いえ、大広間には家具が散乱していましたが、宣利さんと思われる死体に重い家具などは被さっていませんでした。それに、抜け出せないほど重い家具はなかったように思います。」

「……?


 じゃあ、大広間に閉じ込められたってことですか? 


 ……いや、それはないですね。だって、大広間の2つの扉はどちらも部屋の中に扉を動かす内開きだった。だから、何かがつっかえたという訳じゃないはず。それに、大広間の中からはつまみを回すタイプの鍵だから、簡単に開けられるはずです。」

「そう。それなのに、大広間から出ることは出来なかった。


 限りなく事故である可能性は低くなる。」


 玄関からハンカチで口元を押さえた天神教授が出てくるなりそう言った。


「つまり、どういう結論が合理的か?」


 全員が静まり返る。


「それは、これが殺人だということ。」


 静まり返った中にも適度な緊張感が走ったのが分かった。


「……殺人?」

「ええ、そもそもおかしくはありませんか?


 なぜ、私達はでこの島に来ることができたのか?


 宣利さんがこの島で事故死したとしましょう。なら、なぜ宣利さんの船が本島に存在したのでしょう?


 確か、乾さんは本島を出発する前に、都さんは1で来ると言いましたよね。と言うことは、私達が乗った船と都さんの乗ってきた船の2台しか藤原家は持っていないということ。


 もし、宣利さんがこの島で事故死をしたのだとしたら、本島に2台の船が残されていることはおかしいんですよ。


 仮に、他人の船を借りたとしても、結論は同じです。この島の周りを一周してみましたが、船らしきものは私達が来た船以外に存在しませんでした。なら、宣利さんがここに来た船は存在しないことになる。


 その理由は、宣利さんを置いて、この島から船で出た人間がいるというからと言うことが一番合理的な結論となります。


 つまり、宣利さんを殺した犯人がいるということです。」


 全員が教授の発言に息をのんだ。誰もが意図しなかった殺人という可能性に全員が周りを警戒する。まだこの中に犯人がいると明言されたわけではなかったが、この中に殺人犯がいるのではないかと言う疑念が全員の気を引き締めた。


「まず、先ほどからあの死体を宣利さんだとして発言していますが、私と越前さんは宣利さんの顔を見慣れていません。ですから、誰かが身元の確認をお願いしたいのですが、誰かできますでしょうか?」

「……それなら、私が……。」


 乾が手を挙げた。実の弟ならば、身元確認する者として申し分ないだろう。


「それでは、乾さん。何かハンカチや口の袖などで鼻と口を押さえるようにしてください。」

「分かりました。」

「それと、警察に連絡をお願いできますか? 


 おそらくこの島では携帯は圏外でしょうから、船の無線でしか連絡が付かないと思います。なので、海老沼さんか雅さんは無線で連絡をお願いします。」

「分かりました。私が連絡しておきます。」


 海老沼が名乗りを上げた。


「それではお願いします。他の方々は雨が強くなっていますが、少し木の下で雨宿りしておいてください。」


 乾は服の袖で口を塞いだ後、天神について行くように、鏡幻荘へと向かった。その後、少しして、海老沼が船の方へと戻ろうとした。


「ちょっと待って下さい!」


 私の声で海老沼が立ち止まる。


「……私もついて行きます。」


 私の発言に海老沼は驚いているようだった。それでも、この状況では、誰かを1人にしてはならないと私は思った。海老沼が犯人でないならそれでいいが、海老沼が犯人の時、むやみに無線を壊されてはいけない。私の視線がある前ではそのようなことは出来ないはずだ。


 それに、海老沼と私が2人きりと皆に分かった状態で犯行をしないはずだ。それは、残された雅と都、上村の間でも同じだ。3人のいる空間には荷物がある。この荷物から証拠を隠滅されたり、他人の荷物に証拠品を入れる偽装工作を行われると危険だ。


 なので、このような犯人にとって都合の悪い状況を作り上げることは重要だ。これは、この中に犯人がいるという前提だが、私はその前提をとりあえず信じてみることにした。


「別に構わないが……。」


 海老沼は何か言いたげだったが、言葉を呑み込んで、船のある方向へと歩みを進めた。私はその後ろについて行く。


 雨は土砂降りに変わろうとしていた。


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「無線が通じない?」


 海老沼は船の無線機をあれこれいじくり回しているが、酷いノイズが無線機から鳴るばかりで、一向に連絡が繋がりそうにない。


「こんなことよくあるんですか?」

「……いや、あり得ない。


 だってこれは、衛星通信だ。宇宙に浮かんでいる衛星を経由して、通話する無線だ。だから、地上の基地局が近くに無いから圏外になるということは無いはず……


 ……どういうことだ?」


 海老沼は無線から手を離して、頭を抱えた。だが、まだ海老沼が嘘をついている可能性がある。


 私は無線のつなぎ方など分かりはしないから、どのボタンをどう押せば、無線の連絡が可能なのかは分からない。なので、海老沼が無線の適当なボタンを押して、ノイズを鳴らしているということもあり得る。


 なので、まだこの無線のノイズを信じるべきではない。


「とりあえず、無線は繋がらなかったという報告をしに帰りませんか?


 泡に話せば、無線を直してもらえるかもしれませんし。」

「……そうだね。私は無線の直し方は分からないから、余計なことをしない方がいいね。」


 海老沼は抱えた頭を上げて、即座に立ち上がった。そして、私達は船から出るが、もう雨は地面に打ち付ける程に強くなっていた。


「一応、雨がっぱのようなものがありますので、どうぞ。」


 海老沼はそう言って、しっかりとした生地のナイロンで出来た雨がっぱを手渡してきた。


「ありがとうございます。」


 私はその雨がっぱを海老沼からもらうと、すぐに来た。フリーサイズらしく少しぶかぶかだったが、裾が足りないよりは良いだろう。


 雨がっぱを着た私は激しい雨の降る船から出て、砂浜に下りた。そして、再び鏡幻荘へと向かった。


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 ちょうどコナラの木の下に差し掛かった頃だった。傘を差して、それとは別の2本の雨傘を持った雅か都の姿が見えた。おそらくこんな優しいことをする方は雅だろう。


「あら、雨がっぱがあったんですの? 取りこし苦労でしたわね。」

「いえ、そんなことは無いですよ。」

「それで、無線の連絡はつきましたの?」

「それが、通じなかったらしいんです。」

「えっ!?」

「とりあえず、通じなかったという報告をしに来たわけです。」

「通じないとなると困りましたわね。」

「一旦、元の場所に戻りましょうか?」

「そうするしかなさそうですわね。」


 私と雅が話を終えた後だった。


 耳をつんざくような爆音が私の後ろから聞こえた。そして、激しい風が後ろから吹き抜け、突き刺すような無数の雨粒が背中に当たる。その風は冬の物とは思えない程、焼けるような熱を含んでいた。


 私が何事かと後ろを振り向くと、すぐに状況を理解できた。


 先ほどまで私のいた船が大破して、炎上していたのだ。

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