都が来るまで

「乾さん?」


 乾と私達は、コナラの木の下ですれ違った。泡は乾にジュラルミンケースを見せる。


「ありがとうございます! 


 ちょうど忘れたから取りに行こうとしていたところなんですよ。」


 泡は乾にケースを渡した。


「この中に浄水フィルター入っているんですか?」

「ええ、フィルターと掃除用の薬品ですね。


 まあ、フィルターと言えど、ただの半透膜ですがね。」

「なるほど、ここで取れる水は海水ですから、逆浸透法で淡水にしているわけですね。」


 私は置いてきぼりにされそうな空気を察知して、泡にアイコンタクトを送った。


「ああ、あの水だけを通す半透膜に海水をむりやり通すことで、海水に含まれる塩類を取り除く逆浸透法ですね。」


 私はまだ泡を見つめる。


「……水と海水を半透膜で分けると、濃度の高い海水の方へと水が移動する浸透という法則があって、海水に圧力をかけることで、浸透とは逆の動き、つまり、逆浸透を起こすことで、海水をろ過しているということですね。」

「……そうですが、やけに説明口調ですね。」

「ええ、色々ありまして……。」


 私はうんうんとうないて、泡に許しをさずけた。


「しかし、これだけでは駄目で、工具箱が無いと今夜は塩水の料理になるかもしれませんよ。」

「それは嫌ですけど、フィルターの交換が必要だったんですか?」

「ええ、浄水器を見れば、外からでもフィルターの交換時期が分かるように作ってあるのですが、もう相当汚れていますね。


 ……もし、中に宣利がいたら、気が付くはずなんだけどな……。」

「やはり中にいないんでしょうか?」

「……中で死んじゃいないだろうか?」

「……あり得なくはないですね。」

「大きな病気などは患っていなかったとは思うが、心不全のような病気で倒れている可能性もあるな。もしくは、何かの物に挟まれて動けないでいるのかもしれない。


 ここは火山帯の近くゆえに、地震が多い。だから、地震で物が倒れて、宣利が下敷きになっている可能性もあるな。」

「鏡幻荘の中に入るときには、十分に覚悟を持っておく必要がありますね。」

「まあ、可能性の1つですのでね。


 ……ただ、懸念点として、今夜は船を出せないかもしれないんですよね。」

「そうなんですか?」

「ええ、今夜は大雨で、風も強いそうです。だから、緊急時とは言えど、船は出すことは難しい状況になるかと思います。


 天気予報で雨になるとは知っていましたが、そんなに強い雨だったでしたっけ?」

「本島からだいぶ離れていますからね。テレビの気象予報とは違いますよ。


 天気図から気圧配置を読み取ると、低気圧が夜に来る予定になるので、豪雨になりますね。海老沼さんがベーリング海でカニ漁船の船長をしていた経験があれば、何とかなるかもしれないが、生憎な所、海老沼さんにそのような経験はなかったと思うからね。」

「じゃあ、死体と共に夜を過ごさなくてはならないかもしれないということですね。」

「究極そうなるかもしれないね。


 鏡幻荘は密閉性が高いから、死臭などは漏れ出てこないだろうから、本当に開けてみないことには分からないね。」

「シュレーディンガーの猫状態ですか。」


 泡は口が滑ったと言わんばかりにこっちを見てきた。だが、私は親指と人差し指で丸を作って、シュレーディンガーの猫は知っているよとアピールした。


 シュレーディンガーの猫は一定の確率で毒ガスが出る箱の中に猫を入れた時、箱の中の猫は死んでいる状態と生きている状態が重なっているというあれだろう。いくら文系と言えど、シュレーディンガーの猫ほど擦られた思考実験なら知っている。


「とりあえず、浄水器を直しておきたいのですが……。」

「それなら、もう使い終わったので、どうぞ。」


 その声は右の森から聞こえた。私達が森の方へと目を向けると、作業着の上村の姿が見えた。左手には工具箱を持っており、右手には何か鉄の棒のようなものを持っていた。


「上村さん。工具箱を使っていたんですか?」

「ええ、少し成長錐だけが必要でしてね。工具箱を全部取ってしまって、申し訳なかったです。」

「いえ、成長錐って……、まさか!」

「絶対、宣利さんには内緒ですよ。」

「木に穴を開けたら、流石に宣利さんに怒られますよ!」

「大丈夫、木の穴には取り出したコア試料の樹皮をはめておいたから。」

「そう言う問題ではなくて……。」


 私は泡の方を見る。泡は私に近づいて来て、小声で解説を始める。


「おそらく、上村さんがしたことは、年輪計測ね。


 年輪と言えば、木の切り株に浮かび上がる丸が丸を囲っているようなものだと知っているかもしれないわね。その年輪を見れば、木の樹齢だけじゃなく、気温や降水の多さなどの歴史的な気象情報なども分かるのね。


 その年輪を見るためには、切り株を見ることがベストだけど、木を調べるために、木を切り取ることは、手間もかかるし、木を殺してしまうことになるから、あまりいい方法とは言えない。


 だから、木の中心に向かって、小さな穴を開けて、そこから細長い木片を取り出すの。その木片は、切り株を中心に向かって切り取っているから、年輪が切り株と同じように読み取ることができるのよ。


 で、木に穴を開ける道具が成長錐で、切り取った木片をコア試料または、コアサンプルって言うわね。」

「なるほど~(歩く検索エンジン?)。」


「この島の木の秘密を知るために、コナラの木のコア試料を取ってみたんだが、興味深いことが分かったんだ。」


 上村がいきなり声を大きくして、そう言った。


「4つのコア試料を採取したんだが、1つだけおかしなコア試料があったんだ。


 確かに、全てが対称的な島と言えど、太陽は東から登って、西に沈む。だから、日商条件によって、年輪の成長具合が変わってくることは分かっていたんだが、それを加味しても、1つだけの計測結果がおかしいんだ。」

「どうおかしかったんですか?」

「それがね。


 東の木だけ、樹齢が短いんだ。」

「樹齢が短い?


 確かに、この島の木は同時に植えられたと言われていますから、それはおかしいですね。」

「そうなんだよ。


 それに、おかしい所はそれだけじゃない。まず、4つのコナラの木の植えられた時期を推測してみると、約30~40年になるんだ。この島の木が植えられたのは、60年前にとされていますから、明らかにおかしいんですよね。


 その中でも、1つのコナラだけは樹齢が2,3年短い。


 さらに言うなら、他の3つの木は少し年輪の幅が全体的に狭いんだよね。年輪が全体的に狭いということは、降水量や日射量が少ないと考えられる。


 だから、このコナラの木の違いがこの島の木の秘密にかかわってくると思うんだがね。」

「なるほど。


 ……そうなると、仮説が絞られてきましたね。」

「その仮説はまだ言えませんか?」

「ええ、まだ確定的でないこともありますし、島の概要をもう少し知っておかないことにはまだ口外することは出来ませんね。」

「もったいぶりますね。


 まあ、私はここまで来たので、自分で考えてみますがね。」

「その方が良いかもしれませんね。」


 泡は意味深にそう言った。


「……そうだ! 1つ言い忘れていたことがありました。


 私のスパイクシューズを見かけませんでしたか?」

「スパイクですか?


 たしか、さっきのビリヤードをした時に、履いてらっしゃったものですか?」

「ええ、そうです。


 年輪計測のために、スパイクはビリヤードをした砂浜に置いたあったんですが、先ほど見に行くと無くなっていまして、少し軽い素材なので、森の中に飛ばされたのかと今まで探していたんですが、見かけませんでしたか?」

「私は見かけてませんね。」


 泡は他の2人に目を合わすが、どちらも身に覚えが無いようだった。


「良ければ、探しましょうか?


 どうせ、都さんが来るまで鏡幻荘には入れないんですから、いい暇つぶしになりそうです。」

「ありがとうございます! 結構高かったので、探してもらえると嬉しいです。」

「じゃあ、私も。」

「なら、私と梨子で探して、乾さんは浄水器のフィルター交換と言うことにしましょうか。」


 全員が合意するようにうなづいた。乾は鏡幻荘へと向かい、私と泡は上村について行くことにした。


「それでは、こちらの森を探してもらえますか?」


 上村はそう言って、さきほど出てきた方の森に入っていった。私達もそれに続いた。

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