寿樹の遺産

「すごい! 前にも後ろにも右にも左にも海しかない!」


 私は船頭に立って見渡すと、四方には水平線しか見えなかった。本島からもだいぶ離れてきたようだ。


「確かにそうね。もう本州の領海はとっくに離れてそうね。」

「実際そうですね。今は領海外なので、海外の船が来ても文句は言えませんよ。


 それに、鏡幻島は本州の排他的経済水域ギリギリの位置にあるので、日本の排他的経済水域を広げることに貢献してますよ。」


 私は中学校の社会で習った知識を久しぶりに頭から引っ張り出す。確か、領海は国の主権が及ぶ海の範囲で、排他的経済水域は漁とかができる範囲だった気がする。陸から約30kmが領海、370kmが排他的経済水域だから、今は本州から30km離れているということか。


 私の頭ではこの会話を理解するのに、10秒以上を要したが、話している泡と乾の2人は即座に理解して会話しているようだ。


 天才と凡人の差が地頭の差によって、如実に突き付けられている。


 このような疎外感をこの2日間は常に感じ続けることになるのだろうか?


「そんな島を私有地にできるなんてすごいですね。下手したら、他国が攻め込んできたりはしないんですか?」

「一応、太平洋側だから、隣国が来ることが難しいってことと宣利は政府のお偉いさんに顔が利くから、あの島の防衛は基本的に守られているな。」

「忖度で守られている訳ですか?」

「まあ、そういう面もあるし、日本のガラパゴス島と言われるほど特殊な生態系が維持されているからね。貴重な自然遺産として価値があると認められているんだろう。過去には世界自然遺産の登録もされかけたと聞くしね。


 まあ、宣利がその登録を突っぱねた訳だが。」

「なぜそんなことを……。」

「まず、私有地であることにこだわっているし、基本的に外部の人間を入れることを宣利は好まない。世界自然遺産に登録されれば、研究者が群がってくる可能性が高い。実際、何の登録もされていない今でも入島の許可が山ほど来ているしね。」

「まあ、人が土地を踏み固めるだけで、植物には大きな影響を及ぼすと言いますもんね。」

「宣利がそのような問題意識で物事を見ているかは不明だけどね。」

「どういうことでしょう?」

「……これは私から聞いたってことは秘密にして欲しいんだがね。」


 乾は周りを見渡して、泡に近づいた。私はそれを見て、泡に近づき、耳を澄ませる。


「……宣利が鏡幻島に部外者を入れない理由は、海老沼寿樹の遺産を隠しているという噂があるからなんだ。」

「海老沼寿樹は宣利の師に当たる人物でしたよね。」

「ええ、その上、寿樹は有名な財閥の一人息子なので、莫大な資産を持っていたでしょう。実際、鏡幻島は本来は寿樹の所有でした。


 その寿樹は37年前に失踪したんです。」

「失踪?」

「聞いた限りだと、調査に出かけると言った切り、姿が見えなくなったそうです。寿樹は険しい山などで調査することも多かったので、何らかの事故に巻き込まれたんではないかということでした。


 結局現在に至るまで、海老沼寿樹の死体は見つかることは無く、法律上は死亡とされている状況です。


 海老沼寿樹の弟子であった宣利は、鏡幻島の管理を引き継いだんです。その時から、宣利は変わりました。金のかかる海外調査にどんどん行くようになり、結果、5年ほどオーストラリアの方に留学に行っていました。


 昔は簡単に留学の補助金なんてものは取れませんから、相当な大金が必要となったはずです。しかし、宣利は留学の資金をポンと一括で出しました。宣利はやましい方法で金を手に入れたことは確実でした。


 そして、寿樹が財閥の莫大な資産を持っていることと寿樹は鏡幻島の管理を行っていたことと結びつけると……。」

「なるほど。寿樹の資産を宣利さんが盗んだ可能性が高い。


 さらに言うなら、宣利さんが寿樹さんを……ということですか。」

「私はまったくそのことに関与していませんが、一介の研究者がこのような立派なクルーザーを買うことができる時点で、十分怪しいと思います。」

「なるほど。」

「もちろん、警察も同じように考えていましたが、証拠が無いので、令状が取れない。ゆえに、鏡幻島の調査は行われていない。」

「じゃあ、まさか……。」

「そうですね。あるかもしれません。


 寿樹の資産も、寿樹自身も。」

「……。」

「もちろん、これは推測です。本当なら、私は宣利は自首させていますよ。ですが、確固たる根拠も無しに決めてかかるのは、科学者の道理に反しますから、今でも仮説の段階にいるという訳です。」

「では、その仮説では、隠されたものは島のどこにあるとお考えですか?」

「……それは、開かずの間でしょう。」

「開かずの間?」

「ええ、鏡幻島の鏡幻荘には、2つの大広間があります。その大広間の内、1つが寿樹の失踪以来開いていないそうなんです。寿樹が鍵を持っていたので、宣利はその大広間が開かないと言っています。


 しかし、宣利がその開かずの間の鍵を持っているとしたら……。」

「そこに、隠している可能性が高いってことですね。」

「ええ、その通りです。」


 私はその話を聞いて、不謹慎だがわくわくした。だって、孤島ミステリーでは王道の宝探しの要素も加わったからだ。それもいわくつきの宝だ。


「その寿樹の遺産はどれほどあるんですか?」


 いきなり私が話に入ってきたので、乾は驚いた表情をしていたが、上を見上げて、遺産の額を考えていた。


「……少なくとも100億。下手すると、その下に0がいくつ付くか分からない。」

「財閥ってすごいですね。」

「その宝がバレたら、国税に盗られて破産だから、あまり見つけたくはないけどね。暇があれば、開かずの間を開けるチャレンジをしてみるといい。


 宣利に見つかったら、君は殺されて、開かずの間に幽閉されるかもしれないけどね。」


 乾は冗談めかしてそう言った。私は少し顔をこわばらせた。


「冗談と言いたいところだけど、宣利ならそれを冗談とできるかどうか。気性が荒いから、人殺しなんてやってしまいそうではあるけど……。」

「大丈夫ですよ。梨子が殺されそうになったら、私が守りますから。」


 泡は両手を握って、ファイティングポーズを取った。


「私、これでも空手やってたんですよ。中学の時に日本一取ったこともありますよ。」


 泡は軽く右手の拳で風を切った。ボクサー特有の風きり音が聞こえた。素人目に見ても、強そうだ。


「ハハハ、頭脳だけでなく、武術もできる訳ですか。まさに才色兼備って訳だ。」

「勝手に美人も加えてくださるなんて光栄です。」

「やはり頭の回転も速いね。


 ……だが、宣利は鏡幻荘に拳銃を隠し持っているから、武術が通用する相手ではないよ。」

「それは元も子もない。」

「それに、他の男性陣も気を付けることだね。私はこのように、だらしない体型で腰痛持ちだが、さっきの海老沼君は細身だが、大学時代は柔道をやっていたし、上村君は学生時代はラガーマンだったから、ガタイはいい。


 だから、どれほど空手をやっていたかは知らないが、あの2人が何の武器も持っていなかったとしても、勝機は薄いよ。」

「なるほど。


 ……梨子、ごめんね。」

「なんで、殺される前提なの?」

「ハハハ、冗談。


 私は死線をいくらでも超えてきたし、私はまだ死なないことになっているから、大丈夫よ。」

「色々と不思議な言動ね。」

「今の意味が分かったら、逆に怖いけど、私の近くにいればまず安全よ。それは私は確信している。」

「とりあえず心強いから、その言葉だけ信じておくわ。」

「私も守って欲しいものだが、私は命を狙われる理由が無いからね。」

「でも、もし、その話が本当なら、海老沼家の人間は藤原家を恨んでいるんじゃないですか?」

「かもねえ。でも、海老沼家はいつもクリスマスパーティーには来ているからね。もしかしたら、恨みなどは感じているのかもしれないが、パーティーに来るくらいだから、そこまで恨んではいないんじゃないかな?」

「そうなんですかね。」

「さあ、気になるなら、後で海老沼家の人間に聞いてみると良いよ。」

「そんなことできるわけないじゃないですか。」

「ハハハ、まあ、そうだね。」


「何か、楽しそうなお話をしていそうですわね。」


 コソコソと話していた私達の後ろから、聞き覚えのある女性の声が聞こえてくる。私はゆっくりと声の方に振り返った。


 そこには、私の理解の追い付かない人間が立っていた。


「都さん?」


 そこには今朝、バスの中であった女性と同じ顔と姿をした人間が立っていた。黒髪のロングヘヤで編み込みのセーターを着ている。だが、セーターは白く、顔は全く同じだが、少し子供っぽいかもしれない。


「もう船で追いついたんですか?」


 私はそう彼女に問いかけた。


「……ああ、姉と勘違いしていらっしゃるようですね。」

「姉?」

「ええ、わたくしの双子の姉である都はまだ本州から出発していないでしょうね。」

「双子……。」

「つまり、さっき会ったのは、都ですから、私はあなた達2人と初対面になりますね。


 なので、自己紹介をしておきますわね。


 藤原 みやび、文学者ですわ。以後お見知りおきを。」

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