天才とは

「ゲーム理論は主に他の人間の考えを考慮に入れて、自分は合理的に考えれば、どうするべきかということを限りなく単純な条件で考えていく学問ですね。


 経済学のみならず、社会学や心理学、生物の進化などにも使われるものです。私はスタンダードに経済学におけるゲーム理論を考えていますね。」

「ゲーム理論は、量子力学や電子工学にも応用できないかと考えたんだけど、上手く行かなかったですね。」

「まあ、そもそもゲーム理論は合理的なものの考え方を表していると思っているので、物理学のみならず、あらゆる分野の考え方の根幹をなすものだと考えています。」

「それはそうですね。


 私が直感的に考えていることが後からゲーム理論の思考だったと思うこともあるからね。」

「それは私もありますね。


 その直感的な感覚をゲーム理論の思考に当てはめて、それを起点に論文などを書くことが良くあります。」


 港へ向かうバスの中で、天神教授は泡と会話を交わしている。私はその研究者同士の間に入ることができずに、静かに黙っている。


「ところで、梨子と天神さんはどういう関係なんですか?」


 まだ教授はさん付けだ。私の方が勝ってる。


「実は、同じ大学の学生と教授なんだよね~。」

「そうなの! それなら良かった。


 てっきり、梨子が天神さんとパパ活でもしてるのかな~と思っちゃった!」

「私、そんなパパ活してそうな女に見えてたの?」

「いや、なんとなく梨子が天神さんに敵意持ってるような顔だったし、気まずそうな顔してたから、パパ活でお金だけ盗られたパターンかなと妄想したんだけどね。」

「そんなドロドロした関係じゃないですよ! 私は清廉潔白な女の子です!


 まあ、敵意が無いことは無いけど……。」


 私はじろりと教授をの方を睨む。


「果たして、その敵意が何のものに当たるかは分からないが、もし、先日の批評の件だとしたら、自分の実力不足を恨むことだね。」

「ねえ、泡。


 島に集められる天才って、こんな人ばっかなのかな? 泡みたいな人がいいよ。」

「ハハハ、やっぱり梨子は面白いね。


 私はこの天神さんとはどんな関係なのか分からないけど、天神さんも別に私と性格はそこまで変わらないと思うよ。」

「泡と教授じゃ全く違うよ。」

「いや、きっと同じよ。どういう文脈だかは分からないけど、梨子は天神さんに批評をお願いしたんでしょう?」

「そうよ。私が書いている小説の批評。ボロボロに言われたわ。」

「『梨子は小説書いてるんだ~。』っていう話は後でするとして、梨子は科学者である天神さんに批評をお願いしたわけでしょう?」

「まあ、経済学者が科学者というかは分からないけどね。」

「それは同じよ。何かの研究者である以上、ものの考え方は科学者と同じ。経済学者でも、哲学者でも、文学者でも、根本の考え方は科学者なのよ。


 それで、その人たちに共通する科学者としてのものの考え方は常に物事を批評的な目で見ているってこと。


 そうでないと、物事はすぐに裏切るでしょ?」


 私は自分の書いたことをそのまま言われたようで、少し驚いた。


「だから、科学者はあらゆるものの批評のプロよ。そんな人間に批評を頼んだら、厳しい檄を飛ばされるわ。きっと、私に梨子の小説を見せても、天神さんと同じように素直で厳しい意見を述べると思うわ。


 それに、梨子は天神さんの専門分野で勝負を挑んだんじゃないの?」

「……まあ、専門分野と言えば専門分野かな?」

「これから集められる天才と言われる人達は、ある分野を極めている人よ。だから、その人の専門分野にプライドを持っている。そんな人の専門分野に浅い知識で突っ込んで、批評してくださいなんて言った日には、精神的にボコボコにされるわよ。


 だから、まだ梨子が天神さんに殺意じゃなくて、敵意を向けている時点で、天神さんは優しい科学者なんだなと思うわね。


 だって、私は生理学・医学賞、物理学賞、化学賞と3分野も手広くやっているでしょ。だから、毎日のように、その分野ごとの科学者から、殺害予告みたいな私の論文への批評が届くわ。


 私も悪い論文を出したことはいけないとは思うわ。でも、私もその重箱の隅をつつくようないやらしい批評を見るたびにイライラするし、殺意のようなものがいつだってポコポコ生まれているわ。


 科学者はそれなりにプライドを持っているから、どちらも殺意を持って批評してるし、殺意のある批評を受け取ってる。


 でも安心して、それは私達のフィールドにノコノコと足を踏み入れた時に限りだから、それ以外の時の科学者は基本的に優しいわ。そうでないと、科学者の世界は殺伐として、いい発見ができなくなるからね。」

「なんとなく、泡の口調から科学者の雰囲気は分かった気がする。


 それでも、教授が普段優しい感じはしませんけどね。」

「それは、君が真面目に講義を聞いていれば、こちらも態度を改めてもいい。でも、私の講義中に小説の筆を進ませているような人間には、態度は厳しくなるものだよ。」

「それは……。」

「私の講義を聞かずに作った小説を持ってくる。


 君は知らないと思うが、ゲーム理論では、1人の利益だけを優先する自己中心的な考えは好まれない。必ず、他者の利益を考えるべきなんだだよ。


 私の講義を真面目に聞くことで、私の機嫌を取っていないのに、自分の小説を他人に読ませる自己中心的な利益追求は、私以外だったら、殺意を向けられてもしょうがないよ。」

「……。」

「ハハハ、梨子が論破されちゃったね。


 でも、私なら、その自己中心的な私を受け入れてくれている天神さんはどう思ってるんですか?


 って切り返すけどね。」


 天神は少し返答に困った表情を浮かべる。


「私の研究室にもこんなちんぷんかんぷんな人間が多いから扱いに慣れているだけですよ。


 それに、私は彼女の書く小説は好きではあるからね。」

「その割には批評の言葉に愛が無い気がするんですけど……。」

「批評は批評、感情は感情だ。


 何かを批評する時、自分の感情を押し殺さなければならない。なぜなら、批評は誰が見ても納得するような客観性が大事だからだ。


 批評に自分の好きを詰め込んだものにすると、他人や世間の尺度とは離れてしまうことが多い。だから、批評にとって、主観性は敵になる。」

「それは天神さんの言う通りだね。


 好き勝手言えるようなら、『あなたの考えていることは嫌いだから、あなたは間違っている。』みたいな恐ろしい詭弁が通用することになる。そうなれば、科学は詭弁が上手な詐欺師の集まりになって、どうやって人を騙すかの戦いになる。


 まあ、今の状況がそうではないとは言えないけど、科学の発展はそう言った弁論大会じゃなくて、客観的事実の陳列。そして、その事実の妥当性の客観的検討が批評でないといけないの。」

「……だから、批評では事実を淡々と指摘するけど、好きか嫌いかは別問題ってこと?」

「そうね。


 例えば、よくミスする人がいて、何度教えても、ミスが減らないとするわね。その人は客観的に見れば、ミスを良くする使えない人間と言う評価が下るけど、そのミスを繰り返す人を可愛いと思う人もいるわ。


 不良でも愛される。クズでも愛される。犯罪者でも愛される。


 こう言った客観性と主観性の乖離はよくあることなのよ。」

「ふーん。


 じゃあ、とりあえず教授は私の小説は好きってことですか?」

「ああ、君の書く小説の論理性に目をつぶれば、君の小説は好きだよ。」

「……私の小説の強みは論理性なのになぁ……。」

「フフフ、それが客観性と主観性の乖離よ。


 梨子が好きなのは小説の論理性なのかもしれないけど、他の人が見れば、小説の論理性以外が好きなポイントになるってことよ。」

「まだ私は自分の小説を客観的に見ることができていないのね。」

「そうかもね。


 ……良かったら、梨子の小説見せてよ。」

「えっ!?」

「客観的な面白さを求めるなら、他人の意見も取り入れないと駄目よ。特に、批判的な意見をね。全肯定イエスマンの意見に成長はないから、批判的意見が必要。


 私も天神さんと同じ科学者ないし批評家だから、ズバズバ意見を言えるはずよ。」

「……でも、出会ったばっかりの人に見せるのは……。」

「梨子の作品は他人に見せるために書いていないの?」

「……それはいつか本として売り出されたいと思っているけど……。」

「梨子が最初に出す本は、ほとんどが初対面の他人が読むよ。


 将来的にそうなる覚悟があるなら、ここで1人に読まれることを恥ずかしがっちゃ駄目よ。」

「それは、文字を挟んで知り合っているだけで、実際には面と向かって読まれるのは、ちょっと……。」

「でも、天神さんには見せるんだ?」

「あっ……。」

「梨子と私の仲ってそんなものだったの!」


 泡は顔を覆って、泣く演技をした。


「って言うのは冗談だけど、天神さんと梨子だけの特別な関係を持つことは任せるけど、自分の作品を成長させたいなら、たくさんの人に見せた方がいいわよ。」

「……特別な関係みたいに言われるの嫌だから、見せるよ。」

「楽しみだけど、もうバスが目的地に着くから、梨子の小説はまた後でにしよう。」


 私がバスの外を見渡すと、コンクリートで固められた防波堤の奥に、一面の海が見える。今日は晴れているので、水面が太陽の光を浴びて、キラキラと光っている。今は冬なのだが、景色は夏らしい海だった。


「あっ、バス停で招待された人達が私達を待っているわね。」


 バスが停まると、私はバス停を確認した。バス停では、男女2人が何か話し合っていた。男の方の見た目は、四角い眼鏡をかけ、白髪交じりの頭をオールバックにしている。


 女の方は、黒色の編み込みのセーターを着て、胸まである長い黒髪をストレートにしている。バスがバス停に停まると、長い髪の女がバスの中に入ってきた。私と彼女は一瞬目があったが、彼女は首を傾げた。


「天神さんと越前さんですね。」

「はい、それと友達の梨子もね。」

「……ああ、そんな人もいましたね。一応、聞いています。」


 明らかに嫌味な言い方で、彼女はそう言った。私は彼女にいら立ちを覚えながらも、そのいら立ちを呑み込んだ。


「私は社会学者の藤原 みやこです。名前の通り、この会合の主催者である藤原宣利の娘です。」

「そうなんですね。お父さんは生態学者だと聞いているけど、分野が違うのね。」

「まあ、そうですね。


 ……とゆっくり話している暇はないんでした。とりあえず、このバスから降りて、バス停に立っている乾という人間に事情を聞いてください。


 私はこのバスで、一度自宅に帰らねばなりません。」

「何かあったみたいですけど、バスは貸し切りではないので、私達は早く降りましょうか。」


 泡がそう言うと、私達3人は荷物を持って、バスを降りた。都はそのままバスに乗ったまま、バスは来た道を折り返して、走り出した。バスが完全に見えなくなると、バス停前の乾らしき人物は私達に目を向けた。乾は少し肉がついて丸い体型と丸い顔をして、愛嬌のある顔だった。


「いや~、いきなりトラブルですな。鏡幻荘きょうげんそうの鍵を忘れてしまうとはね。」

「それは大変ですね。」


 泡が乾の受け答えをする。


「きちんと持ってきたはずだったんですが、この港に付いた途端に忘れたこのに気が付いたんです。」

「だから、都さんが取りに行ったわけですね。」

「はい、その通りです。


 でも、安心してください。船は時間通りに出発します。」

「都さんは大丈夫なんですか?」

「都さんは船舶免許を持ってますから、藤原家の所有するもう1つの小型の船で1人で向かうそうです。」

「そこまでしなくても、都さんを待ったらいいんじゃないですか?」

「いえ、宣利は時間に厳しい人間なので、到着の時間がずれると、機嫌を損ねます。招待されたのに、全員帰れ! と言い出す可能性すらありますから、出発時間だけはずらすことができません。」

「なら、遅れる旨の連絡を藤原氏にすればいいんじゃないですか?」

「……それが、連絡が取れないんです。」

「連絡が取れない?」



「宣利は鏡幻島に行ってから1か月、連絡が取れていないんです。」

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