4つの叙述トリック

「まず、4つの叙述トリックの1つ目は、桐生と佐倉の性別誤認トリックだ。」

「それ、根拠がないと許しませんからね!」


 私は天神教授がヤマ勘で真相を見抜いたという限りなく低い可能性に賭けてみた。


「根拠は2つもある。


 まず、結論として、桐生は女で、佐倉は男だ。


 では、その事実はこの小説のどの部分から読み取ることができる描写は、狭い通路での桐生と佐倉のよけ方と桐生の煙草を触った佐倉の行動の違いの2つだ。


 まず、狭い通路のよけ方だ。


 最初の場面で、桐生のマンションの通路で、隣人とすれ違った時、桐生は隣人に背を向けるようにすれ違い、佐倉は壁に背を付けるようにすれ違った。


 単にすれ違ったと書けばいい所を、わざわざこのような描写を書くのだから、何かあるとメタ的に考えてしまうのが読者の性だ。


 では、この描写で作者は何を伝えたかったのかを考えると、おそらくそれは桐生の女性的行動を強調する動作なのではないかと考えることができる。


 桐生は隣人に背を向けてすれ違った。これは、裏を返せば、隣人に腹側を当てたくなかったと考えることができる。他人に腹側を当てたくない理由とは何か考えると、桐生には胸の膨らみがあるのではないのかと言う結論に至った。


 桐生に胸の膨らみがあれば、他人に胸を当てることは、世間的にははばられる行動だ。なので、桐生は背中を隣人に向けるように通り過ぎた。だが、胸の膨らみの無い佐倉は普通に隣人に胸を向けて通り過ぎることができた。


 こういう仮説の元では、胸の膨らみのある桐生は女性となる。そして、小説冒頭で、男女カップルの話だという前置きがあるから、消去法で佐倉は男性と言うことになる。


 だが、このすれ違いの方法だけでは、桐生女性説を裏付ける根拠には足りないから、もう1つの根拠も示しておく。


 と言うことで、次は、桐生の煙草についてだ。


 桐生の煙草を触った佐倉は、手についた汚れを取るために水で手を洗い流していたな。そして、その佐倉の姿を見て、桐生は殺人犯みたいだなと言った。


 これは一見、煙草の灰が手についた佐倉がその灰を落とすために、灰の汚れを水で洗い流したかのように見えるが、実際はそうではない。


 なぜなら、桐生が佐倉の手に付いた汚れのことを「擦っても取れない」と言っているからだ。


 そもそも、灰の汚れは水で洗い流さないと取れないほど頑固な汚れじゃなく、反対の手で払う程度で取れる汚れのはずだ。桐生が擦っても取れないなんて表現することは無いはずだ。


 それに、灰皿を触って、灰が汚れとして目立つほどつくなら、灰皿の灰を手に撒き散らすくらいになるだろう。しかし、この小説の文章からは、灰皿の上でひっくり返すような描写はない。


 だから、この場面では灰皿の中の汚れが佐倉の手掛かった訳ではないということになるので、手に灰の汚れが付いている可能性は低くなる。


 では、この場面で佐倉の手に付いた汚れとは何なのか?


 それは口紅だ。


 まず、口紅が手に付くと、手で擦るだけでは簡単に落ちないだろう。それに、手に付いた赤い口紅を洗い流す様は、血を洗い流す殺人犯のようだ。だから、桐生がそのように表現した理由も納得がいく。


 そして、佐倉の手に口紅が付いた理由は、桐生が吸った煙草の口先が出た灰皿を触ったからだ。おそらく佐倉は灰皿を触った際に、灰皿から出ていた煙草を触った。その時に、たばこの吸い先に付いた口紅が佐倉の手を汚したんだ。


 佐倉は煙草を吸わないので、灰皿の煙草は桐生のものだけだから、桐生は口紅を付ける方の性別と言うことになる。


 よって、この2つの根拠から桐生は女性で、佐倉は男性だと考えることができる。長くなったが、これが4つ目の叙述トリックの内、1つ目の説明だ。


 作者としては、文句はないかな?」


 私は小さくうなづいた。


「良かった。それでは、2つ目の叙述トリックの解説に移ろう。


 2つ目の叙述トリックは、語り手視点の誤認だ。


 この小説の語り手は、桐生か佐倉、もしくは、それを俯瞰する神視点のどれかだと思うように描かれている。


 しかし、語り手の視点はそのどれでもない。


 語り手は、小説の冒頭に登場した桐生の部屋の隣人なのだからね。


 根拠は、通路では視覚的に描いていたが、桐生の部屋の中からの描写から急に聴覚的になったからだ。


 最初の通路では、桐生と佐倉の2人がつまみと酒が入ったレジ袋を持っていたことや佐倉がスマホをいじっていたこと、さっきのすれ違い方などの視覚的描写が多くあった。


 しかし、2人が桐生の部屋に入った途端、会話が主となった描写に切り替わり、窓の開閉や蛇口から水を出しているなどの聴覚情報だけで想像できるような描写が多くなっている。


 もし、神視点なら、煙草を灰皿で消す描写やどこで手を洗ったのかの描写などの視覚的な描写をするべきだ。


 でも、この描写が無かったことが何を意味するのかと言うと、語り手の視点は、通路では見ることのできる位置にあったが、桐生の部屋は覗きこむができなかった。しかし、桐生の部屋から聴覚的な情報を仕入れることができた。


 このような条件に合う語り手の視点は、隣人の男しかない。そして、この隣人の男は小説内の"私"に当たる人物だ。小説の最後で、桐生が壁を叩いて、”私”を驚かせる場面があったが、あれは、聞き耳を立てていた壁がいきなり叩かれたことによる驚きだと考えれば、辻褄は合う。


 よって、これが2つ目の叙述トリックだ。


 そして、3つ目の叙述トリックは、講師の佐々木と話の桐生が同一人物であることだ。


 その根拠は、小説内に、”私”以外の”僕”と言う一人称があるところだ。


 僕は小説内では、佐々木が使っている一人称だった。そして、佐々木の話の最後で、『僕は佐倉以外の人間と一夜を明かした。』という言葉がある。ここは、桐生ではなく、僕という一人称になっている。


 これは、おそらく、講師の佐々木が桐生と同一人物であるという叙述トリックを解く根拠として残したものだろう。佐々木自身、この話を講義の課題としているのだから、根拠無しに解けないようにはしないだろう。


 だから、わざと最後の1文で、桐生で統一していた人称を佐々木の一人称である”僕”に変えたんだ。こうすれば、他人からの伝聞のように語られていた話が実は、自身の体験談だったという勘違いを正す根拠になるんだ。


 よって、佐々木と桐生は同一人物だ。


 そうすると、2つ目の叙述トリックとの組み合わせで、桐生が一夜を明かした人物は、隣人の男ということになる。


『なあ、ちょうど酒とつまみが余ってるんだ。僕の部屋に来いよ。すぐに来れるだろ。』と言う桐生の言葉は、佐倉以外の人間に電話を掛けている訳じゃなく、隣に住んでいる人間に話しかけたものだったんだ。


 なので、佐々木は、桐生でありながら、隣人から聞いた話という体裁を取ることができた。それは、一夜を明かす途中で、佐倉と桐生の一連のやり取りを聞かされたからと言うことも考えられるからだ。


 なので、この話はこれまでのことをレポートに書いて、佐々木から満点を貰って、終わり。という驚きの無い結末を君が用意しないと信用している。


 きっと、君は最後にもどんでん返しを用意していると踏んで考えると、4つ目の叙述トリックが思い浮かんだ。


 ただ、これは今の時代にしか通用しないトリックではあるから、不朽の名作を目指すなら、あまり良いものではないがね。


 じゃあ、4つ目の叙述トリックは何かと言うと、この話の時代設定だ。


 3つ目の叙述トリックから、これは40代の佐々木という講師の話だと分かった。だから、この佐々木の話は佐々木が大学時代の話であると誤認してしまうが、実際はそうではない。


 なぜなら、佐倉がスマホをいじっているからだ。


 佐々木は40代だと書かれているから、その佐々木が大学時代の話なら、スマホが普及していないだろう。スマホの普及は大体、近年10年の出来事だから、この話自体、ここ10年の話と言うことになる。


 これがどのような結末を引き起こすかというと、おそらく、佐々木が次の講義では、大学を解雇されているという結末を引き起こす。


 なぜなら、佐倉は佐々木の大学の学生だからだ。


 桐生は佐倉のことを大学に入りたての1年生だと言った。そして、桐生は先輩だから何でも知っていると言った。佐々木が大学の講師であるということを考えると、桐生、ないし、佐々木は自身の教え子に手を出していた可能性が高い。


 それも、20歳未満の男性にだ。大学1年生となれば、18歳のこともあるから、ギリギリ未成年淫行の対象にならないとはいえ、大学の学生だ。だから、大学の講師であるという立場を考えれば、退職や停職は免れないかもしれないな。


 よって、桐生が佐々木になっていることも加味して考えると、おそらく小説のラストにこんな記事を貼り付けるんじゃないか?


【国公立大学の非常勤講師が教え子との不適切な関係を認め、解雇。


 昨日さくじつ、佐々木梢(43)容疑者が教え子に手を出したことにより、大学を解雇されていたことが分かった。


 先月の3月に、現在の大学の前の大学で、佐々木容疑者は同大学の生徒である佐倉翔(19)と不適切な関係が複数回あったと佐倉氏の証言により判明した。


 なお、佐々木容疑者は、佐倉氏と同大学の学生である佐々木裕樹(19)との結婚が問題視され、解雇されていた。


 そのため、現大学にも佐々木容疑者の被害者がいないか調査が進められている。】


 こんなものかな? 


 さて、作者として、この結末に添削はあるかな?」

「……ありません……。」


 私は悔しさを噛み殺すようにして、そう呟いた。全てのトリックとその根拠を完璧に言い当てられてしまった。私が用意していた解答編のプロットより綺麗な推理だったかもしれない。


 1か月をかけて作った小説のトリックをいとも簡単に言い当てられてしまった私は、悔しさから鬼の形相を浮かべていた。そんな私と対称的に、得意げな顔を天神教授は浮かべていた。


「こういう叙述トリックはあまり好きじゃないな。特に、1つ目の叙述トリックのような男女誤認は得意じゃない。だって……。


 おっと、もうこんな時間だ。次の講義の準備をしなくてはね。


 また、君の作品が出来上がれば、添削してあげるよ。まあ、今度は骨のあるものを頼むよ。


 じゃあ、また。」


 教授はそう言って、講義室を立ち去った。私はしばらくして、講義室を見渡す。講義室には誰もいなかった。私は息を大きく吸い込む。




「ふざけんなあああああああ!!!!! あの教授うううううううう!!!!!」

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