桐生の罪

「あらゆる事象において、裏切りは発生する。」


 講師の佐々木はそう話を切り出す。


「その裏切りは、事象の観察者の思い込みから生まれる。たった一部分の切り取られた事実を誤解し、真実とはかけ離れた推論を出す。


 そして、その推論が間違っていると気がついた時、人々は裏切られたと言う。


 科学はその事象の裏切りという真理を古くから理解しながらも、幾度もその真理に騙され続けた。


 その最たる例が天動説だ。


 ガリレオやコペルニクスは、固定概念としての天動説をひっくり返すような地動説を唱えた。


 これは彼らが、事象の魅惑に取り憑かれることなく、正しく事象を観察することによって、事象の裏切りに打ち勝った証拠となりうるでしょう。


 我々科学者は、裏切られないために、思い込みに囚われてはいけない。


 ……と、難しい話をすると、そこの彼女の様に深い眠りについてしまう様ですね。」


 講師は慣れた話術でそう言って、私の横ですやすやと寝ている美月を指差した。講義室は笑いに包まれた。その笑い声に起こされて、彼女は目を覚ます。


「おはようございます。


 王子様のキスは必要なかったようで、良かったです。プリンセス。」


 佐々木は小粋なジョークを飛ばした。40代にしては、自分に酔っていて痛々しいが、講義室の皆はそのジョークを声を出して笑った。


 寝ぼけている彼女は、自身に集まる目線と講義室中に響き渡る笑い声の真意を理解出来ていない様だった。


「さて、それではこのような固い話は、少女を寝かし付ける子守唄となってしまうようなので、話題に変えることにしましょう。


 先ほど述べた思い込みと言うものを、あなた達がどれ程持っているか今からする話でテストしましょう。


 なお、今回の課題レポートは、この話をどれだけ思い込み無しで、聞くことができているかを評価します。


 なので、しっかりと今からの話を聞く様にしましょう。」


 佐々木そう言うと、笑い声や内職でキーボードを打つ音が止み、講義室全体がピリリとした緊張に包まれた。


「それと、もう1つ言い忘れていましたが、この話の課題レポートで満点を出した学生はいないので、初めての満点回答者になれる様に頑張ってくださいね。


 ただ、意地悪をして、満点を取れない様にはしていません。ちゃんと話を適切に判断すれば、自ずと満点を取れることでしょう。


 ……さて、前座はこのくらいにして、本題に入っていきましょう。


 これは僕がある人から聞いた話でして、その話をそのまま話すことにします。


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 これは桐生と佐倉の男女カップルが別れた日の話です。


 その日は、桐生の住むマンションで、飲み会をするために、2人は近くのスーパーで酒とつまみを買い込んでいました。


 その酒とつまみの入ったレジ袋を桐生が持ち、佐倉は桐生について行きながら、スマホを触っていた。そして、桐生の住む部屋の前まで来た廊下で、2人はある男とすれ違った。


 桐生はその男が隣人だと知っていたので、会釈をした。そして、廊下が狭かったので、彼に背を向けて、通り過ぎた。


 佐倉もそれに続き、壁に背をつけて通り抜けた。佐倉は、その男の観察する様な目付きに恐怖を覚えながら、桐生の部屋へと入っていった。


 隣人の男は、佐倉が部屋に入るまで、じっくりとこちらを見ていた。

 

「何? あの廊下で会った男の人?」

「隣の佐々木?」

「お隣さん? なんか私達のことすごい見てなかった?」

「そうか? 僕は分からなかったけど…。


 狙ってんじゃないの?お前のこと?」

「そんな訳無いでしょ?」

「へへ、冗談だよ、冗談。


 多分、見てたのは、僕だろうよ。このマンションの壁が薄いから結構隣に聞こえるんだ。男女2人が酒とつまみ持って、入っていったから、騒がしくなるのかと思って、見ていたんだろうよ。」

「そうなの?」

「まあ、ベランダでタバコも吸うし、恐らく隣人嫌われているからな。同じ大学の学生だから、嫌われたくはないけどね。」

「ふーん。私は隣の人、大学で見たことないけどね。」

「それは、まだ大学に入りたての1年生だからだろ。こっちは先輩だから、大学のことなんでも知ってんの。


 ……ああ、タバコの話してたら、タバコ吸いたくなって来た。ちょっと一服してくる。


 お前も吸うか?」

「私が吸えないの知ってるでしょ? 20歳超えてないんだから。」

「ハハハ、お子ちゃまには、大人の楽しみはまだ早かったな。」

「あんなのただ臭いだけじゃない。」

「なのに、酒は飲むと。悪いお子ちゃまだな。」


 そう言って、桐生はベランダへとタバコを吸いに行った。


 そして、数分後、タバコを吸い終わって、部屋の中に戻ってくる。


「灰皿、用意しといたよ。」

「気が利くねえ。」

「灰皿、ベランダに置けばいいのに。」

「ベランダに置いてたら、台風の日に灰皿飛んで、ベランダに吸い殻散らかった話しただろ?」

「そうだけど…。」

「それより、灰皿触るから、指、汚れてるぞ。」

「あっ、確かに!」

「擦っても取れないだろうから、水で洗わないと。」


 桐生にそう言われると、佐倉は水で手を洗った。桐生は長く手を洗う佐倉に痺れを切らしたようだった。


「殺人犯かよ。手に付いた汚れをずっと落として。」

「しょうがないでしょ! 落ちにくいんだから。」

「別に付いたままでも良いじゃん。」

「嫌なの、私、潔癖症だから。」

「……はあ、じゃあ、キスできないじゃん。」

「えっ、いきなり何言うの?」

「もういいや。


 明日も授業あるんだろ? タクシー代渡すから、帰りな。」

「それは、そっちもじゃない!」

「もう君には飽きた。


 それに、お前より面白そうな奴なんて、いくらでもいる。だから、帰れ!」

 桐生そう言って、壁を叩き、私を驚かせた。


「……分かった。帰る。


 さようなら。」


 佐倉はそう言って、桐生の部屋を出ていった。桐生は佐倉が出て行ってからしばらくたった。


「なあ、ちょうど酒とつまみが余ってるんだ。僕の部屋に来いよ。すぐに来れるだろ。」


 僕は佐倉以外の人間と一夜を明かした。

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 以上で話は終わり。では、この中から現代のガリレオが出ることを祈っているよ。」


 佐々木はそう言って、教壇の片付けを始めた。私が横を見ると、美月は寝息を立てて眠っていた。


「どっちにしろ、寝るのか。」


 私はそう呟くと、呑気に眠る彼女を横目に、机の片付けを始めた。



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「どうですか! 私の新作小説は! 


 解決パートがこの後続くわけですね。もちろん、ここまでを読んで、この物語の真相、つまり、佐々木がした話の満点レポートを書くことは可能です。


 まあ、私もつまらない講義の時間を全て執筆に費やして、完成させた自信作ですから、いくら天神教授と言えど、そうそう簡単に解けないとは思いますが、一応聞きましょう。


 この小説の真相が分かりますか?」


 私がけしかけるようにそう言うと、天神教授はあくびをした。


「こういう読者を騙すような叙述トリックはあまり好きじゃない。


 私にはこういう叙述トリックはすぐに分かってしまう。だから、物語の最後の最後に実はこうでした! と自信満々に語られたところで、ああそうですか。すごいですね。となるだけだ。


 読者を騙すためだけに、必死になる作者を滑稽だと思うだけだ。」

「そんなこと言って、分からなかったら恥ずかしいですよ。」


 私には自信があった。きっと教授は叙述トリックがあると分かっただけで安心している。


 この勝負、もらった!


「じゃあ、満点レポートを今から口頭で発表しよう。


 佐々木の話に仕掛けられた叙述トリックは合計4つ。


 その詳細は性別、語り手、同一人物の存在、時間の4つだ。」


 私は用意していた全ての叙述トリックを端的に説明されてしまった。




 私の負けだ。

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