第11話 いつかは還る

しんしんしんレッドドラゴン改Ⅲかいスリーだーっ!」

 素晴は、レイドボスの出現を目撃して、心の底から歓声を上げた。

 ここは、オンラインゲームの世界である。

「なあ、咲久弥ぁ、おすすめの装備は?」

「アルティメット・ハンマー+99一択だね。連撃の指輪を装備して、攻撃回数を増やせば、なお良し!」

「よっしゃー!」

「今、バフをかけるからね」

「ばっちこーい!」

 このゲーム世界での、素晴のアバターは、鎧を纏った二足歩行の人狼である。つまり、ある意味リアルと変わらない。

 一方の咲久弥は、頭に大きな羽飾りをつけた踊り子であり、こちらも現実の彼の嗜好を反映しているのだった。

 素晴は戦士だ——物理攻撃を得意とする。

 咲久弥は踊り子だ——直接攻撃を行うよりも、様々なサポートに秀でているのだ。

 素晴は、特大のハンマーを振りかぶるや、片眼だけでもそのハンマーほどの大きさがある赤き竜が頭をもたげたところへ突撃したのである。


「待たせたなあ!」

 そこへ、新手の魔法使いが、銀髪を棚引かせて現れるや、呪文を詠唱したのである。

暗黒煉獄奏あんこくれんごくそう!」

 たちまち爆炎が迸ったが、それは、竜が吐いたブレスに吸収されてしまったではないか!

「この敵に火属性の攻撃はダメだよ! 吸収されて、やつのライフに加算されてしまう!」

 大きな羽飾りの踊り子が、すかさずたしなめたのである。

「この前のボスには効いたぞ!」

「あれはグリーンドラゴンだったろ? 属性が違う!」

 咲久弥は、この銀髪の魔法使いは初心者なのだと思い至った。

「あの時は、最高ダメージ記録、おめでとう。でも、今回のボスは、まずは、打撃の物理攻撃で、バリアとなってる鱗を破壊しなくちゃならないんだ。鱗を剥がせば、魔法攻撃も通るようになるけど、それでも、火属性は吸収されてしまうからダメなんだよ」

 踊り子は、流暢かつ丁寧に説明した。

 

 魔法使いは、ただただ呆然とした。

 彼らの眼前では、特大のハンマーを構えた人狼が、燃え盛る竜のブレスをひょいと飛び越えたうえに、「あらよーっと!」と、強烈な打撃攻撃を繰り出していた。

 他にも、六本の腕と二本の足で暴れ回る土蜘蛛など、見るからに戦い慣れした連中が、翼を広げた赤竜の巨体に打撃を加えているのだった。

 レベルが違いすぎる……それが、銀髪の魔法使いの実感だった。

 彼は初心者だ。ガチャで幸運にも、最新最強の火属性魔法を手に入れることができたため、このゲーム世界に飛び込んだばかりなのだ。

 前回のグリーンドラゴン戦では上手くやれたから、今後もずっと上手くやれるものだとばかり信じていたのに……

「クソッタレェ……」

 魔法使いは、その場に崩れ落ちて、両の拳で地面を殴った。こんなゲームの世界にまで、裏切られ馬鹿にされたのだと、悔しさがとめどなく込み上げた。


「もしよければ、私の属性変換スキルで、きみの魔法を火以外の属性に変えてあげようか? そうすれば、鱗の破壊が終わった後なら、ある程度のダメージを出せるし、それ相応のポイントだって稼げるはずさ」

 踊り子は、穏やかに提案した。

 しかし、魔法使いは黙りこくっていた。

 実は、「頼む」という一言を絞り出すためだけに、大変な気力と時間を要していたのである。

「あ、悪いが、行かせてもらうよ。素晴のバフが切れそうだから、掛け直さないと!」

 親切だった踊り子は、その間に、身を翻して行ってしまった。

 もうちょっとだったのに! あともうちょっと待ってくれさえすれば、頼むと言えたはずなのに!

 銀髪の魔法使いは、癇癪を起こしてログアウトした。


 咲久弥は、その画像を見せられた瞬間、軽く腰を浮かせて悲鳴を上げた。

 素晴は、同じ画像を見せられた途端に激怒したのである。

「なんだよ! こんなんなっちまったら、もう食えねえじゃねーか!」

 その画像は、心理テスト用に作成されたものだ。

 苺が飾りつけられたショートケーキに、多数のゴキブリが群がっているという光景が映し出されていた。


 彼は、ケーキとゴキブリの画像を呈示されても、無関心だった。

「これを見て、どう思うかしら?」

「べつに」

 博士は、その答えに、落胆を禁じ得なかった。

 ゴキブリのような害虫に対する生理的嫌悪感——それは、人間に寄り添うべき民生用の妖であれば、たとえ自身は感じなくとも理解を示すべきものだからだ。


 トモダチ高校に在籍する、民生用の妖には、適性検査の一環として、心理テストが義務づけられている。

 彼の心理テストの結果は散々だった。

 例えば、多数の人間の顔写真を、次から次へと見せられて、それらの表情を「喜・怒・哀・楽」の四つに分類するというテストがある。

 彼は、その全てに、「俺を馬鹿にしている顔」と、口頭で答えたのだ。

 手元のボタンを押すことによって解答するという、基本的なルールにすら従えなかったのである。


 彼は、巨費を投じて、妖のミイラから復元された個体である。

 博士は、なんとか彼の情緒を育み、ルールを守る大切さを学ばせることができないものかと、オンラインゲームの世界にも彼を送り込んだ。

 しかし、思うような手応えは得られず、むしろ、コミュニケーション能力の問題点をも露呈することになったのである。


 その日、咲久弥と素晴は連れ立って、市場を散策していた。

 ゲーム世界にも市場は存在するのだ。ゲーム内で使用できる家具調度や、アバター用の衣装などが売られていて、いつも賑わっているのだった。

 その日は、咲久弥の踊り子のアバターに似合うアクセサリーを、二人で探していたのである。

 学園のアイドルの買い物に付き合えるだなんて、素晴にとって、夢のような幸せだった。

 

 それは、数多くの首飾りがぶら下げられている露店で、咲久弥が、最上段に展示してあった商品に目を留めて、「あれを見せてください」と、店の主人に頼んだ時のことだった。

 その首飾りは、銀色の蝶が何羽も連なったような、繊細な細工の代物だった。

 ところが、蝶たちを指し示した、白く細く美しい人差し指に、突如として、蝶とは似ても似つかぬ虫が止まって、フニフニと触角を蠢かせたのである。

 咲久弥は、悲鳴を上げた。だって、それはゴキブリだったのだから。素晴は、すかさず追い払った。

 市場は、にわかに騒然とした。どうやら、そこかしこに一斉にゴキブリが出現したらしい。

 さては、誰かが、禁止アイテムである「ゴキブリの詰め合わせ」を開封しやがったな——素晴は、そう推測した。


 ゴキブリの詰め合わせは、ある種のジョークグッズとして、このゲーム世界に存在している。

 例えば、モンスターを倒した際にドロップすることもあるし、ダンジョンの宝箱に仕掛けられた罠が、大増量お徳用のそれだったりすることもあるのだ。

 しかし、市場へ持ち込むことは、明確に禁止されたアイテムなのだ。

 素晴は、銀髪の魔法使いが、腹を抱えて笑っているのを見咎めた。


 彼は、市場の真ん中で笑っていた。

 なるほど、博士の言っていた通り、ゴキブリを嫌がったり怖がったりするやつらは、大勢いるらしい。

 普段は彼を馬鹿にする連中が、悲鳴を上げて慌てふためくさまを見るのは、とても愉快だった。

 ゴキブリの詰め合わせをぶちまけて、本当に良かった……


「おい、てめえ!」

 見覚えのある人狼がツカツカと歩み寄ってきて、右の拳を振り上げた。

 ああ、殴られる——彼は、咄嗟に目を瞑って頭を抱えることしかできなかった。

 ところが、予想した衝撃は、いつまで経っても襲ってこなかった。

 彼が、おそるおそる目を開けると、人狼の拳は、彼の頬のすぐそばで寸止めされていたのである。

「寸止めすんなら、ルール上OKだけどなあ、市場は、PvP禁止エリアだ。ゴキブリの詰め合わせを持ち込むことだって、ルール違反なんだぞ! 嫌がってるやつらが、そこらじゅうにいるだろうが! おまけに、おまえ自身も、ペナルティーを食らうことになるんだぞ!」

 せめてもの救いというべきか、ゴキブリたちは、解き放たれてからきっかり百八十秒後に自然消滅する仕様になっている。

 しかし、ゴキブリが大の苦手な咲久弥などは、その三分間をひたすら逃げ回る羽目に陥っていた。

 もしも、このゲーム世界でも、彼が風の妖術を使えたなら、粛正の暴風が吹き荒れたかもしれないところだが……


「うるせえ! ルール、ルールって、みんなうっせーんだよ!」

 銀髪の魔法使いは、癇癪を起こして、素晴の拳に頭突きしたのである。

 よくわからない攻撃だが、違反行為であることは明白だった。

「おいおい……違反に違反を重ねて、自滅してゆくスタイルかよ……」

 魔法使いは、泣き喚きながら、でたらめなパンチやキックを繰り出した。

 素晴は、必要最小限の動きで、それら全てをガードしたのである。

 どうせ、この魔法使いは、違反行為を理由に強制ログアウトとなるのだろうが、それまでの間は、アリーナでの正規のPvPに慣れている自分が注意を引きつけておくのが得策だろうと、素晴は考えたのだ。

「このゲームはなあ、ルールがあるからこそ、いろんなやつらが寄って集って楽しめるんだよ! ルールに則った喧嘩なら、この俺がいつでも受けて立ってやるぜ!」

 やがて、銀髪の魔法使いが、光る円柱の中に隔離されて、姿を消しはじめた時——素晴は、彼のことをしっかりと見据えながら、そう伝えたのだった。


 彼のゲームアカウントは、「意図的な違反行為」を理由にBANされた。

 しかし博士は、もはや説教がましいことなど、何ひとつ口にしなかった。

「ねえ、学園祭に参加してみない? あなたが気にかけてたあの人狼、ハードル走にエントリーしたようよ」

 博士は、笑顔でそんな提案をしたのである。

 御崎研究所であれば、民生用の労働力とはなり得ないような妖であっても、被験体として買い取ってくれるから——そんな裏事情まで彼に打ち明けることは、勿論しなかった。


「……この世界でも、細菌は仕事をしているようだな」

 一號は呟いた。


 その日、四名の軍事用人狼たちは、御崎家の別荘の一つで探索を行い、秘密の地下室を発見したのである。

 その奥底で四名が見たものは——頭と胴体を切り離された、三つの白骨死体だった。

 彼らは家族だったのかもしれない。三体のうち一体は、明らかに子供の骨だった。

「この別荘には、我々のような戦闘員は配置されていなかったというわけだな」

 二號は言った。

 オメガ・パンデミックの当時、軍事用人狼たちは、暴徒に襲われた御崎研究所の警備を担当した。

 しかし、この別荘には、存外平凡なセキュリティーシステムが設置されていた以外には、そうした役目を担うものが存在しなかったのだろう。

 そして、既に荒らされた別荘では、農作物の種子はおろか、ろくな物資も発見できなかった。収穫なしである。

「ただ一つ、言えることがある……この世界でも、細菌は仕事をしているようだな」

 一號は呟いた。

 三人の人間たちは、ゾンビウイルスに感染する以前に、首を切断されたのだろう。そして、細菌の働きによって腐敗が進行したからこそ、未だ骨は残しているものの、土へと還りつつあるわけだ。

「俺たちも、いずれ死んだら、土に還るのだな」

 三號が同意した。


 軍事用人狼たちは、咲久弥の血液から作成されたワクチンのおかげで、ゾンビと化すことはない。

 一方で、妖たる人狼は、人間よりも寿命は長いだろうが、不老不死には程遠い。

 つまり、いずれは、ゾンビ化せぬまま死して腐敗して、土へと還る運命さだめなのだ。

「これから先、もはや何ひとつ成し遂げることもなく、土に還るのを待つしかないのか……」

 一號は呻いた。

 本来ならば、彼らは紛争地帯の最前線へと送られるはずだったが、その夢は潰えた。

 オメガ・パンデミックに起因した、擬似的な「戦場」も、既に消滅した。

 御崎家の関連施設の探索——それは、咲久弥が山田博士に吹き込んだ思いつきらしい。

 咲久弥は、当初想定したほどには、精神的に脆弱な存在ではなかったようだ。しかし、オメガ・パンデミックの「戦場」からは隔離されていた少年に過ぎない。

 戦闘員たちにしてみれば、咲久弥の思いつきなぞ、甘い空論でしかない。そんな空論を、なぜ山田が採用したのか、理解に苦しむばかりだった。

 クローンである戦闘員たちにとって、オリジナルである山田は、特別な存在だ。

 彼の命令もまた、特別なものであるはずなのだ。

 しかし、このままでは、軍事用人狼が攻略すべき最大の敵の名は、退屈ということになってしまいそうだった。

 やはり、あの咲久弥が、血液や精液によって、山田を惑わせているのでは……


 女の断末魔が、突如として響き渡った。

 探索を終了して別荘を後にした直後、女の断末魔を思わせる叫び声が、戦闘員たちを驚かせたのである。

 木陰で銀髪が棚引いたのを見咎めたのは、五號だった。

「おい、あれは狐だぞ!」

 五號は指差した。

 狐の鳴き声は、人間の女の叫び声に似ているのだ。

 ただし、長い銀髪を生やしたそれが、ただの獣の狐であるはずもない。

「あいつには見覚えがあるぞ……妖狐だ! 学園祭とかいうふざけたイベントの後、御崎研究所に置き去りにされた被験体だ!」

 五號は、退屈しのぎでもするように、槍を構えて妖狐へと近づいたのである。

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