第18話 首飾り散った

 備蓄倉庫の扉を開けると、そこは、巨大な図書館のようだった。

 ただし、整然と配置されているのは、本棚ではなく、ゾンビの山である。

 人間のゾンビに、頭部を除去するという、最低限の食肉処理を施したものが、倉庫一面にうずたかく積み上げられているのだった。

 おかげで、視界の大半が死角だった。


「この先の備蓄倉庫には、元々は、研究用の資材が収納されていた。オメガ・パンデミックを機に、僕は、人工子宮用の食料を確保して、ここに紛れ込ませた。その後、時が流れて、今では、ほとんど僕たちのためだけの食糧倉庫と化したのだよ。ワインセラーのように温度管理に気をつかう必要もない、常温で運用できる食肉の貯蔵庫だ」

 扉を開ける前にあらかじめ、山田は説明したのである。

 しかし、倉庫内の景色が、ある種異様な威容であることは、どうしようもなかった。

 咲久弥は、手にした槍を、杖のようについて耐えようとしたが、その場にずるずると座り込んでしまったのである。

「咲久弥くん……きみの共感性の高さにも困ったものだ。どうせ、ここに積み上げられたものを、単なる食肉だと割り切れずにいるのだろう。端的に言って、足手纏いだ」

 山田は、忌々しげに言い放った。

「しかしマスター、咲久弥を置き去りにするのは、得策ではないでしょう。敵は、咲久弥の孤立を狙っているかもしれません」

 山田は、ふんと鼻を鳴らしつつも、四號の意見を容れたようだった。


「諸君! 山田一雄だ。人工子宮を返してもらいにやって来たぞ。何か言い分や要求があるのなら、姿を見せて述べるがいい!」

 山田は、一人でいくらか進み出て、大声で呼ばわったのである。人工子宮を人質として、残る三名の軍事用人狼が、この倉庫に立て籠もっているのではないかと踏んでのことである。

 しかし、反応はなかった。

 本棚ならぬの間隙の通路に、ふと人影が現れたが、それは、人狼ではなく、一人の老爺のゾンビだった。

 山田の呼び掛けなぞどこ吹く風とばかりに、活動停止していないゾンビが、屍体の山の間をよちよちと歩く様は、不思議と牧歌的ですらあった。

「処理されていないゾンビが、なぜここに? 撹乱目的で、あいつらが連れ込んだのか?」

 山田は、ぶつぶつと独りごちたが、真相なぞわからない。

 どうあれ、人工子宮は、ゾンビウイルスへの耐性を持たないのだ。ゾンビが居合わせる空間からは、一刻も早く救出せねばならないだろう。

「マスター、敵の意図が読めません。隠れん坊の鬼にでもなったつもりで、しらみつぶしに捜索するしかないのでしょうか?」

 疾風のごとくひとっ走りして、老爺を一捻りにして戻った四號もまた、戸惑いを隠せなかった。

「なあ、おっさん。倉庫全体を見渡す防犯カメラとか、ねーのかよ! ゾンビの臭いがこんだけえげつねーんじゃ、人狼の鼻でも役に立たねーぞ!」

 素晴は、強烈な臭気に涙ぐんでいた。

「カメラか……あるにはあるが、作動はしていない」

 山田は、苦々しく応じた。


「倉庫のどこに誰が隠れているのか……そのくらいなら、私の妖術で探せると思います」

 その言葉は、三人の人狼たちを驚かせた。

 咲久弥は、表情こそ硬かったが、しっかりと立ち上がったのである。


 あの時と同じだ——素晴は思った。

 研究棟の屋上で食事して、そのステーキがゾンビの肉だと知らされた後、一転して場を鎮めるような行動をとった時の咲久弥……

 すぐそばで呼吸するのも憚られるような雰囲気を纏っていた。


 四號は、咲久弥と中央棟の書斎へと赴いた際、どこか近づき難いほど凛としていた彼を思い出していた。


 山田は、思わず「美道理……」と呟いたが、それがなぜかは、自分でもわからなかった。


 今の咲久弥は、見る者にある種の畏れを抱かせるほどに美しかった。


 実は、咲久弥の前には、またも、彼にしか見えない、猿楽一座のお頭が姿を現して、彼の手を取って立ち上がらせてくれたのである。

 お頭は、なんと、双子のねねとののまで、両脇に従えていたのである。

 そして、お頭は、咲久弥の首元を、静かに指差したのだった。

 首に触れた咲久弥は、驚いた。そこには、勾玉や管玉を数多連ねた、あの、ましら拍子の魂のごとき首飾りが存在していたからだ。しかし……


「何をするんだい、おまえたち!?」

 ねねとののは、咲久弥に駆け寄って、せっかくの首飾りに手をかけたかと思うと、呆気なく引きちぎってしまったのである。

 空中へと飛散した、数多の玉の輝きを目で追ううちに、咲久弥の意識は、いつしか、備蓄倉庫の内部を俯瞰していたのである。

『管玉、みっけー』

 ねねの声がした。

 咲久弥は、声に導かれて、管玉の行方を追うことで、武装した人狼や彷徨うゾンビたちの位置を把握したのである。

『勾玉、こっちー』

 今度は、ののの声を追うことで、人狼のすぐ近くにいた、見覚えのある少女を発見したのである。

 

 咲久弥は、これまでにないほどの妖力の高まりを自覚したため、探索だけに留まらず、もう一歩踏み込むことにした。

 妖力の赴くまま、舞い踊るように一歩を踏み出した彼の爪先から、いくつもの旋風が吹き上がった。


 薫風睡蓮陣くんぷうすいれんじん——


 咲久弥が、心の中でそっと、新しい術に名前を与えたところ、旋風はそれぞれに、物陰へと回り込み、既に所在を暴かれた者たちの元を訪れたのである。

 風に巻かれた者たちは皆、崩れ落ちるように倒れていった。

 人狼に至っては、倒れたばかりか、高鼾をかいて眠りこけたのだ。

 ただ一人、少女の周囲でだけは、風は、透明な繭を編むかのように優しく吹いただけで、彼女が倒れることはなかった。

 お頭は、深々と頷いて、ねねやのの共々、姿を消したのである。


「屈強な人狼の息の根を止めることは難しい。ゆえに眠らせてみました。ゾンビたちからは平衡感覚を奪いました。彼女は無事です」

 咲久弥は、凛とした声で言った。そして、発見した少女一人、人狼一人、ゾンビ七人の位置を報告したのである。

「へえ、ゾンビにもあるんだ、平衡感覚って……」

 素晴は言った。

「ゾンビだって歩くだろ? 平衡感覚なしにはできないことさ」

 咲久弥は応じた。しかし、素晴がなおも物言いたげに、顔を覗き込んでくるものだから、「どうかしたのかい?」と、小首を傾げた。

「咲久弥、角が……」

 実は、咲久弥の額の上部に、左右一対の細い角が生えていたのだ。その表面は滑らかで、根元は咲久弥の素肌と同じ色、先端に向かうにつれて朱色を帯びているのだった。

 たった今、咲久弥が新しい妖術を放つまでは、存在していなかった角なのである。

「ああ……きっと、私の妖力が高まったから、風鬼の血が頭をもたげたのだろうよ。大和から託されたぶんもあるしね」

 咲久弥は、月のように微笑んだ。


 咲久弥と素晴は、二人して、ゾンビを無力化して回った。

 四號は、倒れた人狼の元へと駆けつけた。それは、三號だったのである。

 三號が目を覚ましたら、一號や二號について尋問することを前提に、四號は、眠れる人狼を丈夫な鎖で縛り上げたのだった。


 備蓄倉庫の中には、人工子宮用の食料も、まだまだ残っていた。

 少女は、一連の状況にもかかわらず、ビスケットや金平糖の箱を選んで、床に座り込んで、夢中になって食べ続けていた。

「無事で何より。残りの裏切り者さえ拘束したら、きみを培養槽へと戻してあげよう」

 そこへ歩み寄ったのは、山田だった。

「あたし……お腹いっぱいになるまで食べたいのよ」

「それは、よろしくないな、きみの消化器は、流動食に慣れきっているから、固形物を摂っても、体調を崩すのが関の山だ」

「知ってるわよ! あたし、培養槽に閉じ込められてからも、ずーっと意識があったんだから!」

 少女は、で、山田を睨み上げた。

 彼女は土蜘蛛だから、人間の姿をしていても、顔面の上半分に、八つもの眼が存在しているのだ。その様は、あたかも、二つの瞳孔に加えて六つの宝石が散りばめられた、仮面舞踏会用のマスクであるかのようだった。

「ああ、脱走を防ぐ観点からも、きみを昏睡状態にすべきではあった。しかし、そのための薬品が欠乏していたのでね」

「あたし、ずーっと苦しかったのよ!」

「なるほど。苦痛を感じる脳の部位を、切除してあげればよかったね。けれど、脳を傷つけないほうが、人工子宮としての管理が、格段に容易だったものでね。土蜘蛛の子宮の容量は、全く素晴らしい」

「あたしは、人工子宮なんかじゃないから! この体は、あたし自身のものなんだから!」

 すると、山田は、声を立てて笑った。

「いやはや、そんなことを当然の権利のように主張されても。人外の遺伝子を、二十五パーセント以上保有している時点で、人権なんてないんだよ。人間様が定めた、ありがたいルールさ」


深景みかげ……」

 少女の名を呼んだのは、咲久弥だった。ゾンビたちへの対処を終えて、彼女に歩み寄ったはいいものの、それ以上、どんな言葉をかければよいのかわからなかった。

 つい先程まで、人工子宮を、物言わぬ人工の肉塊だとばかり思い込んでいた、自分の愚かしさに押し潰されてしまいそうだった。

「あら、咲久弥。いつの間にやら、角なんか生やしちゃって、クールじゃない。ヘッドスピンの邪魔になりそうな気が、しなくもないけど」

 深景もまた、トモダチ高校の生徒だった。そして、あの学園祭にも参加していたのだ。

「深景! おまえの模擬店の焼きそば、本っ当に美味かった!」

 そう伝えたのは、素晴だった。

「あらありがと。じゃあ、クイズよ。あたしのあの焼きそばには、隠し味として、何が使ってあったと思う?」

 深景は、幾分表情を和らげて、問い掛けたのだった。

「ナンプラー!」

 素晴は即答した。

「粉山椒だと思う」

 少し考えてから、咲久弥も答えた。彼もまた学園祭で、彼女の焼きそばに舌鼓を打ったことを思い出していた。

「二人とも正解よ。どっちも入れてた。たとえあたしが死んでも……そのことだけは覚えてて……」

 将来の夢は、人間のお客が行列するような飲食店を創ることです!——かつてそう語っていた、深景の眼たちが、一つ、また一つと、涙を零したのだった。


「四號、三號を叩き起こせ! 早々に一號と二號の行方を吐かせるんだ!」

 山田は、急き立てた。

「それには及びませんよ、山田一雄」

 倉庫の出入り口から、よく通る声がした。

 なんと、そこには、一號が自ら立ち現れていた。その傍らには、二號もいたのである。


 突如として、その場に、女の高笑いが響き渡った。深景が、手まで叩きながら大笑いしはじめたのである。

「ああ、可笑しい! 上手くいったってことね!」

 そして彼女は、結婚指輪でも見せびらかすかのように、左手の甲を高く掲げたのだ。

「あたし、この倉庫に来てすぐ、初対面の老紳士に、手の甲へのキスを求めたのよ。噛まれちゃったけど!」

 深景は、薬指に指輪を填めているわけではなかったが、その手の甲には、小さな噛み傷があった。そして、傷の周囲は、既にくすんだ緑へと変色しはじめていたのである。

「どのみち死ぬにしたって、あんたの子供を産むだなんて……それこそ、死んでもゴメンなんだから!」

 深景の全ての眼が、山田を睨み上げた。

 山田は、雄叫びじみた悲鳴を上げた。

「すぐにも培養槽に戻ってもらうぞ! 胎児の命だけは救わねばならん!」

 山田は、深景の横っ面を強かに平手打ちしてから、彼女を軽々と抱え上げたのだ。


「無駄ですよ、山田一雄。あなたがたの注意をこの倉庫に引きつけておいた間に、我々二名が、何をしたと思いますか? 研究所の取水口を破壊して、地下水を汚染しておきました。たかがZ毒素による汚染に過ぎませんから、あなた自身にとっては、痛くも痒くもないでしょうが」

 山田は当然、一號の言葉が持つ重大な意味を理解した。

 ゾンビウイルスはともかく、Z毒素には、煮沸消毒は通用しない。可及的速やかに深景の左腕を切除したうえで、培養槽に監禁したところで、もはや、培養槽を運用するための清浄な水が得られないということなのだ。

 せっかくの新人類を宿した人工子宮は、妊娠の継続が不可能となってしまったのである。

「きさまら……この僕を虚仮にしおって……」

 山田は、深景を投げ捨てた。

 彼女の腹と彼の口を、長い肉色のリボンが結んだ。

 それは、深景のはらわただった。

 山田は、深景の腹を食い破って、彼女と胎児を死に至らしめたのだ。

「どうせなら、美道理の子供たちのことは、もっと丸々と太らせてから食らいたかったよ。きっと、母親に似て、美味かっただろうに……」

 山田は、初めて、咲久弥や素晴の前で、卵子提供者の名を明かしたのだった。そして、彼女の末路のことも……


 そんな山田の口は、一気に耳まで裂けた。彼はとうとう、衣服を引き裂きながら、二足歩行の人狼へと変身したのである。

「山田一雄、それでこそ、我々のオリジナルだ!」

 一號は、崇拝するかのように言った。

「我々が求めていたのは、ただ、あんたとの闘いなんだ。あんたは、我々が倒すべきアイドルなんだよ!」

 二號もそう言って、一號と共に、山田へと歩み寄ったのである。

「闘え、山田一雄! を冠する者は、二人も必要ないはずだ」

 一號は、そう付け加えたのである。

「俺は、あんたの手足ではなく、あんたに寵愛されるライバルでありたかった。あんたと闘う以外のことになんぞ、なんの意味もねえ! もしも、マインド・コントロールを受け続けていたなら、こんな想いに苦しみ抜くまでもなく、戦場で死ねたのかもしれねえが……」

 そう言ったのは、三號だった。

 彼は、目を覚ましたばかりか、縛めの鎖を解かれていたのだ……四號の手で。


「咲久弥、素晴。すまんが……ここから先は、俺たちの問題だ。俺たちの手で決着をつけるしかないんだよ。おまえたちは……二人で逃げるがいい」

 四號は、咲久弥の肩に手を置いた。

「そんな!」

「おまえの術で俺たちを眠らせたって無駄だぞ。どうせ目が覚めたらまた闘うだけだ。そうだ、研究所の十キロ北にある、あのアトリエで待っていてくれ。この場を収めたら、俺もすぐに行くから、落ち合おう」

「民生用ごときが邪魔をするな! おまえたちを殺すのは最後にしてやるから、とっととずらかりやがれ!」

 四號ばかりか三號までもが、二人を促したのである。

「全員まとめてかかってくるがいい!」

 人狼たちの輪の中心で、山田が咆哮した。

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