第17話 幻とまやかし

 三人を引き連れた山田は、研究棟の地下へと向かった。

 咲久弥は、地下に降りるのは初めてだった。

 ガードロボットの姿はあったが、それらの機能は、既に停止していた。

「こういった最重要区画のセキュリティーですら、既に死んでいるのだ。全くもってお粗末な話だがね」

 山田は、重たく分厚いドアを、手動で開いたのだった。


「人工子宮は、この廊下の奥の部屋に安置してある。さすがに、その部屋のドアは、僕の顔認証でしか開かないから……」

 山田は、先頭に立って歩いていたが、ふと足を止めた。

「なんの音だ?」

 廊下の前方から、何者かの足音が聞こえてくるではないか。山田だけではなく、他の三人も揃って立ち止まったというのに……

「まさか、侵入者か!」

 山田と四號は、いかにも人狼らしい瞬発力で、謎の足音目掛けて駆け出したのである。

 素晴もそれに続こうとしたが……

「ダメだ素晴! この足音、おそらく幻術だ!」

 咲久弥が、背後からその肩に手をかけたのである。

「幻術!? それって、どういうことだ?」

 素晴は慌てて振り向いたが、なぜかそこに、咲久弥の姿は見当たらなかった。


 素晴は、いつの間にやら、静かな暗黒の空間に、ただ一人で佇んでいたのである。

 闇に閉ざされてはいるが、闇そのものが艶を帯びているかのような、まさに漆黒の空間だった。

 程なく足音を耳にしたため、素晴は、全神経をそちらへと集中した。

 やがて足音が止んだと同時に、蒼白の火の玉が出現した。目測で五メートルほど前方の空中で、火の玉が揺らめいたかと思うと、それがみるみる一個の人の姿を形成したのである。

 とはいえ、完全に人間の姿というわけでもない。

 腰まで届くほどの長い銀髪で、その頭上に狐の耳を生やした少年だった。


「……大和やまと?」

 素晴は、彼の名を知っていた。

 大和は、トモダチ高校の知り合いで、妖狐の少年なのである。オンラインゲームの世界では、トラブルメーカーでもあった。

「おまえ……ゾンビ化して、失踪したんじゃ……」

 狐の鳴き声は、人間の女の断末魔を思わせる。

 大和は、素晴の言葉を打ち消すかのように、裂けるほど大きく口を開いて、狐そのものの雄叫びを轟かせたのだった。

「うわっ!」

 素晴は、顔の前で両腕を交差した。

 大和の雄叫びは、単に大音量なだけではなく、毛のように細い針を大量に発射する手段でもあったのだ。

 大和は、いきなり戦意を剥き出しにしている——素晴は、全身に突き刺さった痛みとともに、そのことを思い知ったのである。

 

 大和は、その場で四分の三回転ほど、体を翻した。

 すると、九つにも枝分かれした狐の尻尾が、ぐんぐんと伸びながら、素晴を薙ぎ払うように襲い掛かってきたのだ。

「このままじゃ、やってられっか!」

 素晴は、一瞬にして、四つ足の狼へと変身した。体高を低くすることで、妖狐の九尾を躱すと同時に、全身に毛を生やすことによって、防御力のアップを狙ったのだ。

 何より、人狼としては、接近戦に持ち込まなければ不利である。

 ものの数瞬のうちに、四つ足の素晴は、妖狐の尻尾を遡るようにして、大和の足元へと肉薄していた。


「ギャン!」

 見透かしていたらしい大和に、踵で顎を蹴り上げられて、素晴は、もんどり打った。

 大和は、すかさず片膝をついて、右の拳を振り上げ、殴り掛かってくる。

 右腕は一本のはずなのに、その拳は、何重にもぶれて分裂したかのように、素晴の目には映ったのである。

 さては、妖狐の幻術——そう察しながらもたたらを踏んだ素晴の腹を、大和の左の拳が、下から強かに殴り上げたのだった。


 素晴は、大いに吹っ飛んだ。ただし、瞬時に二本足の人狼へと変身して、大和の首に両足を絡めたうえでのことだった。

 妖狐である大和は、距離を取りたがるに違いないと、見越していたのである。

 大和は、人狼の足に首を絡め取られたまま、前のめりに転倒した。

「うぅうぉりゃーっ!」

 素晴は、そのまま、バック転の要領で、両足で大和を投げ飛ばして、仰向けの大の字にひっくり返したのである。

 素晴は、すかさず妖狐の胸に飛び乗り、その顔へと拳を打ち下ろした。

 大和も大和で、人狼の脇腹を殴ろうとした。

 しかし、二つの拳は、ともにピタリと寸止めされたのだった。

『今回は、おまえの勝ちだな、素晴……』

 大和は、白い歯を覗かせた。

『もう一度おまえと戦いたかった……ハードル走で勝ち逃げしたままでは、馬鹿にされたみたいで、気が済まなかったからな……』

「ぬかせ! 大和、またな……」

 人間の姿に戻った素晴が、腕でぐいっと目元を拭った時、咲久弥の声で名を呼ばれた。

 そこは、元通りに、研究所の地下の廊下だった。

 そして、大和が咲久弥の両肩を掴んで、廊下の壁に押しつけているところを目撃したが、大和は、みるみるうちに、骸骨に皮と僅かな銀髪だけを残した姿へと変わり果てて、床に崩れ落ちたのである。

 そして、山田と四號の二人は、おそらくは全力疾走しているつもりで、実は、ランニングマシンを使うがごとくに、ただひたすらその場で足踏みしていたのである。


「なんだって!? この僕が、妖狐の幻術に嵌められていたというのか……」

 山田は、まさに狐につままれたような顔をした。

「そのようです」

 咲久弥は、指を打ち鳴らして、山田と四號を幻術から解き放ったうえで、名探偵よろしく状況を説明したのである。

「前方から足音が聞こえた時、なんとなく違和感を覚えて、幻術ではないかと考えました。私も妖術を嗜みますから、勘のようなものです。その直後、天井から大和が飛び降りてきて、私は、力尽くで押さえ込まれてしまいました。大和は、直前まで、術で気配を消していたのでしょう。彼が既にゾンビと化していることは、一目でわかりました。博士と四號のことも幻術で隔離したうえで、素晴に戦いを挑んだことで、大和はとうとう、力を使い果たしてしまったのでしょう……」

 咲久弥は、床のむくろへと目を落として、睫毛を戦慄かせた。

「あいつさ、学園祭の時、ハードル走で優勝したじゃん。けど、俺が失格したからだったってーのが、気に入らなかったみたいでさ。俺、あいつに、ルールを守れって言ったことがあったのに……」

「全くけしからん! ゾンビ化して脱走した個体が、今になって舞い戻ってきたというのか? まさか、誰かが手引きしたわけではあるまいな!」

 山田は、素晴の言葉を途中で掻き消すようにして、声を荒げたのである。

 彼が疑っているのは、間違いなく、離反して失踪した四人の人狼たちだろう。

「こうなっては、人工子宮の無事を確認せずにはおれん。急ぐぞ!」

 山田は、再びその部屋を目指した。

 そんな山田に付き従いながらも、咲久弥は、素晴にだけ聞こえるように言った。

「大和が私に言ったんだよ。『残りの妖力は、おまえにくれてやる』って。それから、『ありがとう、素晴、とっても楽しかった』って……」


 人工子宮が安置された部屋の前に出るためには、あと二回、重たく分厚い扉を開かねばならなかった。

 その向こう側の廊下は、当然、無人であるはずだった。しかし、血みどろの男が一人、廊下の真ん中に座り込んでいたではないか!

「おまえは!」

 山田の声を聞いた男は、ゆっくりと顔を上げたのである——山田と瓜二つの顔を。

「そんな!……まさか、顔認証!?」

 自分そっくりの顔に驚愕しつつも、山田は、その利用価値にすぐさま思い至った。彼は、大慌てで、人工子宮の部屋へと駆け寄ったのである。果たして、顔認証でロックされていたはずのそのドアは、既に開かれていた。そして、室内の培養槽までもが、強引に蓋を開けられて、その中に安置されていたはずの人工子宮は、姿を消していたのである。


 山田そっくりの顔をして、右の前腕が欠損した男は、クツクツと笑った。

「なんでえなんでえ、四人揃ってのご到着かよ。俺のかわいいペットを差し向けたからには、民生用の一人くらいは倒してくれるものと思っていたがな」

「おい、五號! ペットってーのは、大和のことなのかよ!」

 山田に化けた男の腕を食いちぎった張本人である素晴は、怒りに身を震わせながら叫んだのである。

「そうとも! あいつは、元が妖だったせいか、ゾンビのくせして、多少の知恵はあった。人間のゾンビをモリモリ食らう元気もあったから、俺がこっそり飼ってやっていたのよ。しかし、こうも期待外れだったとはなぁ……今にして思えば、俺たちに体中を内から外から弄り倒されて、泣いてよがった誰かさんのほうが、よっぽど楽しませてくれたのかもしれねえなぁ……」

「なんだと!」

「素晴! やつは挑発しているだけさ! 今は、行方不明の人工子宮のことを聞き出さないと!」

 猛然と五號に襲い掛かろうとした素晴のことを、咲久弥は、力いっぱい抱き締めて押し留めたのである。咲久弥だって、五號の暴言には、身の毛もよだつ思いだったけれども……


「五號、きさま、人工子宮をどこへやった? 今すぐ無事に返してくれるのなら、命くらいは助けてやらんでもないぞ」

 極力感情を排したつもりらしい、山田の物言いを、座り込んだままの五號は、クツクツとせせら笑った。

 彼が笑うたびに、その体の至る所から、新しい血液が溢れ出すのだ。

 二足歩行の人狼の姿を保っていた彼が、顔認証を突破するために、より小柄な人間の姿に変身したこと——それこそが、出血の原因である。

 軍事用人狼の肉体には、骨格を補強すべく、種々の金属部品が埋め込まれているのだが、そうした部品は、変身には対応していない。

 今や、山田そっくりの人間の姿と化した、五號の体のそこここから、融通の利かない金属部品の先端が、肉を破って飛び出していた。

 さしもの妖の治癒能力でも、その傷を塞ぐことはできないらしかった。

「なぁ……山田一雄さんよ。あんた、オメガ・パンデミックが始まった途端に、大量の備蓄食料を勝手に移動させて、この辺りに隠しただろ? 俺たちの取り分すら減らしやがって! 俺ぁ、あんたに裏切られたと思ったぜ」

「食い物の恨みか。致し方あるまい。僕は、当時から、人工子宮の運用を見越していたのだからな。人工子宮には、ゾンビウイルスやZ毒素に汚染されていない食料が必須なのだ」

 御崎研究所には、元々、大災害を想定して、研究者たちが一ヶ月間籠城できるほどの食料が備蓄されていた。素晴がレモンティーを取りに行くような、研究所の関係者全般に開かれた備蓄倉庫から、山田の企みにより一気に在庫が減少したことを、五號はしっかりと見咎めていたのである。


「山田一雄、あんたは嘘吐きだ。俺たちの変身能力を封印したとか言ってやがったが、ただ単に、心理的にブロックしてやがっただけだろう? 軍事用のマインド・コントロールを受けられなくなってから、俺は、そのことに勘づいたのさ!」

「とはいえ、この僕に成り済ました変身の代償として、出血多量による死が、もう目の前に迫っているぞ。人工子宮の行方を吐いたほうが身のためだぞ」

「俺ぁ、あんたに一泡吹かせてやることができたんだ。決して、あんたのいいようにされるばっかりじゃねえ、面白れぇ一生だったよ。もう思い残すことなんてねえぜ!……いや……あんたとサシでとっくりとケリをつけられたなら、それこそ最高だったろうが……」


「マスター、武器をお持ちしました。それから、五號の血液を踏んだと思われる足跡が、備蓄倉庫へと続く扉の前にありました。人狼にしては小さすぎる足跡です」

「わかった」

 山田は、無為に五號と問答していたわけではなかった。人工子宮を奪還するためには必要だろうと、四號に武器を取りに行かせていたのだ。そして、四號の報告のおかげで、人工子宮の行方を推定することもできた。

 山田は、四號から受け取った槍で、五號を滅多刺しにした。

「チキショーッ! 命懸けで変身したってぇのに、腕もアソコも再生せずじまいかよ……」

 五號は息絶えたのだった。


「足跡? 博士……人工子宮は、歩くのですか?」

 咲久弥は、蒼白の顔で尋ねた。四號から、人狼が使うのよりも短い槍を受け取って、しっかりと握り締めながらも……

「そのようだな」

 山田は、あっさりと肯定した。


「咲久弥、人工子宮を破壊したかったのなら、やつらは、この部屋でやったはずだ。連れ去った以上は、人質扱いしているわけだから、きっと無事でいるはずだ」

 四號は、冷静に咲久弥を元気づけた。

 素晴も、青い顔をしながらも、咲久弥の肩を抱いたのである。

 どうやら、素晴もまた、人工子宮に足が生えているとは、思ってもみなかったようだ。


 四人が扉ひとつ分引き返したところで、廊下の側面に、別の扉が存在していた。そちらの扉を潜ると、備蓄倉庫へと至るということだった。

 そして、四號の言葉通り、今は閉じられているその扉の前には、爪先辺りが血に塗れた、裸足の足跡が存在していた。咲久弥の足よりも少し小さそうである。

 五號のいた場所からここに至るまでには、そんな足跡はなかったというのに……

「誰かが、人工子宮を抱きかかえてきて、ここで一旦下ろしたのでしょうか……」

 咲久弥は言った。彼の脳裏では、人工子宮は、人狼にお姫様抱っこされていた。

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