チョロテール公爵家嫡男

 ◆


「まさかヘルガ様が直々に教鞭を執られる事になるなんて。ハイン様は知っておられたのですか?」


 サリオンメスが言う。


 俺は首を振った。


 実際、朝初めて知った。


 内緒にされていたとおもうと少し寂しい。


 しかし敵を騙すにはまず味方からとも言う。


 帝国掌握の謀り事とあらば、例え家族であっても軽々とは漏らせないだろう。


 だがいきなり何を話しかけているのだ? 


 まだ婚約関係にあるとはいえ馴れ馴れしすぎではないだろうか。


 それに、母上が教鞭を執る事がコイツにとって一体なんだと言うのだろう。


 もし文句でもあろうものなら、魔術とは何たるかをこのメスの肉体と精神に致命的な形で叩き込んでやる。


「ヘルガ様の生家、エルデンブルーム伯爵家の始祖、サルバトリはエルフェン種だったと聞きます。そしてエルフェン種は生来、我々人間種より魔術と親和性があります。ヘルガ様が教鞭を執るとあらば、恐らくその繊細な魔術操作の粋が見られるのでしょうね。授業が楽しみです」


 サリオンメス──いや、エスメラルダ嬢は中々見る目があるようだ。


 サリオン公爵家はアステール公爵家と同様、帝都の守りの要となる大家。


 エスメラルダ嬢はそのサリオン公爵家の才子とされている──らしい。


 まあ思う所はあるが、それなりに見どころはあるということなのだろう……。


「……母上は決して魔力の総量に優れたかたではないが、"全能者ウィザードリィ" として名高い魔術師ハバキリの師事を受けた事があるそうだ。それはつまり、当時の帝国最強の魔術師が母上の才能を認めたと言う事でもある。母上は恐らく、エスメラルダ嬢の期待に十分に応えてくれるだろう」


 俺はらしくもなく饒舌に話してしまう。


 母上を褒められてしまったからには仕方があるまい。


 ああ、それにしても母上の事を話したら、なんだか恋しくなってしまった……。


 寂しい……母上、俺は寂しいです。


 最近は寝るときも別々だ。


 俺が一体何をしたというのだ? 


 ただ人里離れた静かな所で、ただただ母上に甘えて過ごしたい。


 俺は猟をしてその日の糧を得る。


 そして二人で料理などをしたりして……夜は、よ、夜は一緒に寝る。


 母上に抱き着いて一緒に寝るッ……! 


 朝までッ……! 


 そんな妄想をしていると、エスメラルダ嬢が口を開く。


「……それは、本当に楽しみです」


 なにやら目を丸くしているな。


 やはり驚いたか。


 まあ魔力総量に優れてはいないといっても、ここ最近の母上に関して言えば当てはまらないかもしれない。


 俺の目から見ても日に日に成長をしているのだ。


 通常、この総量というものは成人してからはそこまで伸びないのだが──


 俺はああ、とエスメラルダ嬢の言葉を反芻した。


 母上の血に流れるエルフェン種の血は、いまではすっかり薄まってしまっているとの事だが、稀に隔世遺伝的に子孫に特性が発現する事もあるのだとか。


 ◆◆◆


 無論、エスメラルダはヘルガがかつてハバキリの師事を受けていた事など知っている。


 エスメラルダが驚いたのは、彼女が知る限り初めてハインの視界に自身が映ったからだ。


 いつもは他者の存在など眼中にないかのように振る舞う少年が、今は確かに彼女を「見て」いる。


 ──ハイン様の瞳は……


 エスメラルダはハインの瞳の、その奥に渦巻く何かを見た。


 果てしない闇の深淵に、無数の光が散りばめられている。


 それは決して温かな輝きではない──氷のように冷たく、そして鋭利な光だ。


 見る者の魂を切り裂くような光が、闇の向こうで脈打っている。


 ──あの時の光(ママとすやすや参照)は、やはりハイン様の魔術ッ……! 


 サリオン公爵家に連なる自身から見ても、恐るべき大魔術だった──そうエスメラルダは戦慄する。


 なるほど、それほどの力があれば周囲と馴染むはずもないとも。


 ハインは孤独なのだ、そうエスメラルダは思った。


 余りにも強く生まれてしまったがゆえの絶対強者の孤独。


 ──先ほどのハイン様の目。ヘルガ様の事を話す時、少し寂しそうでした


 それはつまり、親ですら庇護の対象に過ぎないということだ。


 隔絶した力の差から、理解者となることができない。


 そんな考えに至ると、エスメラルダは己の体の中心に熱を感じた。


 いや、体の中心よりはやや下──下腹部といったほうが良いだろうか。


 この男の孤独を、少しでも和らげてあげたい──そんな想いが熱を孕む。


 ──ハイン様に並び立ちたい。いえ、それだけではありません。支えて差し上げたい。でも、そうするにはわたくしの体、心がそれに足るものでなければ……


 温石オンジャクの様にじわりじわりと広がる熱。


 この熱の出所はどこなのだろうか? 


 サリオン公爵家の者という立場から、アステール公爵家とえにしを結ばねばならないという使命感か? 


 いや、違うとエスメラルダは否定した。


 ──この熱は、この熱はきっと


 エスメラルダは自身の女の部分が、じゅくりと疼くのを感じた。

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