ママライオン

 ◆◆◆


「ふーむ、そういう用件ならば使い魔の一つでも寄越せばよいものを」


 白髪白髯の老人──宮廷魔術師長ハバキリが言った。


「直接会いにきたかったのです」


 ヘルガがそう言うと、ハバキリは面倒そうに髭を撫でながら頷いた。


「まったく、昔から変わらんな。お前さんは几帳面すぎる」


 ハバキリは、かつてヘルガが学園に通っていた頃の学園長だ。


 同時に特別クラスと呼ばれる、貴族の子弟や令嬢たちに魔術を教える教師でもあった。


 現在では特別クラスはもう存在しない。


 数年前年齢を理由にハバキリが退任した際、適切な後継者が見つからなかったためだ。


 高位貴族の子弟たちを遠慮なく指導できる人物というのは、自身も高位貴族であり、かつ卓越した魔術師でもあるハバキリの他にはいなかった。


「昔を思い出しますね。先生の特別クラスは厳しかった」


「厳しくなければ務まらん。高位貴族の坊ちゃん嬢ちゃんたちだ。甘やかしておいては駄目になる」


 そう言ってハバキリは机の上の茶を啜った。


 学園長時代と変わらない仕草に、ヘルガは懐かしさを覚える。


「それで、儂に助言を求めに来たとあるが。何を聞きたいのじゃ?」


「刺客の件について、ご意見を伺いたいのです」


 ヘルガは背筋を正して切り出した。ハバキリの前では、今でも学生時代のような緊張感が蘇る。


「ここ暫く、アステール家への刺客が増えているのです。今のところ全て失敗に終わっていますが……」


 言葉を区切り、ヘルガはハバキリの表情を窺う。


「今後も安全だと保証されているわけではありません。先生なら、どこの貴族家が関与しているかご存知ではないでしょうか」


 ハバキリは煙管を取り出しながら、ゆっくりと首を横に振った。


「知らん。そして仮に知っていたとしても、それを教えるかは儂にもわからんな」


「それは……」


「十二公家には何よりも "力" が求められる」ハバキリは煙を吐きながら続けた。


「人間の刺客程度を返り討ちに出来ないようでは、十二公家たる資格はないのだよ。お前さんもそれくらいは分かっているじゃろう?」


 その言葉に、ヘルガは言葉を失った。


「怖ければ出奔するのも手じゃ」


 ハバキリは煙管を弄びながら言う。


「ただし、お主の息子を連れて行くことは出来ん。無理に連れて行くのは構わんが──」


 一瞬言葉を切り、鋭い眼光をヘルガに向けた。


「そのときは、ガイネス帝国そのものがお主らを敵と見做すことになるがな」


「先生も、ですか?」


 ヘルガの問いに、ハバキリは暫し黙り込んだ。やがて、ゆっくりと口を開く。


「いまそれをこの場で明言するのは、やめておこう」


 そう言ってハバキリは煙管から吐き出した煙をヘルガに向けて吹きかけた。


 青白い煙は、まるで蛇のようにうねりながらヘルガの背後へと流れていく。


「うっ」


 突然、背後から声が聞こえた。


 振り返ると、そこには──アステール公爵家の使用人頭であるフェリが立っていた。


 ◆◆◆


「ヘルガの護衛かの? 見事な隠蔽の業じゃな。しかし感心せんのう、許可された者以外が帝城へ忍び込む事は固く禁じられておる」


「ではどうされますか、ご老体」


 フェリの声には微かな挑発が混じっていた。


 褐色の肌に浮かぶ薄い笑みには、余裕すら窺える。


 ただ、見た目ほどにはフェリに余裕はない。


「ま、どうとでもできるわな」


 ハバキリの言葉に、フェリは怯む素振りも見せない。


 だが眼前の老人の言葉を虚勢とは考えなかった。


 ヘルガもフェリも、一瞬自身の肉体の重みが倍したように感じた。


 帝国最高位の魔術師に相応しい威圧が数舜放射され、その無形の何かは確かな重みを伴って二人に圧を加えたのだ。


「しかしほんの少し骨が折れそうじゃ。ほんの少しな」


 そう言ってハバキリは意味深な笑みを浮かべた。


 その表情には年若い者への慈しみのような、そして同時に危険な獣のような何かが混じっている。


「先生」ヘルガは取り成すように声を上げた。


「私が彼女にこの身を守らせたのです」


 無論それは嘘だった。


 だがそれくらいはハバキリにも分かっているはずだ。


 この場の空気を和らげるための方便に過ぎない。


「い、いえ、違います!」


 予想外だったのはフェリの反応だった。


 普段は冷静沈着な彼女が、こうまで狼狽えるのを見たことがない。


 尖った耳が震え、褐色の頬が紅潮している。


 その様子が少し面白く、ヘルガは微かに笑みを浮かべた。


「安心しなさい、フェリ。先生は私に甘いのです」


 ハバキリは呆れたように首を振ったが、その言葉を否定はしなかった。


 むしろ懐かしむような、柔らかな表情を見せている。


 ヘルガとフェリは、緊張が支配していた空気が少しずつ和らいでいくのを感じた。


 ◆◆◆


「ふーむ、思慮深いお主にしては随分と、まあ……」


 ヘルガの話を聞いたハバキリは枯れ木の様な小首を傾げた。


 ヘルガの話はもう一つあった。


「この身が弱いままであっては──いつ何時この身がかどわかされ、アステール公爵家の、そしてハインの足を引っ張る事になりかねません」


 ヘルガの声は静かだが、芯の通ったものだった。


「勿論フェリをはじめ、公爵家の者たちは私を守ろうとしてくれるでしょう。ただ、物事に絶対はありませんから。ですから私は、単純に障害を排する力が欲しいのです。そもそも、このように刺客が差し向けられるというのは私が弱いからでしょう、貴族として」


 ガイネス帝国の高位貴族に求められているのは "力" だった。


 権力や財力ではない、もっと原始的な力だ。


 その意味で、執政代理としてアステール公爵家の舵を取るヘルガは確かに舐められているのかもしれない。


「私が強くなれば、現在の懸念もいくつかは消えるでしょう。そのために、帝国最高位の魔術師、"全能者ウィザードリィ" ハバキリに指導を願いたいのです」


 フェリは何か言いたげな表情を浮かべたが、口を噤む。


 そしてハバキリは内心で少しばかり驚いていた。


 彼の知るヘルガは魔術の才こそ優れているものの、その気質は穏やかに過ぎた。


 危険を恐れ、変化を恐れ、ある意味では臆病とさえ言える女性だった。


 エルデンブルーム家の教えそのままに、平和を愛する性質の持ち主だ。


 だが今目の前にいるヘルガは違う。


 ハバキリは一瞬、ヘルガの背後に両眼を爛々と光らせる雌獅子の姿を幻視した。

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