案ずる者たち

 ◆◆◆


 フェリの一日は早い。


 日も昇らぬ内から邸内のあれこれを差配する。


 アステール公爵家はそこまで多くの使用人を雇っているわけではないが、それでも数人はそこらではなく、数十人規模の使用人が存在する。


 これは別に公爵家としてはそこまで多いわけではない。


 中には数百人の使用人を使っている家もあるのだ。


 ただその中でも特別な者が四人いる。


 使用人という立場でありながら、ハイン自らその役割を任じた事で使用人の枠を外れている者たちだ。


 フェリという女はその中の一人である。


 通常の女中とは違い、彼女は邸内の警備全般を一手に司り、ハイン個人の秘書の様な事をしている。


 特に警備の任は重大だ。


 なにせアステール公爵家には暗殺者や間諜の類がバンバンと来るのだから。


 まあそんなものはオーマあたりが公爵邸全域を護れば良いという向きもあるのだが、オーマの仕事は庭師である。


 だから暗殺やら間諜やらの対処をオーマがすることはめったにない。


 四人それぞれに職分があり、それらを互いに侵す事はしないという一種の了解があるのだ。


 ゆえにフェリの仕事は絶える事はない。


 ・

 ・


「お疲れ様です」


 フェリが中庭に向かって声をかける。


 だがそこには誰もいない──かと思いきや、木陰から一人の女が出てきた。


 きりりとした顔つきの戦士然とした赤い髪の女だ。


 だがこんな女がアステール公爵邸に雇われた記録はない。


 しかしフェリは全く動じない。


『ナンダ……?』


 抑揚のない声が赤毛の女の口から洩れる。


「植え替えは進んでいるかと思ったんです。そろそろ季節が変わりますから。大奥様は白爪草に過敏に反応されますので気を付けて」


 これは要するにアレルギーのことだ。


 ハインの母、ヘルガは特定の植物にアレルギー反応を示すので、その辺を踏まえてガーデニングしろと言う事である。


『アア……コンゲツチュウニハ、スム……シカシ、ワタシニハ、イロ、ノ、クミアワセガ、ワカラナイ』


「それは私が後でお教えしますよ。それよりその体は──」


『ハイン様カラ……イタダイタ』


「そうですか、をしたんじゃないかと心配しました」


『ソンナコトハシナイ……イマハ』


 頼みますよ、と言ってフェリがその場を立ち去ろうとした時、若い使用人の一人が小走りで近づいてきた。


「フェリ様、大奥様が執務室でお待ちです」


 その言葉にフェリは小さく頷き、執務室へ向かい、執務室の重厚な扉を数度ノックすると「入りなさい」と応えがあった。


「失礼します」といい、フェリが中へ入るとヘルガが一冊の書類に目を落としていた。


 ◆◆◆


「フェリ、よく来てくれました」


「大奥様、どうされましたか?」


 ヘルガは微笑みを浮かべ、フェリを目で促して尋ねた。


「ハインの様子はどうですか?」


 フェリは一瞬答えに詰まり、どう答えれば良いのか少し迷うように視線を落とした。


 正直なところ、最近のハインは元気が良いとは言い難い。


 ハインがヘルガとの関係で悩んでいることを知っていたため、歯切れが悪くなる。


「申し訳ありません、大奥様。若様の近頃のご様子は……少々、心を痛められているご様子です」


 ヘルガはその言葉に、どこか寂しそうな、しかし受け入れるような表情を浮かべた。


「そうですか……」


 ヘルガは視線を窓の外へと向け、しばらく遠くを見つめていたが──やがてフェリの方を見て、穏やかに頷いた。


「ハインのこと、どうかよろしくお願いしますね。あの子が気を許す相手はそう多くはありません。私以外にはあなたくらいのものでしょう」


「かしこまりました、大奥様」


 ハインが自ら見出したにとって、ヘルガは主でこそないが、ハインの母親であり、そしてハインを育てたという事実は非常に重い。


「あの子ももう15。親離れをしなければならない年なのです」


 ヘルガの言葉にフェリは言葉を返せなかった。


 フェリも幼い頃は親から十分な愛情を受けて育った事があるため、一般的な親子関係というものは知らないではない。


 だからハインがヘルガに対して、親に抱くにはやや高すぎる熱量の想いを抱いている事は知っている。


 それがでは快く思われないであろうことも、知識としては理解している。


 しかしそれが何だと言うのか? 


 がフェリに何をしてきたか、フェリは文字通り骨身に染みるほど知っている。


 失われた両腕、両脚──そして部族の誇りである耳! 


 これらを取り戻してたのはハインであり、そのハインを産んだ者がヘルガである以上、フェリとしては二人に思うようにふるまって欲しいと考えている。


 愛したければ好きなだけ愛せばよいのだ、と思っている。


 しかしそれを直接に言うには、やはり憚られるものがあった。


 ◆◆◆


「──と、大奥様は仰っていました。あなたはどう思いますか? ガッデム殿。私は大奥様や若様が、世間体というものを気にしすぎていると思っているのですが。若様は王の中の王、そして大奥様は王母たる存在です。尊き存在は思いのままに振舞う権利があると思うのですが」


 どうと言われてもな、とガッデムは頭を掻いた。


 ガッデムは門番だが、別に四六時中休まずにアステール公爵家の門を守っているというわけではない。


 ハインは超のつく合理主義者な側面もあり、公爵家で雇っている者たちには適切な休憩が与えられていた。


 結局のところその方が能率が良くなるからだ。


 ガッデムもまた例外ではなく、数時間仕事をすれば一定の休養が義務付けられている。


 その間は別の者が門に立つ。


 ガッデムほど頼りがいがあるわけではないが、ガッデムと同族のタフガイだ。


 そんなガッデムだが現在は休憩時間で、フェリが訪れたのはその休憩時間内の事だった。


「俺には良く分からん。しかしハイン様や大奥様が悩んでいらっしゃるというのは俺達にとっても良い事ではない」


 だが、とガッデムは続ける。


「コトは親子の事情だぞ。俺達が口を挟んで良いものかどうか。お二人は何もいがみあっているというわけではないのだ。少し様子を見てはどうだ」


 確かに、とフェリは頷いた。


「ガッデム殿の仰る通りかもしれませんね。一応、あの人にも意見を聞いてみようとは思っていますが」


「うむ……だが」


「ええ、分かっています。あの人も随分忙しそうにしていますからね。邪魔にはならない様にします」


「ならば良い。それとオーマに意見を聞くのはやめておくことだ。奴にはそう、なんというか……本能的に過ぎる部分があるからな……」


 フェリは苦笑しながら「ええ、それは分かっています」と答えた。


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