魔王軍は衰退しました②

 ◆◆◆


 この世界には数多くの魔術体系が存在する。


 伝承や逸話から力を引き出すもの、上位存在へ祈りを捧げ力を借り受けるもの、不特定多数の共通認識を形と成したもの──その他諸々。


 その中に、特定の血を引く者にしか扱えない血継魔術というものがある。


 十二公家がカイネス帝国で有力な存在たりえるのは、この血継魔術を扱えるからに他ならない。


 ではアステール公爵家、星継ぎの大家とも呼ばれるこの家の血を継ぐ者はどういった血継魔術を扱えるのかといえば、それは無論であった。


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 夜の闇を切り裂くように、シャルキ率いる竜人部隊は月明かりの下を飛翔していた。


 先頭を飛ぶシャルキは冷たい風を感じながら、目標である帝都カイネスフリードの方向を見据えていた。


「皆、気を抜かないでね。この高さで、しかも隠ぺいの魔術を使っているとはいえ、絶対気付かれない保証はないわ」


 シャルキの言葉に、長年仕えている部下はタフな笑みを浮かべて言った。


「大丈夫ですよ、お嬢。連中とは違って俺達はってやつを分かってますからね。ひっそりと、静かに人間共の目を盗んで入り込める筈ですぜ」


 身の程、と口にする部下の声には皮肉の棘が浮かんでいる。


 いわゆるドラウグ種は能力的には決して劣っては居ないのだが、それでも全竜と呼ばれる完全な竜姿を持つ者たちからは「半竜」と呼ばれて見下され、疎まれているのだ。


 しかし故西方方面軍軍団長ジャガンは竜種の中でも革新的な意識を持っていた為、シャルキの様な半竜の強みを理解し、師団長へと抜擢した。


 ただ、そのジャガンも勇者によって滅ぼされてしまった今、竜種を中心に構成されている旧魔王軍西方方面軍は旧態依然の姿へと立ち戻ってしまった。


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 ──臆してはいないみたいね


 シャルキも少人数での帝都潜入が簡単な任務であるとは思っていない。


 ましてや、誕生したばかりとはいえ勇者を暗殺するというのも非常に困難だと理解してはいる。


 しかし同時に、今この瞬間が最も勇者は弱く、時間が経てば経つ程手が付けられなくなっていくことも理解していた。


 勇者を排するならば、まさに今なのだ。


 しかし、突如として異変が起きた。


 体が急に重くなり、翼が思うように動かなくなる。


 まるで見えない鎖が全身に巻き付き、体の重さが何倍にも増したかのような感覚がシャルキ達を襲った。


「何……これは……?」


 シャルキは驚愕の表情を浮かべ、必死に翼を羽ばたかせようとする。


 しかし空気が鉛のように重く、翼は重みに抗えずに下方へと引っ張られていく。


 周囲を見渡すと、部下たちも同様に苦しげな表情で高度を失っていた。


「罠か……!」


 彼女は歯を食いしばり、魔力を高めて束縛から逃れようと試みる。


 しかし、その拘束は彼女の魔力をもってしても解けるものではなかった。


「シャルキ様、このままでは墜落してしまいます!」


 一人の部下が焦燥の声を上げる。彼の翼は完全に広がらず、バランスを崩している。


「落ち着いて! 何とか体勢を立て直すのよ!」


 シャルキは必死に指示を出すが、自身もまた自由に動けない状況に苛立ちを覚えた。


 風の流れさえも変わり、まるで大気そのものが質量を持ったかの様だった。


 ──こ、この力……私たちが不安定な空にいる事とは関係なしにッ……


 この時シャルキは迫り来る大地に"大いなる存在"を幻視した。


 は女だった。


 黒く長い髪の、怒り狂った女だ。


 血走らせた両眼を大きく見開き、シャルキ達を睨みつけている。


 なぜそんな怒りをぶつけられるいわれがあるのか。


 シャルキには分からなかったが、とにかく女は怒っていた。


 ぎりり、と歯を軋らせ、シャルキ達を怨敵と見定めて腕を伸ばしている。


 シャルキは捕まりたくないと思った。


 あんなに捕まってしまえば一体どうなるのか。


 敵に倒されれば命を落とす──それは理解しており覚悟していることだ。


 しかしはそもそも敵なのだろうか。


 墜ちながら、シャルキは何か神性の様なものを感じてしまう。


 私たちは神を怒らせてしまったのかと思ったのを最後に、シャルキ達は大地へと叩き落とされた。


 ◆◆◆


 ──こ、ここは……


 シャルキの意識は意識を取り戻すなり、顔を顰めた。


 全身に鈍い痛みが広がり、思うように体を動かせない。


 瞼を開くと視界はぼやけ、星明かりが揺らめいて見えた。


 冷たい大地の感触が背中から伝わり、自分が倒れていることを認識する。


「ここは……一体……」


 辛うじて声を絞り出し、ゆっくりと上体を起こす。


 周囲を見渡して息を呑んだ。


 部下たちが無残な姿となって斃れていたからだ。


 翼は無惨に折れ、甲冑は砕け散り、血溜まりが黒い染みとなって地面に広がっている。


「嘘……そんな……」


 シャルキは震える足で立ち上がり、近くに倒れている部下に近づく。


 しかし部下の顔色は青白く、瞳は虚空を見つめたままだ。


「しっかりして! 目を開けて!」


 必死に呼びかけるが、返事はない。


 次々と他の部下たちの事も確認してみるが、生存者は見当たらない。


「皆……皆、死んでしまったの……?」


 喉の奥から嗚咽が漏れる。


 長年共に戦ってきた忠実な仲間たち。


 自分の野心に賛同し、命を懸けてついてきてくれた彼ら。


 それが今、無惨な姿で横たわっている。


「私のせいだ……私が……」


 自責の念が押し寄せ、シャルキは膝から崩れ落ちた。


 その時、微かに呻き声が聞こえる。


 シャルキはハッと顔を上げ、音のした方向に目を凝らす。


「誰か、生きているの?」


 暗闇の中、辛うじて動く影を見つけた。


 シャルキは急いで駆け寄る。


 そこには二人の部下が倒れていた。


 一人は深い傷を負いながらも意識があり、もう一人は息も絶え絶えだ。


「お嬢……ご無事で……何より……」


 弱々しい声でそう告げる兵士の手を、彼女は強く握った。


「喋らないで。今、手当てをするから!」


 手持ちの薬草を取り出し、応急処置を施そうとする。


 しかし、手は震え、焦りで思うように動かない。


「大丈夫です……我々のことよりも、お嬢が……」


「黙って! あなたたちを見捨てるわけにはいかない!」


 必死に傷口を塞ごうとするが、出血は止まらない。魔力も尽きかけており、治癒の魔術を使うこともできない。


「どうして……どうしてこんなことに……」


 涙が頬を伝い、冷たい地面に滴り落ちる。


 計画は完璧だったはずだ。


 隠密行動にも細心の注意を払った。


 それなのに、一体何が彼らをこのような惨状に追いやったのか。


 シャルキは立ち上がり、再び周囲を見渡した。


 夜風が吹き抜け、木々のざわめきだけが耳に届く。


 敵の姿はどこにも見当たらない。


 ──あれが罠だとしたら、近くに敵がいる……? 


 疑念が胸をよぎる。


 しかし考える暇もなく、彼女の中で新たな感情が芽生えた。


 それは怒りと悲しみだ。


 部下たちをこんな目に遭わせた敵への憤りと、自分の無力さへの嘆き。


「許さない……絶対に許さない……!」


 拳を握り締め、爪が手の平に食い込むのも気にせず、シャルキは唇を噛み締めた。


 ◆◆◆


 深呼吸をし、シャルキは冷静さを取り戻そうと努めた。


 今は生き残った部下たちを安全な場所へ避難させることが最優先だ。


 立ち止まっている暇はない。


「よし、今すぐここを離れるわ。生きているのはあんたたちだけ……二人くらいなら担いで行けるから」


 その時、空気が急に張り詰めた。


 周囲の温度が下がり、風が止む。


 まるで時間が凍りついたかのような感覚。


「何……この感じ……」


 不安が胸をよぎる。シャルキはゆっくりと空を見上げた。


 漆黒の夜空に一点、夜のそれより色濃い何かが見えた。


 それは次第に大きくなり、こちらに向かって降下してくる。


「まさか……」


 彼女は咄嗟に構えを取ろうとするが、体は傷つき、魔力も残っていない。


 それでも、眼前の脅威に対抗しようと拳を握り締めた。


 降りてくるは月明かりを背にしており、その姿はシルエットとなっている。


 ──これは……人間……? 


 信じがたい思いで彼女は目を凝らす。


 人間ごときがこのような威圧感を放つはずがない。


 しかも、その姿形はどう見ても人間──しかも、子供である。


 だがその圧は──。


 少年は地面に足をつけ、静かに立っている。


 埃が舞い上がり、冷たい風が再び吹き始めた。


 シャルキは緊張で喉が渇き、言葉を発することができない。


 相手は動かず、ただこちらを見つめている。


 沈黙が重くのしかかり、心臓の鼓動が耳元で聞こえる程に高鳴っていた。


「あなたは……誰……?」


 辛うじて声を絞り出す。


 しかし少年は微動だにせず、無表情のままシャルキを見ていた。


「答えなさい……!」


 焦燥と恐怖が入り混じり、声が震える。


 だが、その問いかけに対する返事はなかった。


 冷たい眼差しをシャルキに向けるのみ。


 沈黙が続く中、シャルキはじりじりと後退りをする。


 逃げ出すべきか、それとも戦うべきか。


 しかし体は傷つき、魔力も墜落から身を護るために使い果たし、底をついている。


 交戦は論外としても、逃亡すらも出来るかどうか。


 このままでは、とシャルキの焦りが臨界点に達した時、少年が口を開いた。


「ほう、3匹も生きていたか」


 甘く、しかし冷たい声がその場に響く。


「結構。劣等にしては上出来だ。見れば分かる……魔族だな? 俺は人間だ──よし、これで殺し合う理由が出来た。反抗を差し許す。せいぜい足掻いて楽しませてみせろ」


 次瞬、シャルキは膝を折った。


 先ほどと同等、いや、それ以上のが圧し掛かったからだ。


 当然傷ついたシャルキは勿論、彼女の部下たちがそんなモノ耐えられる筈もなく──


「おや? 劣等二匹が死んだか。済まないな、余りに、ついつい殺してしまった! ハハハハハ!!!!」


 地極星母重鎖陣テラ・クレイドルの、母たる地神の怒りの具現たる重力鎖は解除されていない。


 少年──ハイン・セラ・アステールは、それこそ胸先三寸でシャルキたちを文字通り叩き潰す事が出来たのだ。


 ハインはシャルキ達を弄んでいる。


 それを悪い事だとも思っていない。


 地に這いつくばるシャルキの視線の先には、先ほどまで会話をしていた筈の部下たちのが転がっている。


 飛び出した目玉、砕けた牙、割れた鎧。


 酸鼻に堪えないその末路に、シャルキの怒りが轟と燃え上った。

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