魔王軍は衰退しました③

 ◆◆◆


 シャルキの怒りは魔力と混ざりあい、炎となって彼女の全身から吹き出した。


 彼女の身体から立ち上る炎は純粋な赤ではなく、白みを帯びている。


「許さない……絶対に許さないわ!」


 シャルキの瞳は激情に揺れ、視線にすら灼熱を孕んでいる様だ。


 足元で渦巻く炎は次第に勢いを増し、大地を焦がしていく。


 そんな彼女の様子を前にして、ハインはパチパチと手を叩いた。


「素晴らしい。劣等かと思えばそれなりの様だ。炎を出せる者は数多いが、白炎を出すには炎に対しての理解がそれなりに深くなければ出せない」


 ハインの顔には余裕の笑みが浮かんでいる。


「何がおかしいの!?」


 シャルキは怒りの声を上げるが、ハインはその問いに答えず、ただ興味深そうに彼女を観察していた。


「素晴らしいと褒めているのだが」


 ハインの声には嘲笑の色はなく、純粋に賞賛の念が滲んでいる。


 それが逆にシャルキの怒りを煽った。


「黙りなさい!」


 シャルキは拳を握り締め、一歩前に踏み出す。


 重圧はいまだシャルキを地に縛り付けようとしているが、シャルキはそれを物ともしない。


 火竜に属する彼女は炎より力を得ており、それは自身が発する炎であっても例外ではない。


 超高熱の白炎はシャルキに膨大な力を与えている。


 ただ、本来のシャルキはこれほどまでの炎を生み出す事はできない。


 つまり種があるのだ。


 その種とは、すなわち命。


 炎とは命の象徴だ。


 シャルキは己の命を燃やして超高熱を生み出していた。


 全身に掛かる重圧に抗いながら、ゆっくりとハインに向かって歩を進める。


 一歩、また一歩。


 その足取りは重いが、着実に距離を詰めていた──が。


「もう少しいけそうか?」


 ハインは静かに言って 片足で軽く地面を叩いた。


 その瞬間、シャルキに掛かる重圧が一気に増大する。


「くっ……!」


 耐え切れず、シャルキは膝をつき、その場に倒れ伏した。


 全身を包む白い炎も揺らぎ、小さくなっていく。


「おっと、少し力加減を間違えてしまったかな」


 ハインの声が上から降り注ぐ。


 シャルキは必死に顔を上げようとするが、首さえも重く感じ、思うように動かせない。


 視線を巡らせると周囲の樹々もすべて倒れ潰れていた。


 まるで見えない巨大な力が押しつぶしたかのように──


「お前は……なんなの……?」


 シャルキの心に恐怖が芽生え始めた。


 自分の全力を持ってしても、一矢報いる事すらできないかもしれないという圧倒的な力量差に。


 絶望の黒雲がシャルキの精神に湧き出したかと思えば、瞬く間に広がっていく。


 そんな彼女の様子を楽しむようにハインは軽く手を振り、シャルキに掛かっていた重みを解除した。


「さあ、立て。しかし一歩も動くなよ。のはお前の立つその場だけだ。一歩でも踏み出せば潰れてしまうぞ、ほら、に」


 ハインがシャルキの背後を指差す。


 シャルキは恐る恐る振り返った。


 そこには、信じがたい光景が広がっていた。


 紙よりも薄く平べったく引き延ばされたかつての部下たちの姿──もはや原形を留めていない彼らが地面に貼り付いている。


「嘘……そんな……」


 シャルキの視界が歪む。目の前の現実を受け入れられず、頭が真っ白になる。


「次はお前もああなる」


 ハインの声は単なる事実確認といった感じで、それが一層シャルキの心を凍りつかせた。


 恐怖の余り膝から崩れ落ち、足元から温かい感触が広がり──自分が失禁してしまったことに気づく。


「やだ、あんな風に死にたくない……」


「そうか。ならもう少し綺麗に殺してやろう。だからお前は情報を寄越せ。お前達の軍容や、主だった将──そういう情報だ。知っている事は何でも話せ。話し終えたら苦痛の無い死を──」


 そこまで言った所で、ハインもシャルキも同時に上を向いた。


 ──が来る


 シャルキは震えあがった。


 感じる魔力の圧はハイン程ではなくとも、それより遙かに厄を孕んだ不吉なモノが近づいてきていることをシャルキは感得した。


 ◆◆◆


 夜空に浮かぶ満天の星々が、突然その輝きを失い始めた。


 闇が深まり、空全体が黒い幕に包まれる。


 その中で、夜陰よりも遥かに色濃い黒い靄の様なものがが空の一点に集まり始めた。


 まるでこの世界のあらゆる厄が凝縮していくかのように闇は昏く、深い。


「何……あれ……」


 シャルキは震える声で呟いた。


 彼女の視線は空の異変に釘付けになっている。


 黒い靄は次第に形を成し、漆黒の球体へと形を変えていく。


 そうして一瞬静止したかと思うと、空からぽたりと滴り落ちる水滴にも似た風情でゆっくりと地上に向かって落下し始めた。


 シャルキは直感的に危険を感じ、身構えようとするがしかし、体は思うように動かない。


 彼女の隣でハインは無表情のまま、その光景を冷静に見上げていた。


 漆黒の球体は次第に速度を増しながら、まっすぐに二人の立つ地上へと向かってくる。


 本能的な危機感を覚えたシャルキは必死に足を動かそうとするが、恐怖と疲労で体が鉛のように重く感じられる。


 そうしている間にも漆黒の球体は地面に到達する寸前で静止し、表面をまるで生き物のように蠢めかせ始めた。


 まるで何か生まれ出ようとしているかのようだった。


 見ている間に、球体は人の形を模し始める。


 そうしてついに、球体は真っ黒な人の形を取った。


 顔はなく、ただ漆黒の闇がそこにあるだけ。


 この影のような不気味な存在こそ──


「オーマか。何の用だ」


 ハインは平然とした口調で呟いた。


 その声には驚きも警戒も感じられない。


「な、お前の、仲間……?」


 シャルキは思わず口走るが、ハインは答えずに黒い人影——オーマに見る。


 オーマは無言のままハインに向かって一歩進み出て、立ち尽くした。


 ◆◆◆


 ハインとオーマが向かい合って立っている。


 ややあって──


「何? 母上が? 俺を探している? 一人でだと!?」


 ハインの表情が一変する。


 瞳には明らかな動揺が見て取れた。


「馬鹿な! なぜ一人にさせた! はあ?別の場所を探せといわれた? 何をしているんだお前達は……くそ、直ぐに迎えに行かねば……母上の魔力は……よし、捕捉した」


 ハインは苛立ちを隠せず、拳を握り締めている。


「オーマ、お前はそこの劣等……いや、戦士から情報を抜き取れ。そのあとは好きにしてよい」


 ハインはシャルキに一瞥をくれると、無感情に命じた。


 その視線にはもはや興味や余裕はなく、急ぎ立ち去ろうとしている。


 オーマは静かに頷くと、シャルキの方へと向き直った。


「ま、待って! 一体何が起きているの!? あなたは何者なの!?」


 シャルキは必死に問いかけるが、ハインは振り返らない。


 そのまま背を向け、ふわりと浮き──空の彼方へと飛び去った。


 残されたのはオーマとシャルキだ。


 シャルキからしてみれば、ハインの方がまだマシだったと思わざるを得なかった。


 ──こいつは、やばい……殺されるよりも……


 シャルキは顔を蒼褪めさせ、後退る。


 そんな彼女を見て何を考えてたのか、オーマの顔がぶるりと震えた。


 それは歓喜の所作──根拠はないが、シャルキはそう確信して、己の末路を呪った。


 ◆◆◆


 オーマという名前はハインが名づけたものだ。


 意味は闇。


 みたまんまである。


  は元々、帝都に渦巻く人々の負の念を餌にする低級な悪霊に過ぎず、嫉妬、憎悪、欲望——人々の心に潜む暗黒面を吸収し、わずかな力を得ていた。


 しかし長い年月を経て、は成長を遂げていく。


 貴族たちの陰謀や裏切り、民衆の不満や悲しみ——帝都は負の感情の坩堝であり、それはにとって絶好の餌場だった。


 やがてはただそこにいるだけで、周囲の者たちの暗黒面を増大させる力を持つようになる。


 そしてついにはの存在は人々の心を蝕み、争いや混乱を引き起こす誘因となった。


 ゆえに "本来の歴史" では、は帝都の貴族たちの邪念を増大させ、利己的な行動へと駆り立てた。


 結果、貴族たちは勇者の存在を疎ましく思い、最終的には勇者──つまり、アゼルたちを排除しようと画策するまでに至った。


 しかしこの平行世界では、はまだ低級な悪霊であった頃にハインに見つけられる。


 このハインというマザコンは、これでいて帝都の護りには敏感なのだ。


 なにせ帝都が揺れれば母であるヘルガが不安を覚える。


 ハインの行動原理は単純で、1に母の為、2に母のため、3、4も5も全部母の為なのだから、帝都の安堵についてハインはアステール公爵家に求められている役割以上の事をはたしている。


 ハインは当初、を消し去ろうとしたが、妙になついてくるのでペット感覚で飼う事にした。


 なぜ、がハインになついたのかといえば、アステール公爵家の血を継ぐハインの生命力と魔力の輝きがにとって何よりも美しく見えたからだ。


 これは "本来の歴史" とはかなり異なる。


 "本来の歴史" においてハインは星の力をうまく扱えず、代わりに暗黒の法に傾倒してしまった。


 そのため、から見ればハインは単なる餌の一種でしかなかった。


 しかしこの世界のハインは星の力を完璧に操り、その命の輝きは計り知れず、──オーマは闇ではなく光の味を知ってしまった。


 闇をいくら貪ろうとも飢餓感が収まる事はない。


 しかし光は違う。


 ただ傍にいるだけで満たされる、飢える事がない──オーマにとってハインとはそんな存在であった。


 ハインとしても、疲れず働き続ける事が出来るオーマは色々便利なのでこき使っている。


 ちなみに今のオーマはアステール公爵邸の庭師だ。


 美しい庭を保つため庭全体に拡散し、害虫などを駆除している。


 主な食事はハインから漏れ出る魔力、あるいは暗殺者など。


 オーマはそんなほのぼのライフを送っているわけだが、この悪霊の邪悪性が無くなったわけではない。


 ハインとそれに連なる者たちにとっては無害だが、ハインの敵にとってはこの上なく邪悪な存在として振舞う事が出来る。


 オーマにとって、 "女" とは命を産みだすご馳走である。


 命とは生、そして生は光に近しいからだ。


 そんな "おやつ" を、オーマは好んで食う。


 凌辱し、苦痛を与え、恐怖を全身にしみこませて、頭からばりばりと食べてしまう。


 オーマの漆黒の体からうぞり、と何かが生え出た。


 それはいわば、闇で出来た触手だ。


 自分が一体何をされるのか──本能でそれを感じ取ったシャルキは、「ひっ……」と短く甲高い悲鳴をあげた。

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