逆天の星
◆
「──という事があったのです、母上。しかし、アルファイド伯爵家は自由の家風なのでしょうか。あの劣等はどうにも貴族らしからぬといった風情で、やけに馴れ馴れしく話しかけてくるのです」
「駄目よ、ハイン。お友達を劣等なんて言っては」
叱られてしまった。
「酷いです、母上。僕とあの劣等のどちらが好きなのですか」
俺はそんなことを言って母上の胸に頬を擦り付ける。
「それはもちろんあなただけれど」
母上は困ったような様子で俺の頭を撫でてくれた。
母上には申し訳ないと思うのだが、俺は母親が困っているところを見るのが好きなのかもしれない。
「まあとにかく。剣術大会は私も見に行きますからね。私にかっこいいハインの姿を見せてちょうだいね」
俺は今まで剣術大会などというものは劣等が棒切れを振り回して遊ぶお遊戯会だとおもっていたのだが、どうやら違うらしい。
考えてみれば剣の道は単純に剣技だけを磨くのではなく、心も磨くものだ。
つまり、剣術大会の優勝者はもっとも心優れたる者ともいえるだろう。
母上の言葉で意識が改革された!
問題は俺がどこまで行けるかだが──
俺の剣は独学だが、物の理を学び磨いた業はそれなりだと思っている。
同世代に魔術で遅れを取る気は毛頭ないが、専門外とはいえ剣術に関しても負ける気はない。
──が!
「あのアルファイドの嫡男は中々やりそうです。これまでは有象無象の劣等だと思っていたのですが、どうにも実力を伏せている節がありますね。そうと思って視てみれば、足の運びなどから分かる部分もあります。平たく言えば、死闘の一つや二つではああはならないというのが感想です」
「珍しいわね、ハインがそんな風に言うなんて」
「母上以外には言いません。僕は母上に嘘をつきたくありませんから」
俺はそう言いながら母上に体を摺り寄せ、腕枕をしてもらうような体勢でひたすら甘え倒した。
まこと情けない限りなのだが、俺はこういうふうに母上に甘えるのが好きだ。
愛されているという感じがして安心できる。
これが愛なのかもしれない。
物の本には、肉体の繋がりなくして愛は存在しえないなどと書かれていたが、俺はそうは思えない。
心の繋がりこそが愛なのだッ……!
俺がそんな風に思っていると、ふと母上が笑みを浮かべている事に気付いた。
唇の端が僅かに弧を描くと、それはまるで母なる月──三日月のようで。
三日月は物事の始まり、転じて母性の象徴とも言われる。
どんな人間も、母から生まれて初めて人生が始まるからだ。
そして母とは無限の慈愛を注いでくれる尊い存在。
「もしかしたら少し自信がないのかしら。なら私が、ママが自信をつけてあげる」
そういって母上は俺を抱きしめて子守歌を歌ってくれた。
母上の胸の柔らかさ、そのぬくもりに包まれて俺は眠りにつき──深夜、目がさめる。
「馬鹿な……」
隣で母上が眠っているのを確認し、俺は密やかに寝台を抜け出す。
そして窓際で下腹部に手を入れて確認してみれば、ぬるりとした感触。
あろうことか、俺は夢精をしてしまったのだ。
まさか、俺は母上に対して不埒な思いを?
そう考えると怒りがこみあげてくる。
俺は窓を開け、夜空を睨みつけて唱えた。
──
と。
「行け、あの星の彼方まで」
俺の子種は "大いなる力" のくびきを外され天高く昇り 、ボウと燃え上って消失した。
母上の愛の光で精神を遍く照らされ、幸福な日々を送る事が出来ているという事を忘れ、例え無意識といえど欲に走るなどととは許される筈もない。
例え俺の体内から出たものであろうと、燃え尽きて消滅するのがお似合いの末路と言える。
◆◆◆
その日、帝都カイネスフリードの帝国臣民は逆さ──つまり、地上から天空へと走る流星を見た。
ある者は誰かが魔術を空へ放ったのだと言い、またある者は尊い方が天に還ったのだと騒がしい。
・
・
そうして場所は変わって『帝国占星院』へ。
帝国占星院はカイネス帝国の中心部に位置する高塔に設置された、国の未来を占う重要機関である。
星々の運行や天体の配置を詳細に観測し、その結果から様々な魔術的論拠で補強された予知を行うことで知られている。
予知の頻度自体は少ないものの、その的中率は驚異的だ。
これまでに数多くの歴史的な出来事を事前に予見し、帝国の舵取りに大きく貢献してきた。
また、占星院には名高い魔術師や学者たちが名を連ねている。
彼らは皆天文学、魔術、予言学など、多岐にわたる分野の第一人者であり、その深遠な知識と高度な技術は国内外で高い評価を受けている。
特に主席占星術師であるグレゴール・アルトマンは、その洞察力と予知能力で広く知られ、尊敬を集めている。
§
「昨夜の観測結果を見たか?」
グレゴールは深い皺の刻まれた額に手を当て、疲れた声で問いかけた。
齢70でもなお意気軒昂なグレゴールだが、流石に疲れが見えている。
無理もないだろう、一晩中予知の解釈に追われ、一睡もしていないのだから。
「はい。しかし……とても信じがたい事です」
若き占星術師マリアン・ルーが緊張した面持ちで答えた。
ルー家の才女であり、次代の帝国占星院を背負って立つだろうと評判だ。
グレゴールとは肉体関係でもある。
マリアンは星図を指し示しながら続けた。
「これは古代の予言書にも記されている『逆天の星』と一致します」
部屋に重い沈黙が降りた。
グレゴールは静かに口を開く。
「そうだ。考えられる事は一つ──魔王の復活」
「まさか……」
「いや、しかし理に適っている」
不安と焦燥のざわめきの中で、「我々はどうすべきでしょうか?」とマリアンが不安げに尋ねた。
「直ちに軍部に報告する。我らには我らの役目があり、軍部には軍部の役目がある」
グレゴールの声には迷いがない。
こうして、帝国占星院からの報告は速やかに軍部へと伝えられ、闇の次代の再来……その予兆という危機感が共有された。
"本来の歴史" において、旧魔王軍が本格的に活動を開始した際、人類はその脅威を過小評価して常に後手に回って多大な被害を被った。
その主な原因は油断と厭戦感情だ。
カイネス帝国は他国から攻められ辛い地勢的優越によって、長らく発展を享受してきた。
ゆえに戦時という精神的負荷が掛かる状況に余り耐性がない。
明確な脅威と言えば魔王軍くらいなのだが、その魔王軍もここ最近残党が活動しているくらいで襲撃も散発的だ。
帝都で多くの被害が出たオルムンドの襲撃でさえも、帝国の重い腰をあげるには至らなかった。
つまりは帝国臣民の厭戦感情、帝国の危機感の無さが魔王軍復活の際に大きな被害を生んだわけなのだが──
しかし平行世界ではどうなのかと言えば、帝国占星院からの予知を受けたカイネス帝国は戦時体制への順次移行を決定した。
軍備の拡張、新型兵器の開発、国境の要塞化、そして同盟国との協力体制の強化など多角的な対策が急速に進められていく。
この対応が今後どのような結果をもたらすのかは、今はまだ誰にも分からない。
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