閑話:旧魔王軍西方方面軍②

 ◆◆◆


 旧魔王軍西方方面軍の本陣はマリステル大陸の東端に位置する漆黒の城塞「ダルクヘイム」に構えられている。


 帝都ガイネスフリードからは直線距離でおよそ2000キロルもの距離があり、その間には広大な海「ネザシア海」があった。


 ネザシア海は深淵の海と呼ばれ、常に黒い霧と荒れ狂う嵐に包まれている。


 海域には巨大な海魔や謎の渦潮が存在し、航行は極めて危険だ。


 竜種の様な強靭な翼を持たない人間たちはこの海を越える術を持たず、旧魔王軍西方方面軍にとっては天然の防壁となっていた。

 ・

 かつて魔王は東西南北の各軍を縦横無尽に操って人類の生存圏を大いに削り取ったものだが、竜種によって構成された旧魔王軍西方方面軍は特に目覚ましい働きを見せた。


 最高指揮官である軍団長の下に複数の師団長が配置され、それぞれが強力な竜種の部隊を率いている。


 竜種の身体能力、そして魔力は大きな武器だが、統制された武力による衝撃力は個々が生み出すそれを何倍にも高めるのだ。


 軍団長を務めるのは "竜王" ジャガン。


 古の時代から名を馳せる猛者であったが、魔王に敗れその麾下に加わった──が、先代勇者によって滅ぼされ、現在の魔王軍西方方面軍は師団長数名によって運営されている。


 それぞれが一騎当千の実力を持つ強者ばかりだが癖も強く、全員がトップの座を虎視眈々と狙っていた。


 航空竜兵部隊を率いる魔竜イグドラも師団長の一人である。


 そんなイグドラだが、帝都カイネスフリード強襲失敗によって失った名誉を取り戻すべく躍起になっている。


 ・

 ・


「グルルルル……おのれ、勇者め」


 漆黒の闇が支配する山岳地帯の奥深く、巨大な洞窟が口を開けていた。


 その内部は湿気と冷気が立ち込め、壁面には無数の鋭い岩が突き出ている。


 この洞窟こそが魔竜イグドラの住処だ。


 イグドラはその巨大な体を縮め、洞窟の中心で怒りに震えていた。


 赤い瞳は憎悪の炎を宿し、鋭い爪が岩盤を深く抉っている。


 イグドラの脳裏には、帝都ガイネスフリードでの惨劇が鮮明に蘇っていた。


 忠実な部下であり猛将と謳われたオルムンドが、正体不明の光によって無残にも散った光景。


「私の判断が甘かったばかりに……」


 イグドラは尾を激しく振り下ろし、洞窟内に轟音が響き渡る。


 部下たちを無駄死にさせてしまった自責の念と、勇者への激しい憎悪が胸を締め付ける。


「必ずや、奴を討ち果たしてみせる……!」


 その言葉は虚しく洞窟内に響き、冷たい空気に溶けていった。


 その時、不意に洞窟の入口から軽快な足音が近づいてきた。


 イグドラは鋭い目つきで入口を睨む。


「ここにいたのね、イグドラ」


 赤い髪をなびかせた女性竜人、シャルキが姿を現した。


 彼女の紅瞳は挑発的に輝き、その口元には薄い笑みが浮かんでいる。


「何の用だ、シャルキ」


 イグドラは低く唸るような声で問いかける。


 シャルキは洞窟内を見渡しながら、ゆっくりと彼に近づいた。


「最近、姿を見かけないから心配してあげたのよ」


「貴様に心配される筋合いはない」


「そう言わないで。師団長同士、仲良くしましょうよ」


 シャルキはイグドラの前で立ち止まり、その赤い瞳で彼を見上げた。


「それにしても、帝都での失敗は痛手だったわね。 "空喰い" オルムンドまで失ってしまうなんて」


 イグドラの表情が一瞬険しくなる。


「……何が言いたい?」


「ただ、次は失敗しないでほしいなと思って。私たちの評判にも関わるし」


 彼女の言葉は鋭く、イグドラの胸に突き刺さる。


「次は必ず成功させる」


「本当に? でも、あなたが無理なら私が代わりにやってあげてもいいのよ?」


「余計なお世話だ。私の部隊で十分だ」


 シャルキは微笑を浮かべたまま、さらに言葉を続ける。


「そう? でも、軍団長がいない今、誰が次のリーダーになるかは結果次第よね」


 その言葉に、イグドラの心は揺れた。


「貴様……」


「まあ、せいぜい頑張ってちょうだい。期待しているわよ」


 そう言い残し、シャルキは軽やかに洞窟から去っていった。


「くそっ、あの女め……!」


 残されたイグドラは怒りと屈辱で胸を焦がすが、敗残の将である事実には変わりはない。


「ふん、勇者は強い……竜人などという半端な種である貴様に斃せるものか……」


 それが負け惜しみにしか聞こえない事を、他ならぬイグドラが一番良く知っていた。


 ◆◆◆


 シャルキは洞窟を出ると、冷たい夜風を感じながら思案に耽った。


「今こそチャンスね。軍団長ジャガンがいない今、私が勇者を討てば、他の師団長たちを出し抜ける。このままイグドラに任せていては、また失敗するだけ。私が動かなければ」


 シャルキは自室に戻ると、信頼のおける部下たちを集めた。


「皆、よく聞きなさい。私たちで帝都カイネスフリードに潜入し、勇者を暗殺しようとおもっているの」」


 部下たちは驚きの表情を見せる。


「しかし、シャルキ様、それは危険では……」


「わかっている。でも成功すれば、私が次の軍団長になることも夢じゃないわ。それにね、かつての帝都ならばともかく、今のカイネス帝国は、いえ、人間はかつてのそれではないわ。力のある騎士たちも、叡智を誇る魔術師たちも、多くがあの大戦で死んだ。本来の帝都ならオルムンド如きが近寄れるわけないもの。勇者復活は由々しき事だし、正面切って戦えば危ういけれど、殺し方には色々あるものよ」


 部下の一人が不安そうに口を開く。


「ですが、そうはいっても警備は厳重かと……」


「そうよ。だからこそ、私たちがいくの。さっきも言った筈よ、潜入って。それなら竜人である私たちにしか出来ないことがあるでしょう? うふふ。全竜だからといって、連中は私たちを見下してきた。でもこれからは違うわ。戦いの形が変わったのよ。先代の勇者だって《そうやって》魔王様を殺したんじゃない。今度は私たちがやってやる番よ」


 シャルキは自信満々に言い放つ。


「この作戦は極秘よ。他の師団長にも知らせない。成功すれば、私たちが魔王軍西方方面軍を率いることになるわ」


 部下たちは彼女の強い意志に圧され、静かに頷いた。


「承知しました、シャルキ様」


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