閑話:旧魔王軍西方方面軍

 ◆◆◆


 帝都ガイネスフリードから東へ三百キロルの上空を、複数の巨大な影が飛行していた。


 それは漆黒の鱗を持つドラゴンの群れ。


 旧魔王軍西方方面軍分隊の精鋭たちである。


 群れを率いるのは、全長50メトルを超える魔竜イグドラ。


 赤い瞳は人間への憎悪と復讐心に燃えていた。


「目的地は目前だ」


 イグドラの低く重い声が、空気を震わせる。


「ガイネスフリードを強襲し、人間どもに我らの恐怖を思い知らせてやるのだ」


 部下たちは力強い咆哮を以て応えた。


「"空喰い" オルムンド、先行せよ」


 前方に位置していた一匹のドラゴンが、鋭い眼差しで頷く。


 その名はオルムンド。


 圧倒的な速度で知られる猛将である。


「承知しました、イグドラ様」


 オルムンドは翼を大きく広げ、一気に加速した。


 その姿はまるで漆黒の流星のようであった。


「"空喰い" オルムンドか。中々の速さよ。しかも奴は速いだけではない……見よ、帝都上空の感知結界を次々に破壊しておる。奴ならばガイネスフリードの防御網をたちまち丸裸にしてしまうだろう」


 イグドラの言葉に、部下たちは口々に賛同の声を上げた。


「さすがはオルムンド殿!」


「オルムンド殿万歳!!」


 ◆◆◆


 オルムンドは猛スピードで帝都へと迫っていた。


 感知結界に触れるたびに、起動前に破砕していく。


「フフフ、人間どもめ。何もかもが鈍いのだ」


 しかし、その時だった。


 不意に視界が明るくなる。


 周辺一帯が強い光で照らされていた。


「何だ……?」


 その光は瞬く間に彼の視界を覆い尽くし、猛烈な熱と衝撃が襲いかかった。


「ぐあああああ!!」


 オルムンドの絶叫が闇に響く。


 彼の体は光に包まれ、鱗が一枚一枚剥がれ落ち、肉体が内側から裂けていく。


 まるで無数の小さな太陽が彼の体内で連鎖的に爆発しているかのようだった。


 オルムンドの巨大な翼は炎に包まれ、燃え上がる火柱となって夜空を照らした。


「い、一体、何が……」


 最後の言葉を呟く間もなく、オルムンドの体は無数の破片となって四方八方に飛び散った。


 赤い炎と黒い煙が渦巻き、夜空に巨大な花火が打ち上げられたかのような壮絶な光景が広がる。


 その瞬間、闇に包まれていた空が一瞬にして昼間のように明るく照らされた。


 衝撃波が周囲の雲を吹き飛ばし、遠く離れた地上にも振動が伝わった。


 ◆◆◆


 遠方からその光景を目撃したイグドラたちは、言葉を失っていた。


「オルムンドが……やられた……だと……?」


 イグドラの顔には明らかな動揺が浮かんでいた。


「一体何が起こったのだ!? 誰が我らを攻撃しているのだ!」


 部下たちはざわめき始めた。


「まさか、人間どもがこんな力を……」


「あり得ない! 我らは誇り高き竜種ぞ」


 イグドラは牙を剥き出しにして吠えた。


「静まれ! 怯えるな! これは何らかの罠だ。全軍、陣形を整えろ!」


 しかし、その言葉も虚しく、再び空に眩い光が走った。


「またか!」


 次の瞬間、後方にいたドラゴンが一匹、同じように爆散した。


「ぐわああああ!」


 凄まじい轟音と閃光が立て続けに発生し、ドラゴンたちは次々と光の中に消えていく。


「くそっ! 一体どこから攻撃してきている!」


 イグドラは必死に周囲を見渡すが、敵の姿は見えない。


 ただ、天空から降り注ぐ光の矢が次々とドラゴンたちを貫いていた。


 呆然とするイグドラに、不気味な声が囁きかける。


 ──『退け、イグドラよ』


「は! 退却だ! 全軍、退却せよ!」


 混乱し、統制を失う部下たちを何とか統御したイグドラだがしかし、竜面は屈辱に歪んでいる。


「勇者が既に現れていたとは……申し訳ございません魔王様……あたら兵を無駄に死なせました……」


 ──『イグドラよ、勇者が既にあれほどの力を得ている事は余にも予想できなんだ……汝の責任ではない。今しばし、侵攻は待て。そして余の器を探せ……』


 ・

 ・


 この日以降、散発的に発生していた旧魔王軍の襲撃はその頻度を減らす事となる。


 ◆◆◆


 旧魔王軍西方方面軍分隊の撃退。


 これは "本来の歴史" では、ハインではなくアゼル・セラ・アルファイド伯爵令息と、セレナ・イラ・ファフニル子爵令嬢によって成されている。


 帝都ガイネスフリードは"空喰い"オルムンドの襲撃により甚大な被害を受け、多くの犠牲者を出すこととなった。


 オルムンドはその圧倒的な力で城壁を破壊し、街を炎で包み込み、建物や街並みを次々と焼き尽くした。


 人々は混乱と恐怖の中で逃げ惑い、犠牲者も多く出る事となる。


 しかし、アゼルがいち早くオルムンドに立ち向かい──あわや敗北寸前の所で勇者として覚醒をするのだ。


 だが覚醒したばかりのアゼルでは、オルムンドの強大な力に対抗するには不十分であった。


 激しい戦いの末、アゼルは深い傷を負うが、それを救ったのがセレナ・イラ・ファフニル子爵令嬢である。


 彼女もまた聖女としての力に覚醒し、アゼルを窮地から救い出す。


 セレナの聖なる力によってアゼルは再び立ち上がり、二人は協力してオルムンドに対抗する。


 とはいえ所詮未熟な勇者と未熟な聖女に過ぎず、彼らはオルムンドを退却させる事が精いっぱいだった。


 一方ハインはといえば、この一連の出来事を全く手を貸そうとせず、冷笑しながら遠くから見ているだけであった。


 "本来の歴史" のハインはアゼルの無礼さに怒り、彼を殺そうとした所をエスメラルダ・イラ・サリオン公爵令嬢に阻止されており、多勢に無勢として引き下がったという恥を晒していた。だから帝都の防衛だとかそういうものよりも、アゼルやセレナが敗死するのを傍観していたのだが、この邪悪さが"魔王の意思"に察知されることとなる。


 そして魔王の意思は、ハインを自らの復活のための器にすることを決めて、魔竜イグドラに撤退をする様に命令をした。


 器であるハインを巻き込まないようにするためだ。


 そもそも旧魔王軍が帝都を襲撃していたのは、 "魔王の器" を探すためだった。


 魔王はその超常的な感知能力で、自身の器となりうる存在が帝都にいる事を察知していたのだ。


 まあそんなこんなで人々はアゼルとセレナの奮闘を讃えるのだが──ハインに至ってはその評判が地に落ちる事となった。


 なにせ十二公家の一家でありながら、帝都を護るために戦おうとしなかったのだから。


 しかし平行世界のアゼルは親子の団欒の邪魔をしたオルムンドをぶち殺し、ついでにイグドラ麾下の竜兵を複数嬲り殺してしまった。


 そして魔王に見初められる事もなかった。


 これがどのような変化を齎すかは──今はまだ分からない。


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