14.親愛と深愛(中編)
この五年、自分は逃げていた。改めて事実を認識し、ようやく受け入れた気分だった。
魔術師の仕事から距離を置くことは楽だった。研究に没頭するほど、自分たちが召喚した勇者の是非を考えてしまうから。
誰とも関わらないことは楽だった。関わると、いつか来たる喪失を恐れてしまうから。
だから。だから、森の家の暮らしは気楽で穏やかなものだった。残った細い繋がりを抱く日々が、エリアスには合っていた。
けれど、ハルトは現れた。逃げることをやめ、変わりたいと願うのであれば、一歩を踏み出さなければならない。甘えでも施しでもなく、自分の意志で、改めて。
頼まれた仕事を携え、ビルモスの執務室を訪れたエリアスは、いずれ宮廷に復帰したいと伝えることにした。
とは言え、あくまで自分の希望である。魔術師殿のトップが認めぬことには、叶うことのない要望。ある程度は望まれていると承知していても、言葉にするには決心が要った。
騎士団に入ると言ったとき、ハルトは平然と笑っていたけれど、もしかすると似た心境だったのかもしれない。
「きみが戻るというのなら、僕としてはありがたい話だよ。ただ、きみも、僕のコネと言われたくはないだろう? そうならないように、行動で示してもらいたい」
「わかっている」
それはそうだろう、とエリアスは請け負った。今の自分は、学院を出たばかりの新人と目こぼしを貰うこともできない年齢だ。仕事に食らいつく努力はもちろん、円滑な人間関係を築く努力もせねばなるまい。後者のハードルは高いが、致し方のないことだ。
おのれに言い聞かし、エリアスは呼びかけた。
「ビルモス」
「うん、なにかな」
「何年も迷惑をかけてすまなかった」
蒸し返すつもりはない。ただ、けじめとして言いたかったのだ。
「構わないよ。僕はきみの後見人でもあるからね」
予想どおりのなんでもない顔でほほえみ、ビルモスが言葉を重ねる。
「もちろん、魔術師長としても、優秀な魔術師が戻ることはありがたい。……まぁ、過度な軋轢を生まない努力はしてもらいたいが」
「承知した」
短時間で二度も釘を刺された現実に、エリアスは神妙に頷いた。繰り返すが、過去の自分がひどかっただろう自覚はあるのだ。若かったの一言で済ますべきではないと思う程度には。
沈黙したエリアスを見つめ、ビルモスは目元を笑ませた。
「では、承知してくれたところで。きみの後見人であるところの僕からも、ひとつ質問をしてもいいかな」
「なんなんだ」
「少し前、勇者殿を元の世界に戻すことはできるかと聞いただろう。きみらしくもない、切羽詰まった調子で。彼と話すことはできたかな」
どこを切り取っても子ども扱いなのだから嫌になる。エリアスはうんざりと釈明した。
「……これからだ」
「そうか、これからか」
いいことだね、とくすくすと笑い、紅茶のカップを手に取る。一口飲んだところで、ビルモスは穏やかな顔を見せた。
「なんだかんだと言ったところで、きみも十二分にやり直しの利く年だ。存分にふたりで話せばいい」
「そうだろうか。もういい年だと思うが」
「少なくとも、僕よりはね」
首をひねったエリアスを、ビルモスが笑う。珍しいほどに他意のない笑顔だった。その調子のまま、勇者殿によろしく頼むよ、と。厄介な上司で、後見人でもあるところの男が言う。
「たまにはふたりで遊びに来なさい。ニナも喜ぶ」
職場で奥方の名前を出すとは珍しい。内心でエリアスは驚いた。
ビルモスは、滅多とプライベートを晒さない。とんでもない勘違いが生じる所以である。唖然としたハルトの顔を思い出し、苦笑まじりに応じる。
「近いうちに、ぜひ」
そんな男の家を、自分は訪れたことがある。彼の大切な奥方を紹介されたことがある。それを信用と呼ばないほど、今のエリアスは頑なではなかった。
「エミールにもよろしく頼むよ。ついこのあいだも、きみに余計なことを言ったと気に病んでいたからね」
「余計なことを言われた覚えはないが、承知した」
「真面目な出世頭なのだけどね。融通が利かないのはともかく、どうにも人がよすぎるんだ。きみもそうだが、そろそろ政治のなんたるかを覚えてもらわないと」
「…………承知した」
にこりとした圧に負けそうになりながら、同じ了承を返す。戻ると決めた以上、心底面倒であるものの、政治も致し方のないことだ。
溜息を呑み込んで、執務室を出る前に一礼を残す。そうしてエリアスは廊下を歩き出した。
期待されるに値する能力が、今の自分にあると言い切る自信はない。五年のブランクの大きさも身に染みている。だが、すべて承知で、進むために戻ると決めたのだ。ひとつひとつを積み重ねていくほかに道はないだろう。
――まぁ、しばらくは骨を折ることになるだろうが。
五年も引き篭もったのだから、それもしかたのないことだ。つらつらとしたことを考えつつ中庭を進むうち、美しい薄水色が目に入った。
「エミール」
こぼれた呼びかけに、少し先の渡り廊下を歩いていたエミールが立ち止まる。振り向いた凛とした顔が、あっというまに気まずいものに変わるので、エリアスは苦笑を刻んだ。
ビルモスの言っていたことは、誇張のない事実であったらしい。距離を詰め、静かに声をかける。
「このあいだは話が途中になってしまってすまなかった」
「いや、……こちらこそ。ひさしぶりに会ったというのに、問い詰めるような真似をしてすまなかった」
「構わない。気にかけてくれたんだろう」
当然と応じたエリアスに、エミールが目を丸くする。
「なんだ?」
「いや、すまない。ビルモスさまからも少し聞いていたのだが、本当に随分と丸くなったと驚いて」
「どんな話だ、いったい」
憮然と呟いたはずの声は、照れ隠しに似た響きを纏っていた。ほほえましそうにエミールが言う。
「勇者殿が戻って、エリアスが楽しそうにしているという話だ」
「楽しそう……」
「そう照れなくともいいだろう。ビルモスさまは、あの調子なら、きみが戻りたいと言い出す日も近いのではないかとおっしゃっていて。それで、つい」
先走って問うてしまったのだ、とエミールは明かした。
つまるところ、五年が経った今も、ビルモスの手のひらの上で踊っていたのだろうか。呆れのような、諦めのような。それでいて、くすぐったいような。
なんとも言えない心境のまま、エリアスも打ち明けた。わざわざ「エミールによろしく」と告げたビルモスの意図は、「事前に手を回しておけ」だ。
まぁ、もちろん、魔術師殿の誰に一番に伝えたいかと問われたら、エリアスもこの同期の名前を挙げるけれど。
「まだ少し先の話だが、環境が整えばこちらに戻ろうと思っている」
「そうか……!」
「慣れるまでには時間がかかるだろうが、どうにかやっていくつもりだ。ぜひ、またよろしく頼みたい」
「もちろんだ」
素直な顔で、エミールは笑う。
「今からその日が楽しみだ」
「ああ」
エリアスも本心で頷いた。それでは、また、とひさかたぶりの挨拶を交わし、騎士団の訓練場に足を向ける。かつて、魔術師殿から幾度となく通った道だ。
らしくないことをしている自覚はあったので、勇者を預かる立場を言い訳に。
ハルトのことが心配だったのだ、と。今であれば素直に認めることができる。だが、あのころの自分にとって、誰かを心配するという感情は、たぶん、未知のものだったのだ。
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