13.親愛と深愛(前編)

 ――だが、命を懸けた行動を、自分の意志でないように言われたら、腹も立つか。

 煙草から立ち上る紫煙を見つめ、エリアスは小さく息を吐いた。その音が、やたらと大きく居間に響いた気がして首を傾げる。

 なんというか、太陽のような男だからな。もはや、そう思うほか道はない。無論、寂しく感じる理由についてである。

 またひとつ、エリアスは溜息を吐く。ハルトが騎士団の寮に入ると出て行って、約十日。森の家は静かなままで、ハルトが帰る気配はないままだ。

 だが、本を正せば、自分の勧めた選択である。エリアスは、吸うことなく短くなった煙草を灰皿に押しつけた。窓から差し込む光も、随分と色濃くなっている。

 騎士団の勤務も、終わるだろう時間。自然とハルトの顔が浮かんだところで、二回、家のドアが鳴った。帰ってきたと思ったわけではない。だが、タイミングが良かったがために期待をしたことは事実だった。

「……アルドリック」

「なんだ。誰だと思ったんだ?」

 隠し切れなかった失望を笑われ、いや、と誤魔化すように呟く。

 森に足を運ぶ人間は、変わり者の宮廷騎士か、ビルモスの使いと決まっている。ドアが二回鳴れば、前者の証。それ以外の来訪者などないというのに、なぜ落胆をしたのか。エリアスは苦笑いを浮かべた。

「ここに来るのは、おまえか魔術師殿の使いくらいだ。知っているだろう?」

「知っているが。おまえの家に行くことが通過儀礼になっているとの噂も聞くぞ。おまえが才能がないと判ずれば、ビルモス魔術師長に連絡が行くとかなんとか」

「俺にそんな権限があると思う意味がわからん。そもそも、宮廷の試験に受かった時点で一級であるべきだろう」

「おまえの名前を知る人間が、それだけ残っているということだ。ビルモスさまもあいかわらずだな」

「騎士団は変わらず忙しいのか」

 中に入りドアを閉めたアルドリックに、騎士団に話題を変えて問いかける。連絡がないのは無事の証拠とわかっていても、少し気になっていたのだ。

「まぁ、それなりには。俺は今日の午前まで外に出向いていてな。騎士団に一度戻って、そこからこちらに来たんだ。勇者殿はまだ騎士団にいるのではないか?」

「そうか」

 ハルトのことを聞いたわけではないとする弁明は、さすがに無理がある。頷くことを選んだエリアスに、アルドリックはいつもの顔で笑いかけた。

「ほら、土産だ。うまい酒と聞いたんで、つい出先で手が伸びてしまった。帰ったら、勇者殿にも呑ませてやるといい。あの子は見た目の割に酒が強いな。うちの酒豪と良い勝負だ」

 見ていて気持ちが良い、と評しながらアルドリックが椅子を引く。

 ハルトはこの家でほとんど酒を呑まなかったから、意外な話を聞いた気分だった。騎士団には、自分の知らないハルトの姿がいくつもあるのだろう。だが、それはさておいて。

 ――この言い方は、酒を入れずに話したいということなのだろうな。

 アルドリックと顔を合わすのは、「少し考えてみてくれるとうれしい」と宮廷で告げられて以来のことだった。受け取った瓶をキッチン台に置き、向かいの椅子に腰を下ろす。

 どう切り出すべきか迷ったことを察したように、アルドリックはエリアスに世間話を振った。

「勇者殿は元気にしているぞ。年の近い連中と寮でも楽しくやっているらしい。あの子は、なんというか、人好きがするからな。人が集まるんだろう」

「……そうか」

「まぁ、おまえのことは気にしているようだったが。いったいなにを嗅ぎつけたのか、俺が訪ねるとわかったようでな。騎士団を出る前に、師匠によろしくと釘を刺されたよ」

 なぜ、それを釘だと思うのだ、だとか。そもそもとして、ハルトによろしくと言われる道理はない、だとか。さまざまな文句が浮かんだものの、言葉になることはなかった。

 そうして、もうひとつ。楽しくやっていると聞いて安心すればいいものを、エリアスの胸はなぜかささくれてしまったのだ。

 矛盾を持て余して黙り込めば、愉快そうな笑い声が響く。

「なにせ勇者殿だ。恐ろしくて敵に回すこともできないな」

「アルドリック」

「なぁ、エリアス」

 思いのほか穏やかな返答に、エリアスはアルドリックを見上げた。人のいい瞳が、宥めるようにほほえむ。

「まだ楽隠居に飽きは来ないか?」

 それもやはり穏やかな問いだった。

 少し前、仕事を受けることは、いいかげんにやめよう、と。エリアスは考えていた。

 ハルトが戻って、宮廷に赴く回数が増えて、戻る気はないと言いながら、自分があまりにも中途半端に好き勝手をしているように思えたからだ。だが。

 即答を躊躇したエリアスに、アルドリックは真摯に続けた。

「俺はおまえのような人間こそ、中央に残るべきだと思っている」

「なぜだ」

「青臭い理想論かもしれないが、心があるからだ」

 心がある。まったくもって自分に似合わない言葉だとエリアスは笑った。だが、アルドリックは真面目を崩さなかった。

「それに、これは俺の憶測だが、ビルモスさまも望んでいらっしゃるのではないか」

「……」

「だから、おまえに仕事を頼み、宮廷との縁が切れないようにされているのだろう。おまえのあとに入った新人とも縁を繋いでいる」

 与えられる縁に、いつまでも縋っていた現状がおかしかったのだ。そう告げる代わりに、エリアスはらしい台詞を選んだ。

「仮にそうだとしても、ビルモスにとって俺の利用価値があるあいだのことだろう」

「なら、まだ、ビルモスさまにとっての利用価値はあるということだ。それを利用して戻ることができるのであれば、問題はなにもない」

 ざっくばらんと言い切ったアルドリックが、ふと表情をゆるめた。どこか揶揄うように。

「それとも、おまえは、ビルモスさまに本心でかわいがられ、打算なく重宝されたいと願っているのか? そうだとすれば、なかなかに青いところがある」

 そんなことはない、と反射で返そうとした言葉を留め、エリアスは唇を曲げた。

 大っぴらに認めたいことではないにせよ、そういった願望がまったくなかったと言えば嘘になる。けれど、すべて昔のことだ。

 ――まぁ、嫌だのなんだのと不服を吐きながら断らなかった時点で、縁を切りたくなかったのだろうが。

 明け透けに言えば、ビルモスに見捨てられたくなかったのである。けれど、その屈託した幼児性にも、蹴りをつけねばと思うことができるようになった。

 頑なだった思考に影響を及ぼしたのは、ハルトの存在に違いない。

「そうだな」

 顔を上げ、エリアスは認めた。

「今もそういった部分がないとは言わないが、あのころはより子どもだったのだろう。なにもかもが嫌になって逃げてしまった」

 嫌気が差して、投げ出して。そのくせ、定期的に訪れる使いに、心のどこかで安堵を覚えていた。

 みっともない告白を、アルドリックは責めなかった。大方、察してもいたのだろう。柔らかな表情で静かに頷く。

「逃げることが悪いわけではない。休むことも重要だ。自分の心と向き合うことも。あのころのおまえは正に一心不乱という感じだったからな」

「そうだったかもしれないな」

「言っておくが、ここに引き篭もった当初もそうだったぞ。勇者殿と暮らした当時の穏やかさが嘘のような、刺々しい態度に戻っていたしな。世捨て人というより、手負いの野生動物という感じだった」

「おい」

 あまりの言いように、「そうだったかもしれないな」との相槌を、エリアスは放り投げた。いなすように笑うだけで堪えた様子はなかったが、気分の問題だ。

「今はそんなことはないだろう」

「今はそうだな。おまえが落ち着いていく様子を、俺も見ていた。のんびりとした時間を満喫し始めたようにも見えたから、それはそれでいいと思っていたんだ」

 王都と違って、妙な噂も駆け引きもなにもないからな。そう、アルドリックが言う。

 おまえがいたからだ、という返答を、エリアスは呑み込んだ。事実であったが、この場で言うべきことでないように思えたのだ。

「俺にとってもここに来ることは良い息抜きで、楽しかったからな。だが、勇者殿が戻ってきただろう。そこでまたおまえは変わった」

 否定することもできず、苦笑を浮かべる。

「そんなにか」

「なんと言えばいいのだろうな。ありていな言い方をすれば、ひどく生き生きとして見えた。そうこうしているうちに宮廷で見かける回数が増えて、ああ、おまえの時間が動き出したんだなと気がついた」

 言葉を切り、アルドリックも苦笑った。

「勇者殿は、本当にすごいパワーを持っているな」

「……そうなのかもしれない」

 照れ臭さに負けて、「かもしれない」と評したものの、そのとおりだと知っていた。自分に切欠を与えるのは、いつだってハルトなのだ。

 ハルトと会って愛に触れ、ハルトと離れて寂しさを覚えた。再会したハルトに予防線を張ったのは、甘言に乗ったら手放すことができなくなる、と。無意識に悟ったせいに違いない。

 ――悪いことを言ってしまったな。

 思い至り、そっと目を伏せる。本気で言っているのかと問うたハルトは、エリアスが今のハルトから目を逸らし、自分の不安をぶつけているだけと正しく承知していたのだろう。

 過去の罪悪感を、ていのいい理由に使ったことも。だから、巻き込まれたかわいそうな子どもの話にするなと言ったのだ。ビルモスの忠告と、まったく同じ論点である。

「とは言え、だ」

 苦笑まじりの声に視線を上げれば、アルドリックは声と似た笑みを刻んでいた。

「勇者殿が元の世界に帰ったあとも、影ながら見守っていたつもりでいたものだから、大人げないとわかっていても、どうにも面白くなくてな」

「なにがだ?」

「俺では変わらなかったおまえが、勇者殿が戻った途端に動き出したことが、だ」

 問い返した愚鈍さを、エリアスは恥じた。同時に、なぜ、自分なのだろう、とも思った。言葉を紡げずにいるうちに、再びアルドリックが笑いかける。

「余計なことを言った。煩わせてすまない」

 エリアスは静かに息を呑んだ。本当に、どうして、自分なのだろう。まったく理解することはできなかった。だが、気の迷いや勘違いという台詞で一蹴してはならないのだ。

「アルドリック」

 精いっぱい穏やかに、友人の名前を呼ぶ。向き合おうとする誠意から逃げる弱さで、大切な相手を傷つけることはしたくない。その一心だった。

「おまえのことは好きだ。人間として。友人として。大切にも思っている。だが、それ以上の相手として見ることは、俺にはできない」

「そうか」

「すまない」

「いいさ」

 湿っぽさのかけらもない笑顔で、アルドリックは応じる。

「わかっていたことだからな。友として好いてもらっているという事実で十分だ」

「……そうか」

 余計なことは言わず、エリアスは相槌を打った。たぶん、本当にわかっていたのだろう。そう思わざるを得ない態度だった。

 そういう意味で、自分がアルドリックを選ぶことはないということ。そういう意味で誰かを選ぶのであれば、それはたったひとりだということ。

「おまえのことは、勇者殿の件で関わり合いになる以前から知っていた」

 突如始まった世間話の意図を掴めず、わずかに首を傾げる。だが、アルドリックは、他意はないというふうに笑っただけだった。

「とは言っても、宮廷の噂のひとつとして知っていたにすぎないが。魔術師殿の狐の愛児。ビルモス殿に次ぐ成績で学院を卒業した、期待の秀才。もっと下種な言い方もあったが、こんなところだ。ビルモス殿の忠実なお人形という評判のわりには、生意気な口を利くと思ったが」

「放っておいてくれ。あのころは俺も若かったんだ」

「なに、俺もそうだ。若かったから、噂でしかおまえを判別しなかった」

 昔のアルドリックは、もう少しわかりやすく野心的だっただろうか。記憶を辿ろうとしたものの、はっきりと思い出すことは叶わなかった。

 だが、当然の結果であったのかもしれない。アルドリックが一心不乱と表現したとおりで、あのころのエリアスはひどく視野が狭かった。

「そんなふうだったから、召喚されたばかりの勇者殿が、おまえを選んだときは驚いた。おまえの見目が良いこと自体は否定しないが、第一印象としてはとっつきにくいだろう。おまけに、今よりも冷たい印象が強かった」

「放っておいてくれ」

 くつくつと笑われ、先ほどと同じ台詞を繰り返す。けれど、アルドリックはまったく気にするそぶりを見せなかった。どこに着地するのか読めない話だけが、どんどんと先に進んでいく。

「おまえが勇者殿に害を成すことはないとわかっていても、べつの部分で心配を覚えたな。感情の乏しいお人形のもとで、寄る辺のない勇者殿の心が安らぐのか、とね」

「俺もそう思っていた」

 たぶん、おそらくは、アルドリックよりも。否、あの場にいた人間の誰よりも、自分が一番強く危惧していた。

 素直でなによりだ、とまたアルドリックが笑う。どこか懐かしそうに。

「勇者殿の護衛につくことが決まっていたから、余計に気になったんだ。しかも、召喚された勇者殿は随分と幼気な子どもだったろう。俺の庇護欲も動いたんだ」

「それも、俺もそうだった」

 ハルトが幼気な子どもだったことに異議はない。素直に認めたエリアスに、アルドリックも簡単に請け負った。

「そうだな。最初はそうだったんだろう」

 最初。では、自分のそれは、途中から庇護欲と映らなくなっていたのだろうか。エリアスが覚えた引っかかりを解くように、静かな声が歌う。

「勇者殿は見る目があったのだろうな」

 素直に頷くことは、今度はできなかった。

「そうなのだろうか」

「そうだ」

 ぽつりとした問いに、アルドリックが頷く。エリアスの代わりのような、はっきりとした応えだった。

「繰り返しになるが、おまえは変わったからな」

「変わった」

「ああ、あの二年で。人間がぐっと丸くなって、……俗な言い方をすれば、愛を知ったというやつだろう。それで、それは、勇者殿のおかげだ」

 間違いない、と断言され、エリアスはうつむいて苦笑を刻んだ。

 そばで見守っていた第三者に保証されたことが、うれしかったからだ。あの日々がまったくの間違いではなかったと言ってもらえたようで。過去をきつく噛み締める。

 ハルトが巻き込まれたかわいそうな子どもであったことは事実だ。だが、大変な日々の中でともに過ごした穏やかな夜も、自分たちのあいだにたしかにあったのだ。

「そのおまえに俺は惹かれたんだ。おまえを変えた勇者殿に敵うはずがなかったんだよ」

 自嘲の混じった台詞に、エリアスは顔を上げた。

「アルドリック」

「それだけだ。これも言ったとおりだが、おまえが気に病むことはない」

 あったはずの自嘲をきれいに拭った顔が、穏やかに笑む。言葉に悩むエリアスに、いつもどおりの「友人」の調子で、アルドリックは言い切った。

「これからも変わらず友人でいてくれると、俺はうれしい」

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