5.森の家の魔術師(中編)

「あ、これ! これだよ、師匠のカレー。懐かしい。やっぱりおいしいな」

 にこにことものを食べる姿というものは、なぜにこうも幼気に映るのか。しみじみと眺めたエリアスだったが、ひとつ疑問が浮かんだ。

「懐かしいもなにも、つい十日ほど前まで向こうにいただろう」

 故郷で存分に食べたのではないかと尋ねると、ハルトは真顔で断言をした。

「それはそれ。これはこれ。師匠のごはんが俺は一番」

「ああ。それは俺もそう思う。エリアスの作るものは一番だ」

「いや、本当。愛情が違いますよね、愛情が」

「揃いも揃って大袈裟なやつらだな」

 愛情の意味が不明の上に、持ち上げが過剰すぎる。そんなわけで謙遜はしたものの、味が良いこと自体はあたりまえである。

 七年前の自分はがんばったのだから、そのくらい自負してもいいだろう。そう、エリアスはがんばったのだ。魔術師としての薬剤の調合技術と知識を駆使し、未知の料理の再現のために惜しみない努力をしたのである。

 料理に一過言もなにもない、腹に入ればみな同じと思っていた、この自分が。王立魔術学院でトップの成績を収めた、この自分が。

 ハーブの組み合わせに頭を悩ませ、野菜や果物を太陽の下で干し、時には煮込み。こちらの世界では誰も好んで口にしないものを恐る恐る混入し。と、まぁ、下手をすれば、学院の卒業課題よりも時間をかけてがんばったわけである。

 理由は単純。故郷の味と似たものを食べると、召喚された気の毒な子どもがほっとした顔をしたからだ。

 はじめこそ同情だったものの、二年も過ごせば正しい情が湧く。エリアスにとっては、かわいい養い子の側面もあったのだ。

 懐かしいことを思い返しているうちに、ハルトを見つめていたらしい。ほほえましそうにアルドリックが目を細める。

「あいかわらず、勇者殿がかわいくてしかたがないという顔をしているな」

「誰がそんな顔をした」

 覚えたバツの悪さで切り捨てたものの、アルドリックはしたり顔を崩さなかった。

「エリアスは自分を無表情と思っているようだが、……いや、勇者殿のように表情が豊かとは言わないが」

「あたりまえだ」

 ハルトは表情豊かで愛嬌がある。小さかったころは、本当にかわいかった。今のような意味のわからないことも言わなかったので、なおのことである。

 大きく頷けば、それだと言わんばかりの苦笑まじりの返事。

「なんだかんだで目に感情がよく出るからな。見ればわかる」

「あ、それ。俺もわかりますよ。アルドリックさんの言うとおりで、師匠、結構わかりやすいから」

 黙々とスプーンを動かしていたハルトが、唐突に口を挟んだ。

「まぁ、それを自覚してないところがかわいいと俺は思うんだけど」

「黙ってくれ」

 切れ長の瞳をぱちくりとさせたアルドリックに向かって、ハルトがほほえむ。エリアスの制止など気にも留めない風情だ。いいかげんにしてくれ。

「あ、俺、今、師匠に求婚中なんです」

「黙れと言ったのが聞こえなかったか」

 地を這った声に笑ったのは、アルドリックのほうだった。

「これもあいかわらずと言うべきか、随分と勇者殿に振り回されているみたいだな」

「まったくだ」

 心の底から同意を示し、やりとりを終わらせる。場を取り成すための苦笑でしかなかったからだ。

「そうかなぁ。俺のほうが振り回されてると思うんだけどなぁ」

 マイペースな呟きに、「正気か?」と問い質したくなったものの、エリアスはぐっと呑み込んだ。振り回す人間というものは、得てして自覚を持たないものである。

「……」

 それに、まぁ、なんと言うべきか。かつての自分たちが、とんでもなくハルトを振り回したことは事実だったので。その過去がある限り、エリアスはハルトに頭が上がらないのだ。



 今日は帰ることにするよ、と。珍しく早い時間に腰を上げたアルドリックを見送り、調理場で食器を片づけていたエリアスに、ハルトから声がかかった。

「アルドリックさんって、よくここに来るの?」

「月に一度か二度という程度だが。よく来ると言えば、よく来るな」

 食器を拭きながら、雑談に応じる。辺鄙な森に定期的にやってくるのだから、「よく来る」の部類に入るだろう。そうなんだ、と頷いたハルトが、すぐにもうひとつを尋ねた。テーブルを片づける音がする。

「ほかにも誰か来ることはあるの?」

「ビルモスの使いで宮廷の若い魔術師が来ることはあるが、その程度だ」

「仕事頼まれるって言ってたもんね。どんな仕事なの?」

「この家でもできる程度の研究ばかりだ。若手にやらせたらいいと思うんだがな、宮廷も人手不足らしい」

 宮廷との繋がりを自分に残す気遣いと察していても、素直に感謝する人間性までは有していないのだ。気遣いを突き返す幼稚性は、さすがに脱却しているが。

「そうなんだ。……あのさ」

「なんだ?」

「ああ、いや、俺がここに来たとき、大きいブランケット貸してくれたじゃん」

「貸したというか、おまえには俺のベッドを貸してやるつもりだったんだが」

 ソファーで寝ろと言うのは忍びなかったので、自分のベッドを譲るつもりでいたのだ。猛然と拒否したハルトが奪い取ったというだけである。

 頑なにソファーで寝ると言い張るので、なにを遠慮しているのか、と。あのときもエリアスは呆れたのだった。ハルトもなぜか解せないという顔をしていたが。意味がわからない。

「いや、だって、それはそうでしょ。いや、違う。そうじゃなくて。その、……アルドリックさんのだったのかなと思って」

「アルドリックのものというわけではないが、あいつがよく使っていることは事実だな」

 今度はいったいなにを気にしているのやら。ほんの少し追加で呆れつつ、拭き終わった食器を棚に戻していく。

「帰るのが面倒と言って、いつも泊まっていくんだ。さすがに今日は遠慮したらしいが」

 おまえがいたからだろうな、と。振り返らないまま、エリアスは笑った。

 ハルトはこの国を救った勇者なのだ。舞い戻った突然の事態に驚いたことは事実だろうが、敬意を払わないことは違う。

 その証拠に、騎士団のほかの団員も、買い物の際に顔を合わせる村民も、みな「勇者殿」と呼び、歓迎を示している。思うところがないとは言わないが、エリアスの個人的な感情だ。

「そうなんだ」

 どこかぼんやりとした返事に、エリアスは、助かった、と声をかけた。手伝いのことである。

 ――そういえば、昔もよくちょこまかと手伝ってくれたものだったな。

 騎士団の訓練もあり、疲れていただろうに。官舎の部屋に戻ると、あれやこれやと話しながら動いてくれたものだった。ハルトの背丈が低かったことも相まって、年長者に纏わりつく子どもそのものだったと思い出す。

 まったく邪魔でなかったとは言わない。だが、自分が邪険にされるとは露とも想像しないハルトの顔が、エリアスは嫌いではなかった。

 懐かしい記憶に耽っていたエリアスは、戸棚を閉めたタイミングで抱き着かれても、とくにどうとも思わなかった。多々あったことだからである。

 肩胛骨のあたりに額を埋め、幼いハルトは耐えるように目を閉じていた。上背が育った今は埋める場所が肩口に変化していたが、かわいいことに変わりはない。

「なんだ。まだ甘えたいのか」

「うん」

「ハルト」

 衒いのない返事もかわいかったものの、いささか邪魔ではある。窘めるように名を呼べば、また同じ「うん」という返事。こぼれた苦笑に、背後から抱きすくめる力が強くなる。

「ハルト」

「ねぇ、あとで師匠の部屋に行ってもいい?」

 話がしたいのなら、ここですればいいだろう。ごく当然とした疑問が浮かんだが、エリアスはハルトに甘くできていた。まぁ、たまに昔もベッドに潜り込んでいたからな。という程度の認識で、構わないが、と請け負う。

 はっきり言おう。大馬鹿者である。

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