4.森の家の魔術師(前編)

 そういったわけで始まったハルトとの共同生活は、準備を含め、予想以上につつがない進行を見せていた。

 ハルトの寝室は、物置と化していた部屋を片づけることで解決を得たし、寝具や衣服を揃える資金も、「この国で生活をするのなら」と改めて報奨金を支給されたことで解決を得た。

 入用なものは買ってやるつもりでいたエリアスとのあいだで、ちょっとした諍いは生じたものの、たいした問題ではない。勝手に居候を決め込んで、いまさらなにを遠慮するのか、と。内心で少し呆れたくらいのものである。

 ついでに言えば、こんな田舎でなにをして過ごすつもりなのかという懸念も、「じいちゃんの家が農家でさ、土いじり好きなんだよね」との発言で解決を得ている。今日も今日とてハルトは土いじりの真っ最中だ。

 ひょっとしなくとも、田舎の生活を選んだ理由は畑だったのではなかろうか。

 そんなことを考えつつ、居間の丸テーブルで本を読んでいると、滅多と鳴らない家のドアがトントンとふたつ鳴った。

 森の家の客人は、変わり者の宮廷騎士と哀れな宮廷魔術師の新人に大別される。鳴らし方で前者と判別したエリアスは、本を置いて立ち上がった。

「よう、エリアス。ひさしぶりだな」

「アルドリック」

 実直な顔に浮かぶ愛嬌のある笑みに、そっと表情をゆるめる。十日ほど前、ハルトと騎士団を訪れた折は遠征で不在とのことだったが、無事に戻ったらしい。

「遠征だったんだろう? いつ戻ってきたんだ」

「お、なんだ。知っていたのか。今朝方な」

 戻ったばかりと明かしたアルドリックから、食材の入った袋を受け取る。気を遣わなくていいと何度言っても、手土産の持参をやめようとしないのだ。律義で大変結構なことだが、エリアスを金のない引き篭もりと思っている可能性もある。

 騎士団に所属し好き勝手をしている三男坊とは言え、アルドリックは貴族の出だ。そんな男からすると慎ましいを通り越した生活だろうとわかるので、まぁ、べつにいいのだが。

 通い慣れた気安さでくつろぎ始めたアルドリックを一瞥し、受け取った食材を確認する。牛の塊肉に、赤ワイン。あとは裏の畑では採れない野菜と果物が少々。

 ――それにしても、本当に変わり者だな。

 癖のある赤茶色の髪と人好きのする雰囲気を持つアルドリックは、長身の美丈夫だ。王都で酒を呑むなり、女を抱くなり、好きに疲れを晴らせばいいと思うのだが、なぜかいつもエリアスの料理を食べたがる。

 不思議だが、訪れるものはしかたがない。温かいお茶を出してやることにして、切った果物を皿に添える。疲れているだろうと思ったからだ。

 丸テーブルの向かいの椅子を引き、お茶を飲みながら遠征の話を聞く。南の国境沿いでの魔獣退治だったとの説明があらかた済んだところで、エリアスはひとつ口を挟んだ。

「それはご苦労だったが、アルドリック。おまえ、また早々にこちらに来ただろう。まさかとは思うが、騎士団に顔は出しただろうな」

「出したに決まっているだろう。酒の場は遠慮したが、それだけだ」

 文字通り顔を出しただけに違いない。アルドリックは心外という顔を隠さなかったが、エリアスはそう判じた。勇者ハルトの話題がいっさい出ないことが良い証拠である。

 ――あいかわらずというか、なんというか。

 自分よりふたつ年上で、社交性もよほどある。人当たりを承知していても、仕事の人付き合いより優先されている気がすると、落ち着かないものが湧くのだ。

「まぁ、いいが」

 エリアスはさっさと話題を切り替えた。

「それで、今日はなにがいいんだ?」

 夕食の話である。遠征明けのアルドリックは、たいてい森に泊まっていくのだ。馴染みの質問に、「そうだな」とアルドリックが腕を組む。

「エリアスの作るものはなんでもうまいが、ひさしぶりにあれが食べたい」

「あれ?」

「なんだったか。……そうだ、カレーだ。カレーがいい」

「カレーか」

 この国の料理ではない。ハルトの国の料理だ。切ったシトラスをひとつ摘まみ、エリアスは繰り返した。

「おまえのところでしか食べることができないからな。勇者殿の故郷の味と言って、食堂でもやれば流行りそうな気もするが」

「それは、まぁ、師匠の作ってくれるごはんはおいしいけど。秘密にしたい気持ちもあるから食堂はちょっと複雑だな」

「勇者殿!? え? 勇者殿ですよね!?」

 会話に割り込んだハルトに、アルドリックが飛び上がらんばかりの反応を見せる。居間の扉が開いたことに、気がついていなかったらしい。

 騎士としてはどうなのだろう。やり手のエースのはずなのだが。疑問を覚えたエリアスだったが、ハルトは淡々とタオルで汗を拭っている。

「食べるか?」

「あ、食べる。ありがとう」

 差し出した指ごとぱくりと口に入れ、ハルトはアルドリックに視線を向け直した。べつにいいが、なんでこういう食べ方だけ雑なんだ。

「それにしても、あいかわらず良い反応しますね、アルドリックさん。勇者です。元ですが」

「いや、ちょっと待て。待ってください。あの、勇者殿は、五年前、ニホンという国に無事に帰られたのでは……。まさかビルモスさまの術式に間違いが」

「アルドリック」

 あの地獄耳に拾われたらえらいことになる。名前を呼んだエリアスに、アルドリックははっとした顔で頭上に目をやった。たしかに良い反応をする男ではある。

「さすがにこんなところまで根は張っていないと思うが」

「だ、だよな」

「だが、まぁ、宮廷にいるあいだは気をつけたほうがいいだろうな」

「……承知した」

 あの人、おっかないんだよ、とぼやいたアルドリックが、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。そばに立つハルトを見上げる横顔には、ありありと驚愕がにじんでいる。

「お、大きくなられましたね、勇者殿」

「はぁ、まぁ。二十歳になりましたので。アルドリックさんも変わりなくお元気そうで」

「二十歳。……そうか、もう、そんな年なんですね」

 しみじみと唸ったアルドリックに、エリアスは端的に説明を追加した。混乱しているさまが明らかで気の毒になったのである。

「わけあって十日ほど前に戻ってきたんだ」

「わけあって? いや、どんなわけが」

「だが、今回は魔王が出ただとか、宮廷が呼んだだとか、そういった大仰な理由ではない」

「そうです。俺が戻ってきたかったので戻ってきました。よろしくお願いします」

「は? え?」

「当然、宮廷には報告済みだ。騎士団にも挨拶に行ったんだがな。おまえは、ほら、遠征でいなかったろう」

「いや、それはいなかったが」

 その、とエリアスに向かい、アルドリックは声を潜めた。

「魔王が生まれる予兆があるだとか、そういう話ではないんだな」

「今のところは」

 誕生の周期は百年以上と言われているものの、なにごとにも例外はつきものだ。誤魔化さずに答えるとすれば、そう評するほかあるまい。

「今のところ。……まぁ、そうだ。そうだよな」

 うつむいたアルドリックは、言い聞かす調子で繰り返している。眉間に刻まれた深いしわは気の毒だったが、正直な反応に違いない。まったくビルモスは宮廷でどんな説明をしたのやら。

 ふぅっと長い息を吐き、アルドリックは顔を上げた。折り合いをつけたようで、ハルトに対する笑みは人当たりの良いものになっている。

「それで、勇者殿は今はなにを」

「今。畑を耕していましたが」

「畑を……」

 再びなんとも言えない顔になった友人が哀れになり、エリアスは言い添えた。言葉が足りないにもほどがある。

「すぐになにかをしなければならないこともないだろう。勇者としての報奨金も、改めて支給されたばかりだ。今後のことはゆっくり考えればいい」

「……まぁ、それはそうだと思うが」

「そうだろう」

 もう一度はっきり頷くと、アルドリックは取り成すようにハルトへ笑いかけた。

「そうですね。勇者殿はまだまだなんでもできる年ですからね」

「そんな爺臭いこと言いますけど、アルドリックさんだってまだ二十代じゃないですか」

「いや、二十歳の勇者殿とは違いますよ。なぁ」

 同意を求める呼びかけを苦笑で交わし、エリアスは立ち上がった。

 ハルトがなんでもできる年齢であることは事実だ。だからこそ、いつ「帰る」と言い出しても不思議はない。拗ねるので言わないだけで、エリアスはそう思っていた。

「夜はカレーにしようと話していたんだが。ほかに食べたいものはあるか? アルドリックが塊肉を持ってきたんだ。余った分はシンプルに焼いてもいいが」

「塊肉? ありがとう、アルドリックさん。というか、師匠。まだカレーとか作ってたんだね」

「ひとりだと作らないが。食べたいと言われたら、まぁ」

 なにせ、かつて幾度となく作った料理である。ふぅん、とよくわからないふうに相槌を打ったハルトが、調理場に向かったエリアスを追いかけようとする。

「あ、師匠。俺、手伝うよ」

「構わない。アルドリックともひさしぶりだろう。ゆっくり話せばいい」

 アルドリックは、勇者としてハルトが滞在した二年間、ハルトの一番近くで護衛を務めた男だ。当然、魔王退治にも同行している。

 生活の面倒を見ただけの自分より、よほど信頼して打ち解けた相手だろう。少しつっけんどんな口調も、親密さの裏返しに違いない。

「ええ、でも、いいの?」

「いいと言っているだろう。あいかわらず気を遣うやつだな」

「いや、まぁ、そういうわけでも、……いや、そういうわけなのかな」

 ぶつぶつとひとりごちつつ空いた椅子に座ったハルトを見届け、調理台の前に立つ。

 調理場と居間は同じ空間にあるため、ふたりの会話はほとんど筒抜けだった。和やかな近況報告を聞きながら具材を切り、戸棚からいくつかのハーブを取り出す。

 決まった手順と分量でハーブやスパイスを混ぜる過程は、薬剤の調合に通じるものがある。自分が料理を面倒と感じない所以のひとつだ。

 以前、ハルトが「カレーに合う」と力説していた平たいパンはないが、まぁ、いいだろう。そう決めて、エリアスはぐるりと鍋の中身を掻き混ぜた。

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