第11話 それの何が悪いんだ③


 味噌汁を口にした瞬間に感じだしょっぱさ。飲めないことはないけれど、どうやら味付けが上手くいっていないらしい。


 日笠さんも味噌汁を飲んで違和感のある顔をしていた。

 由良木はやってしまったと思っているのがよく分かる顔になっている。顔面蒼白というのはこういうのを言うのだろう。


「あの、えと」


 由良木はしどろもどろになりながら何か言おうと言葉を探す。

 俺はすぐに思い至る。

 この味噌汁は他の男子にも行き渡っているのだ。


 立ち上がり、振り返る。


「待て。お前ら――」


 俺の静止の声はわずかに遅かった。

 谷口班の男子二名は今まさに、味噌汁を口にした瞬間だった。


「なんっだこれ、しょっぱ!」


 そのとき。


 谷口の大きな声が家庭科室の中に響く。その隣で田嶋もうへぇという顔をしている。


 確かに味付けは失敗しただろう。けれど、あそこまで表情を歪ませるほどではない。

 きっと、過度に上がっていた期待値がハードルを上げてしまっていたのだ。


「おい阿座上。これ、由良木さんのって言いながらお前が作ったんじゃねえだろうなあ!?」


「んなわけねえだろ。正真正銘、由良木の手作りだっつーの」


 谷口の言葉に耕助が反論する。


「由良木さんの味噌汁がこんなにわけねえだろうがッ!」


 瞬間、家庭科室の中の時間が止まったような気がした。けれど、それも一瞬で、谷口班とも違う男子が騒ぎ出す。


「おいおい、そんな言い争うなよ」

「そうだよ。ちょっと俺にも寄越せ」

「……確かに美味しくねえな」


 ぞろぞろと谷口のところに集まり、それぞれが味噌汁を口にする。皆が思ったことをそのまま言葉にした。それは鋭利な刃となって、由良木の心を斬りつける。


「マジだって。マジで由良木が作ったんだよ。なあ、佑真?」


 耕助がこちらを向く。

 そのとき、ようやく男たちはこちらで起こっていることを理解した。誰もが言葉を失う。


 由良木有紀寧が涙を流していたからだ。


「えっと」


 耕助を筆頭に、さっきまでああだこうだと声を上げていた男子が気まずそうに視線を泳がせた。


「ごめんなさい。私が、失敗した、から……」


 嗚咽を飲み込むようにしながら由良木が言って、頬を伝う涙を拭う。そんな彼女の姿を見て、ふつふつと内側から怒りが込み上げてきた。


「お前らな」


 俺の声に男子たちがびくりと揺れる。自分でも、想像より低く怒りのこもった声色に驚いた。


「内々で勝手に盛り上がるのは勝手だよ。可愛いとか凄いとか天才とか、期待してハードルを上げるのは自由だ」


 唖然としているクラスメイトの視線が俺に集まる。


 まるで栓を抜いたバスタブのように、奥から外へと流れ出る言葉を、俺はもう止めることができなかった。


「期待を裏切りたくないって思うのもどうかと思う。期待に応えられなくて落ち込むのもどうかと思う。でもそれは本人が勝手にしてるだけで、誰にも迷惑はかかってない!」


 由良木有紀寧は過度な期待を周りから向けられていた。

 その期待を裏切りたくないと、無理をして頑張って、なんとか応えようとしていた。


「でも、それを押し付けるのは違うだろ! できないことの何が悪いんだよ! 由良木が作ったから? お前が由良木の何を知ってるんだ。勝手なイメージ押し付けて、それを超えなかったから、そんなはずないってそりゃないだろ!」


 最初は包丁一つまともに使えなかったけれど、目玉焼きすらろくに作れはしなかったけれど、でもあいつはこの一週間頑張ってきた。


 なのに。


「お前らが知らないうちに押し付けていたその期待が、由良木をどれだけ追い込んでいたか考えたことあんのかよ! それが――」


「もういいです!」


 俺の声をかき消すように、聞いたことのないような由良木の大きな声が家庭科室にこだました。


「もう、だいじょうぶですので」


 無理やりに口角を上げて、由良木は作り笑顔を浮かべる。


「……」


 俺は言葉を飲み込み、座り直す。

 谷口たちも自分の席に戻っていった。


「あのお、とりあえず落ち着きましょう」


 だいたい落ち着いてからそれ言うのはどうなんでしょうね、先生。まあ、荒れてた俺がそれを言うのも違うと思うけど。


 普段あまり声を荒げない俺があんなことを言ったから、先生も驚いたのかもしれないな。悪いことをした。


 気を取り直して、俺は味噌汁のお椀を手に取る。


「あの、それは」


「いいんだ。俺が飲みたいだけだから気にしないでくれ」


 ずずず、と味噌汁をすする。

 やっぱり少し味が濃いな。これはまた補習しなければいけないぞ。


 俺が完全に悪いんだけど、そのあとの家庭科室はめちゃくちゃ静かだった。あとで先生に謝りに行こうと思った。



 *



 その日の夜。

 俺の部屋のキッチンには由良木が立っていて、俺はリビングからその姿を眺めていた。


 眺めさせられていた、と言ったほうが正確ではあるんだけど。


『秋坂さんは見ててください。今日は私が作りますので! お手伝いは不要ですっ』


『いや、でも』


 なんとかサポートだけでもと思ったんだけど、由良木の迫力に押し負けて俺は傍観することになった。


 トントントン、とまな板と包丁がぶつかる音はリズミカルだ。最初、猫の手もできなかったとは思えない包丁捌きに感心させられる。


 もちろん、普通レベルに達しただけで、まだまだ成長の余地は残されているが。


 切った長ネギを鍋にぶち込む。

 さらにそこに豆腐を投入し、最後に味噌を入れて味付けしていく。


 彼女が作っているのは味噌汁だ。

 今日の昼、調理実習で失敗した味噌汁のリベンジを果たそうとしているようだ。


 あのあと。


 反省した谷口らが由良木に頭を下げていた。昼休みには由良木も落ち着いていたので、優しさを見せ、許していた。


 もしかしたら、少しは由良木に対するイメージが変わったかもしれない。そうすれば、彼女ももう少し気楽に学校生活を楽しめるだろう。


「次はなにを作ってるんだ?」


 味噌汁が完成したのか、由良木は別の作業を始めていたので尋ねてみる。


「ハンバーグです」


 言われて、改めて手元を見るとボウルの中のタネをこねていた。この一週間、彼女は調理実習のために練習を続けていた。


 けど、流れで由良木がハンバーグを作ることはなかった。あれは申し訳ないことをしたと思っている。


「私はまだ、これしか作れないので」


「そっか」


 今日の昼も食ったんだけど、という言葉は飲み込んだ。彼女なりにこの一週間の成果というものを形にしたいのだろう。


 ハンバーグは作れず。

 味噌汁は失敗に終わった。


 このままではこの一週間の頑張りが無駄になるとでも思っているのかもしれないけど、俺は彼女の頑張っている姿をちゃんと見ていた。


 だから、別に無理することはないんだけど。


 しばらくして、料理は完成した。



――――――

次回『そして彼と彼女は』

次回更新は10月30日 20時10分頃更新


手料理のお味は。

そして、有紀寧と佑真の関係は。


次回、◯◯◯です。

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