第5話 シュレディンガーの完璧美少女⑤


「まず包丁を使うときはもう片方の手は必ず猫の手にすること」


「猫の手……?」


 いまいちイメージできないのか、由良木は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。小学生でもできるのに。いや、小学生は想像力豊かだからできたのかな。


「こう」


 俺は左手で実際に猫の手を作ってみせる。それをまじまじと観察した由良木は「なるほどぉ」と言いながら自分でも作った。


「こうですか?」


 両手を猫の手にして、顔の近くまで持ってくる由良木。凄まじく可愛らしいポージングになっているな。

 これを無意識にやっているのだとしたら恐ろしいぜ。とはいえ、由良木が自分の可愛さを理解して最大限に活かしているとも思えない。


「ちょっと、にゃんって鳴いてみてくれないか?」


 顎に手を当て、俺は思わずそんなことを口にしてしまった。

 普段ならこんなこと口走らないのに。どうやら彼女の魔性の力が俺を狂わせているようだ。


「え、と、恥ずかしいんですけど」


「誰もが通る道だから」


「ほんとですか!?」


 小学生のときにみんなやるんだ。

 クラスメイトの女子たちはにゃんにゃんとやり合っていた、ような気がする。もしかしたら俺の妄想かもしれない。


「ああ!」

 

 けど、俺は言い切った。

 これも全部、彼女の魔性のオーラが悪いのだ。思考を狂わされこんな発言をしてしまっている、むしろ俺は被害者なまである。


 由良木は恥ずかしそうに「ううぅ」と唸りながら、視線を右へ左へと泳がせる。


 朱色に染まる頬。

 わなわなと震える唇。

 そして、潤んだ瞳による上目遣い。


 なるほど。

 クラスの男子連中が夢中になるのも分かる可愛さ。これが由良木有紀寧という女の子か。


 恐るべしぃ。

  

「……にゃ、にゃあ」


「……」


 気づけば俺は腕を組み、目を瞑りながら頷いていた。


「せめてなにか言ってくださいっ」


「再開しようか」


「……絶対必要なかったですよね……」


 そうは思いながらもやってくれるところ、どうやら彼女は相当なお人好しだ。


 そんなわけで調理再開。


「左手は猫の手にして玉ねぎを抑えるんだ。玉ねぎに添えるときに、にゃあと鳴くのを忘れるな?」


「さっき秋坂さんやってなかったですよね!?」


 バレたか。


 由良木はツッコミながらも、言われたとおりのことを実行していく。不慣れな手つきながら、何とか玉ねぎを切っていき、涙目になりながらやり遂げる。


「でき、ました」


「その調子で他の具材も切っていこうか」


 そんな感じで玉ねぎ、にんじん、豚肉をいい感じのサイズに切っていく。もちろんいい感じのサイズには切れていないが。


 初心者だから無理もない。

 怪我なく切れただけで及第点だ。


「それが終われば今度はフライパンに油を引く。このとき、多くても少なくても味に影響あるから気をつけろ」


「どれくらいの量を入れれば?」


「適量」


「わかりませんっ」


 そんなこと言われてもな。

 思いながら、俺は代わりに油を引くことにした。これに関しては感覚なので説明するのも難しい。


 最初の頃はレシピに書いてある『適量』という表記に腹を立てたものだけど、今なら分かる。確かに適量だ。


「油を引いて熱したフライパンに切った具材を入れて、火が通るまで炒める」


「はい」


 ヘラを使って具材を炒めていく。

 だいたい豚肉の色が変わってきたら、俺としてはもういいだろうのサインなんだけど。


「いい感じに炒めたらそこに白米をぶち込む」


「はい」


 慎重派なのか、心配性なのか、由良木は俺の基準よりもだいぶ炒めてからご飯を投入した。

 野菜はちょっと焦げている。


「このタイミングで適当に味付けだ。この辺の調味料を使って、やってみ」


「適当、ですか?」


 じとり、と半眼を向けてくる。

 俺はそれに「そうだな」と頷いた。


 こういうのは感覚で覚えていくのがいい。最初はきっと上手くいかないだろう。けど、そういう経験の積み重ねがいずれ実力として身につくのだ。


 由良木は迷いながらも塩コショウや醤油を加えていく。


「最後に溶き卵を入れて炒めれば完成だ」


「忘れてましたっ」


 由良木は冷蔵庫から卵を取り出し、シンクにコンコンと当ててから容器に割る。


 パキャ。

 カチャカチャカチャカチャ。


 割ってから混ぜるまでの動きはスムーズだ。でも、見たところ殻が入っているな。気づいてないみたいだけど。


 溶き卵をフライパンに投入し、再びヘラで混ぜていく。


「完成です!」


 お皿に盛り付けたものを、由良木が満足げに眺めてから俺に見せてくる。


「じゃあ食べるか」


 リビングの方に移動し、向かい合って座る。俺の前には俺が作ったもの、由良木の前には由良木の作った炒飯が置かれる。


 ラップをかけていたから冷めてもいないな。


「いただきます」

「いただきます」


 俺はスプーンで炒飯を掬い口に放り込む。うん、いつも通りなかなかの出来だ。パラパラ具合もちょうどいい。


 一方。


「……」


 炒飯を食べた由良木が表情を歪ませていた。


「美味しくないか?」


「……えっと、まあ」


「その味、覚えておくんだぞ。次はそれよりも美味しくなるように作るんだからな」


「……はい」


「今日、調味料をどれくらい入れたのかも覚えているとベストだな」


 と、言いながら俺は自分の炒飯と由良木の炒飯を入れ替える。その行動に動揺した由良木は「えっ、え?」とあわあわしていた。


「これは俺が食うよ。お前はそっち食べな」


「いや、ダメです。私が作ったんですから、私が……」


「人の作った飯の味を覚えるのも大事なことだし、そんなの抜きにして俺が自分の絶品炒飯を自慢したいんだよ」


 由良木が何か言い返してくる前に、俺は炒飯を口に入れた。動きに一切の躊躇いがなかったのは、躊躇ってしまったら終わりだと思ったからだ。


 こういうのは勢いが大事。


 しょっぱい。

 苦い。

 あとやっぱり殻が入ってた。


 けど、まあ、それでも炒飯だ。

 それが炒飯のいいところでもある。


「初回にしては上出来じゃないか。俺なんか食えたもんじゃなかったぞ」


 けど、これはお茶が進むぞ。

 ぐびぐびとコップに入っているお茶を一気に飲んで、ペットボトルからお茶を注ぐ。


「……ありがとう、ございます」


 小さく言ってから、由良木は俺の炒飯を一口食べる。口に入れた瞬間に、彼女の顔はぱあっと明るくなった。


 そして、きらきらした瞳を俺に向けてくる。


「おいしいですっ! すっっっごく!」


「それは良かった」


 そのリアクションが見れただけで、頑張ってこの炒飯を食べきる気力が湧いてくるというものだ。


 ……けど、今度はもうちょっと味付けについてアドバイスしようかな。



――――――


次回『デートじゃないと分かっていても①』

毎日更新は本日までとなります。

ここからは隔日更新を目標に頑張ります。

次回更新は10月18日 20時10分頃更新


有紀寧が佑真を◯◯◯◯ます。


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