第4話 シュレディンガーの完璧美少女④


「わ、わ! やぁっ」


 そんな可愛らしい悲鳴のようなもので目を覚ます。

 アラームで起きるよりは心地良いが、なんというか心臓に悪いのはこっちな気がする。


 むくりと体を起こし眠たい目をこすりながら何事かを確認する。


「あ、おはようございます」


 俺の起床に気づいたのか、キッチンから顔を覗かせた由良木がにこりと笑って挨拶してきた。


「おはよう」


 まだまだ準備運動の途中である俺の脳はイマイチ状況を把握できていない。


 なんで俺の部屋に美少女がいるんだと思ったほどだ。さすがにそれはすぐに思い出したけど。


 由良木はすでに着替えを済ませており、薄い水色の半袖シャツにロングスカートを着ていた。パジャマは刺激が強かったから助かる。


「あの、泊めていただいたお礼に朝ご飯を準備しようと思ったんです」


 なんでキッチンにいるんだろう、という疑問が顔に出ていたのか由良木がそんなことを言ってきた。


 まさか俺の人生でこんな美少女に朝ご飯を作ってもらえる日が来るとはな、と感動していると由良木の表情が曇る。


 そして。


「ですけど……」


 と、不安を煽るには十分な接続詞を口にした。


 お皿を持って、俺の前までやってくる。


「これは?」


 黒いなにか。

 炭かな?


 なんて。


「スクランブルエッグ、です」


「なるほどね」


 こりゃボヤ騒ぎくらい起こすわ。

 じいっとスクランブルエッグ(?)を眺めていると、由良木が気まずそうに「ううう」と唸り、我慢の限界がきたのかお皿を隠すように引っ込めた。


「……お前、料理できないんだな」


「ううう、はいぃ……」



 *



 昼飯は適当に済ますことが多いけれど、由良木がいる手前そういうわけにもいかず、俺はいま炒飯を作っている。


「とりあえず具材を切る」


 玉ねぎ、にんじん、あとは余っている豚肉を適当に切っていく。究極的な話、炒飯はなにをぶち込んでもいいから冷蔵庫の整理に役立つ。


「具材を、切る……」


 由良木は俺の後ろに立ち、俺の言葉をそのままメモする。


「切った具材を炒める」


「いた、める」


「ある程度炒めたらご飯を入れる」


「……入れる」


「塩コショウやらで味付けをする」


 俺は塩コショウ、鶏がらスープのもと、醤油を入れる。最初の頃は計っていたけど最近は何となくで味付けができるようになった。


「最後に溶き卵を入れて全体に馴染むように炒めていく」


「全体に、馴染むように、炒める」


 シャーペンでしっかりとメモをする由良木をちらと見る。真剣な眼差しと表情の彼女を見ていると水を差すのは躊躇ってしまうけれど。


「……別にこれくらいなら調べりゃネットでも出てくるからメモする意味はないんじゃないかな」


「自分で書くことが大事なので」


 ご尤もだ。

 俺たちはスマホという便利なツールに頼りすぎているのかもしれない。


「やってみるか?」


 俺は完成した炒飯をお皿に盛り付けたあと、キッチンのスペースを由良木に譲る。


 料理を教えてほしい、と由良木は昨日そう言った。

 俺たちクラスメイトが、いやもっと言えば周りの人間が作り上げた勝手なイメージに彼女は苦しんでいる。


 できないと一言言えばそれで終わりなのに、そうではなくて、なんとか形にしようと頑張っているのだ。


 別に彼女を苦しめた贖罪だなんて言うつもりはない。そんな大層な理由なんかでは決してないし、下心によるものでもないつもりだ。


 できないことに向き合って、頑張っている人を応援したいと思うことは、別におかしくはないだろう。


「は、はいっ!」


 ぐっと胸の前で手を握って気合いを入れる由良木。容姿が良いだけに何をさせても可愛いがついてくるな。


 もちろん具材を切るところからしてもらう。


 料理なんて経験を積めばあとは応用の繰り返しなのだ。

 その基礎の一つとして、切るスキルがある。


「いきます!」


 左手はぶらぶらと揺れ、包丁を持った右手を思いっきり振り上げる。

 

「ちょちょちょちょい待ったぁぁあああ!!!」


 由良木の想定外の行動に、キャラに似合わない止め方をしてしまった。動揺すると人はこんなふうになるらしい。


「なんですか?」


「なんですかじゃないよ。なにするつもりだ」


「秋坂さんに倣って玉ねぎを切ろうかと」


「何一つ倣えてないんだけど!?」


 俺が言うと、由良木は眉をひそめてこちらを見てくる。なんで『私のなにがおかしいの?』みたいな顔できるの?


「……料理したことないの?」


「お恥ずかしながら、簡単なものしか」


「簡単なものって」


「食パンを焼いたことはあります」


「トースターに入れてスイッチ入れるだけだな」


「インスタントですけど、お味噌汁を作ったこともありますよ?」


「お湯を沸かすだけだな」


「あ、あとはサンドイッチも作ったことあります」


「具材は?」


「……」


 由良木はすすすと視線を逸らす。

 その気まずそうな表情から、具材は別の人に用意してもらったんだということが分かる。


「つまりほとんどないわけか。中学生のときも調理実習とかあったんじゃないのか?」


「えっと、お友達に見ているよう言われて」


 そのお友達は由良木の料理下手をすでに知っていたということか。高校はそれらの理解者とは別々になってしまったと。


「今回も早々にバラしたらどうだ?」


 俺が提案すると、彼女は顔を伏せた。前髪に隠れた表情が一瞬見えたけど、それはどこか淋しげなもののようだった。


「……私、変わりたいんです」


 絞り出したような弱々しい声は震えていて、しかしその言葉には確かな覚悟が灯っているように聞こえた。


「これまで何もしてこなかったんです。なにもしなくても良かったから。だから、なにもできないままなんです」


 なにもしなくて良かったから、という言葉が気になった。

 追求する気にはなれないけど、それは逆に考えればと言っているように聞こえる。


 そもそも高校生で一人暮らしをする人間は少ない。好んでする人も中にはいるのかもしれないけれど、大抵は何かしらのが絡んでいる。


 だとしたら、彼女もきっと。


「できないままじゃ嫌なんです! 私は、できないことから逃げたくないっ!」


 真っすぐに。


 俺を捉える瞳は真剣で。

 きっと、俺が迷惑だと言って言い出しても彼女は一人で頑張るだろう。誰に、何と言われようとも止まらないくらいの気持ちはきっとあるはずだ。


 俺は溜息をつく。

 それに由良木の体は不安げに揺れた。

 

「……まあ、目を離したときにまたボヤ騒ぎでも起こされたら困るしね。どこまでできるか分からないけど、できるだけのことはしてみようか」


「あ、ありがとうございます!」


「とりあえず包丁は置こうか!」


 ぶん、と勢いよく頭を下げる由良木。その手にはしっかりと包丁が握られていて、振り回しているわけじゃないけど普通に危ない。


「ただし、俺の監視のないところで料理はしないこと。いいか?」


「分かりました。よろしくお願いします、先生」


 先生、ね。

 悪くないとか思ってしまった自分がいた。今度、教師と生徒のラブコメ買いに行こ。



――――――


次回『シュレディンガーの完璧美少女⑤』

明日、10月16日 20時10分頃更新


有紀寧が◯◯◯と鳴きます。

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