第3話 シュレディンガーの完璧美少女③


 昨日引っ越してきたということもあり、ほとんどの荷物はまだ荷解きが終わっていない状態だったことが幸いだった。


 貴重品などを一式こちらの部屋に持ってきて、ドアはとりあえず形だけでももとの感じに戻しておいた。

 布団を持ってくれば寝る場所の確保も問題ない。


 問題なのは、同年代の男女がひとつ屋根の下にいるという、この状況だけだな。


 とはいえ、風呂だなんだは自分の部屋に戻れば済ませられる。なので、ここに寝に来るだけと考えれば別にそこまで大したことではないのかもしれない。


 俺はシャワーを浴びながら思考を整理する。うん、イレギュラーな案件に取り乱したけれど、考えてみれば所詮はその程度なんだ。


 動揺する必要はなし。

 まして緊張などもってのほか。


 風呂を出て寝間着に着替える。着古したシャツに膝丈の短パンだ。


 リビングのドアは閉まっているが、中から人の気配がする。風呂に入りに戻った由良木が戻ってきたのだろう。でなければ不審者だ。


「あ、おかえりなさい」


「あー、うん」


 リビングに入るとカーペットに座り、することなくぼーっとしていた由良木がこちらを振り返る。


 瞬間、さっきまでの冷静さは吹っ飛んだ。


 なにが問題ないだ。

 問題大アリじゃないか。


 由良木は薄い黄色のサテン生地パジャマを着ていた。なんというか、パジャマっぽいパジャマというか。

 その圧倒的プライベート感が俺に与える感覚は未知のもので、俺の意思などお構いなしにドクンドクンと心臓が大きく跳ねる。


 クラスメイトの、それも男子の部屋に泊まろうというのだから色気を一切感じさせない中学時代のジャージとか着てくればいいのに。


 こいつ、さてはちょっと抜けてるな?


「お茶、飲む?」


「あ、ありがとうございます。いただきます」


 俺はいったん落ち着こうと、彼女を視界から外すためにキッチンに戻る。

 心の準備をしていない状態への不意打ちだったからあれほどの衝撃を受けたけど、しっかり準備していればきっと大丈夫だろう。


 コップに麦茶を入れてリビングに戻る。足を踏み入れる前に俺は小さく深呼吸した。


「お待たせ」


「ありがとうございます」


 由良木は何度目かも分からないお礼を口にして、あろうことか立ち上がった。

 コップを受け取ろうとでもしたのだろう、つまり良かれと思っての行動が俺に予想外のダメージを与えた。


 体のラインに沿うような形のパジャマで、しっかりと膨らんだ胸元も、きゅっと引き締まった腰回りも、女の子らしい下半身も、全部がくっきりと浮かび上がっている。


 心の準備しててもダメだこりゃ。


 俺が女の子に対して免疫なさすぎるんだ。


 コップを受け取った由良木は座り直して、くぴくぴと麦茶を飲む。俺は彼女から少し距離を取ってベッドに腰掛けた。


 しかし、こうして冷静になってみると喋ることないな。そりゃそうなんだけど。これまで一言も交わしたことないクラスメイトだし。


 けど、まだ寝るには早いし、かといって無言貫くのは気まずい。なにか話題を振らないと。


「来週の家庭科の調理実習」


 記憶に新しかったからか、俺がポロッと出した話題は調理実習についてだった。


 共通の話題ってなると学校しかないんだもん。共通の友人はいないし、そうなると行事とか授業の話になるだろ。


「……はい」


 え、話題間違えた?

 返事をした由良木は少しだけ表情を暗くした。


 けど、ここまで来て話題を変えるのは不自然だし、行くしかねえ。


「クラスメイトは由良木の料理の腕に期待してるみたいだな」


「そう、なんですか?」


 そうは言いながらも、顔は分かっているように見えた。謙遜みたいなものだろうか。


「昼休みの話題はそれで持ちきりだった。男子はパーフェクトお姫様の由良木が気になって仕方ないらしい」


 俺はおどけるように言ってみる。

 ああ、女子と上手く会話するって難しいな。これ義務教育で教えてくれないかな。


「……秋坂さんもですか?」


「そりゃな」


 肯定して、すぐに気づく。


「あ、いや、料理の腕な! どれだけ美味いもん作るのか今から楽しみでならん!」


 あはははは、と誤魔化そうとしたせいでよく分からないテンションになっていた。


 由良木はそんな俺の言葉に一笑することもなく、どういうわけか顔を伏せる。


 ちょっと待ってどれが間違いだったの。今後の参考にしたいからそれだけでも教えてほしい。


「あの、ですね」


 俺があわあわしていると由良木がようやく言葉を発した。その声は弱々しく震えていた。


「な、なに?」


 緊張感が部屋の中を支配する。

 俺の声も自然と固くなった。


「……」


 沈黙。

 しかし、数秒経って、由良木は覚悟を決めたように顔を上げた。真っすぐ俺を捉えた琥珀色の瞳には決意の炎が燃えているように見える。


「一つ、お願いをしてもいいですか?」


「……まあ、可能な範囲であれば」


 この空気でダメですとは言えまい。

 いや、別に断るつもりはないけどさ。さすがに「死ね、ひゃははは」と人が変わったようなお願いはしてこないだろうし。


「来週の調理実習までに、私に料理を教えてくださいっ!」



 *



 部屋の明かりは消え、俺たちはそれぞれの布団にもぐる。

 俺はベッド、由良木は部屋から持ってきた布団を床に敷いている。


 おやすみ、と声をかけ合ったのは五分ほど前のことだけど、すでに彼女の方からはすうすうと寝息が聞こえてきている。


 寝付きが良すぎるな。

 いろいろあったし疲れているのかもしれないけど、ちょっとは警戒とかしたらどうだろう。


 いくらなんでも無防備すぎる。


 俺がドスケベ変態クソ野郎だったらどうするんだ。


 ……まあ、違うんだけど。もちろん寝ている彼女を襲う度胸もない。


「……料理を教えて、か」


 由良木に言われたお願いを俺は口にした。


 確かに俺は同年代と比べれば、料理ができるほうなのかもしれない。他の奴らがどれくらいするのか知らないから何とも言えないけど。


 でも、それでも平均より少しできるくらいの認識だ。


 そんな俺に料理を教えてくれと頼んできた由良木の真意はなんだろう。

 俺なんかが由良木に教えることなんてあるとは思えない。


 だって、彼女は……。


 あれ、ちょっと待てよ。

 そういえば由良木は料理が得意だなんて一言も言ってない。料理上手というのは周りのイメージが創り出した虚像だ。


 もしかして……。


「まさか、な」


 俺は規則的に膨らみしぼみを繰り返す掛け布団を一瞥して呟き、目を瞑った。



――――――


次回『シュレディンガーの完璧美少女④』

明日、10月15日 20時10分頃更新


有紀寧の◯◯◯◯が明らかになります。

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